あれからどのくらいの時間が過ぎただだろうか。


俺たちメイドにとって「時間」は「24時間」のことであり暦は関係の無いもので

今何日経ったかよりも、その日どれだけ効率よく仕事ができるのかの方が大事なわけで

結局のところ仕事に夢中になればなるほど俺たちは今

何時を生きているのかわからなくなる

浮世の世界の住人であった頃の記憶さえあやふやになる

一体今は何月何日?


わかるのは季節と「時間」だけ




この館での世界はそう夢のよう


俺たちは夢の中で働いている


そう思うのが一番の、仕事









MAID―メイド―

"ようこそいらっしゃいませ"










「カズキ様お出かけになりましたね」

「どこにいってるんですか?何て聞くなよ」

「何を今更」



恐らくあのときから一ヶ月ほど経った、のだろうか。

カズキ様がお出かけになられるのをお見送りするのももう二回目、仕事に至ってはなんとか

立ち直って慣れてきたしメイド見習いとして1レベルアップしたといったところだ。




あれから俺も大分変わったと思う。

やっぱり俺という人間はメイドという仕事をよく理解していなかったらしくて有頂天にもなっていたのだが、

それもあのことがあってからは跡形も無く消え去ってしまった。

自信とか、自己満足なんて言葉はこの世界には似合わない。

何故この世界の人間が必死になって働けるのかといえば常にその背中に恐怖を背負っているからであり

もちろんその恐怖は俺にも課せられた。



その恐怖こそが俺たちの首に巻かれている"首輪"であり、次第に恐ろしくどんなに苦痛でもここから抜け出せなくなるんだ。













「そういえば、最近見てないなぁ…どうしたんやろ」

「何をですか?」

「ん、いやぁ…カズキ様のお友達。お前が来る前にはしょっちゅう遊びに来てたんやけど

 最近は全然来ないから」

「へぇ…お友達」


洗濯物を畳みながらの世間話。

カズキ様がお出かけになっている時はみんなも気が緩んでいるのか、ずいぶんと気楽に仕事ができる。

それはメイド長のナグラも例外ではなくいつもは仕事のときには私語を慎んでいるのだが

このときばかりは自ら世間話を振ってくるのだ。

まあこうしてたまには気を抜いていないとやっていけないだろう、休みもない仕事だし。



「どういう人なんですか?」



そう聞いて、ふと自分の頭の仲に「カズキ様のお友達」を思い浮かべてみる。


カズキ様=変態

ということは…

カズキ様=友達





「お前が想像したとおりや多分」


苦笑いしてナグラが言って、俺は頭を抱えた。















「あー暇やぁ…カズキ様がおらんとセックスもできんし」

「盛ってるなよ。つーか邪魔!!」

「なあゴルちゃんセックスせぇへん?」

「うるせぇ黙らねぇと掃除機で吸い込むぞ!」


相変わらず人が一生懸命仕事をしているのにだらだらと毎日を過ごしている、レッド。

俺が掃除機を動かしているのをまるで玩具をみるように楽しみながらベッドに寝転がっているレッドは、

思わず殺害してしまいたくなるくらい憎い。

いやまあ確かにどうしてこいつがこんなVIP待遇な生活を送っているのかは重々承知したにはしたけど…


長い時が経ち、俺とレッドはいつの間にか妙な関係になっていた。

最初はレッド…いやヨシダさんの気迫に怯えていたのだがそれにも慣れて何故かヨシダさんとも

そこそこ仲が良くなってきたと、俺は思っている。

どうやらヨシダさんの方はレッドのときのイライラが溜まっているようでやたらと人に当たったり

「セックス」だとか性器のことやら下品な言葉が大好きらしく恥じらいも無くべらべらと話している。

いや俺たちは健康的な「男子」なのだから間違ってはいないのだが、どうにもカズキ様と話しているときのレッドを想像しながら

それを聞くと妙な気持ちになるのだ。

よくもまあ、こう使い分けができるもんだとメイドとしてもちょっと違う意味で尊敬している、今は。




「なあゴルちゃんアイス食いたい」

「…なあなんなんだよその「ゴルちゃん」って」

「あだ名にきまっとるやん、可愛いやろ。ゴルちゃんっ」

「ちょっやめろって!」


そう言って突然レッドが抱きついてきた。


掃除機を持っていた俺の腹に顔を擦り付けるように抱きつくレッド、人よりも体温が高いのか

すぐに俺の体から汗が噴出してきた。

少しひんやりとした汗、いやこれは決して冷や汗なんかではなくこいつの体温が高いからで、あっ、て。





「おいおい…レッドあんまりゴルゴからかうなって。そんなに盛ってるんやったら一人でシコってたらええやないか」

「何寂しいこというてんの。入れたり入れられたりすんのが楽しいんやないかいっ」

「…っメイド長!!」


天の助けとはこのことだ、全く。

確認のために部屋に入ってきたナグラがレッドを睨むと、レッドはにこやかに俺から離れた。

…はあ。









「なんでかなぁ…何時の間にお前はこんな淫乱男に」

「えぇ、ジュンちゃんかてえらい淫ら」

「お前それ以上言うたらしばくぞ」


ギロリとナグラが睨みつけるとレッドは黙りはしたものの恐れることも無く鼻歌を歌っている。

全くこのメイドという世界は慣れるなんて言葉が馬鹿らしくなるくらい妙な世界で、

真面目なナグラでさえ一般では使われるべきではない言葉を平気で発する。

掃除を再開しながら、深くため息をつく。





「…ああそういえば、レッドってメイドの前ではずっとそんな感じなんですか?」


ふと浮かんだ疑問に二人が目を丸くして俺のことを見つめた。

え、俺なんか変なこと言ったか?心でそう呟いたのが聞こえたかのようにナグラが苦笑いをしながら

顔を横に振った。

それは俺の心の声への否定だったのか、それとも質問に対するものだったのか。

何にしろナグラの対応からいってそうではないのだろう。




「んー…まあ恐らく、本性だしてんのは俺とお前の前くらいやないか?」

「本人から言わせてもそうやなぁ。他の奴知らんやろ、皆俺のこと白痴って思ってる思う」

「ああ後一人な、あの人の前でもそうだよなぁ、ほら…」

「ちょっ!待って!その名前ださんといて!うはぁ存在を思い出しただけで寒気がするー!」

「…そんなに否定しなくても」



目の前で繰り広げられる関西弁トーク―といったら兵庫と京都や!と否定されたわけわからん―に圧倒されながらも

なんとなく理解はできたはず。

つまりは俺とナグラと後もう一人、レッドがどうやら嫌悪しているらしい人物だけの前では本性である「ヨシダさん」が

でるわけだろう?


それはつまりどういうことなのだろうか。



1分もすると全く違う会話になってしまった二人の会話をBGMに掃除を続ける。


俺の担当するナグラとレッドの部屋はしばらくするとちり一つない部屋へと変貌していった。

「終わったんで次の仕事にいきます」と告げたものの、二人の返事はなかった。

あーあ全く。


















次はホールの仕事だ。

俺の仕事はコレで終わる、最初の頃には無かった仕事だったが2週間が経ったあたりで

俺の担当に付け加えられた仕事場所だ。

大理石の床、なかなかここの掃除をするのは好きだった。

しっかりと磨いてワックスをかけるとつるつるのぴかぴかになって気持ちがいいし、一番頑張った証を

確認できる掃除場所なのだ、ここは。


ワックスがけは3日に一階の仕事だけどこれが本当に楽しくて楽しくて。

それをナグラに言ったら「お前やっぱ変わってる」といわれてしまったのだが。






「さて…と」



三日に一度のワックスがけも終わって、さてそろそろ夕食作りだと立ち上がったそのときだった。









「こんにちわー!うぉー!新しい奴がいるセーックス!!」






突然あのバカでかい扉が開かれたかと思うと振り返る隙も無く俺はワックスを掛けたばかりの床に押し倒されていた。

勢いよく倒れたせいでスカートの中の決まりとして下着もつけていない下半身が曝け出されて慌ててそれを隠そうとするが

馬乗りになった人物が邪魔で、それさえできず。

うつ伏せに倒れこんだ俺はその人物が一体誰なのかも確認できぬままじたばたと暴れた。



「ちょ…っな、何…っ」

「新人って、あれだよなあれだよな!オオタケの"ゴルゴ"だよなぁ!

 うわぁ顔濃いなーフェラとか得意?」

「フェ…ッ」


思わず噴出しそうになって押さえたが顔の好調は押さえられない。


―なんだ、なんだ、なんだコイツは!!

突然現れて突然襲い掛かってきて突然下品な言葉を…!




はた、と

俺は何かにひっかかった、頭の奥底にあった何かの記憶が喉につっかかった魚の骨のように思い出される。

そんなに昔の記憶ではない確かこの人物を特定するには十分すぎるほどの情報を今さっき得たはずだ。

なんだったかなあ。あれかなぁ。あれじゃないといいなぁ…


妙に冷静になってきて、俺は暴れるのをやめた。

きっとこの行動―明らかに正常な成人男性がおよそすることがないDon't理性的な行動―をするような人物といえば

あの人物しか思い浮かばない。

名前はまだ知らない、だがしかし確実にこの人は。



「なあココでヤッていい?」

「は?!」

「俺新製品は全部チェックしたいタイプなんだよ!」

「新製品…ってうわっ!」


そういうと俺の上に馬乗りになっていたその人は少しだけ腰を浮かしてしかし俺が逃げる隙を与えず

上手く俺を反転させて再び俺の腹の上に座り込んだ。

顔も見えなかったその人は、カズキ様と同い年くらいの男性―つまり俺と同い年くらい―で

カズキ様と同じ様な赤いアロハシャツを身に纏っていた。

ふっくらとした顔つきと体が彼が金持ちであることを表しているようで、ちらりと見える八重歯が

まるでバカ坊ちゃん…いやいや可愛らしいお子様のようにも見える。

 どうやら俺の考えた線で間違えていないらしい。

この方はきっとナグラが言っていた「カズキ様のご友人」なのだろう。


カズキ様のご友人らしき男性は俺のエプロンを鼻歌を歌いながら肩から外しあっという間に服を脱がしに掛かっている。

慌ててそれをとめようとするがその手が止まることは決してない。

ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ…!

そうは思うものの、もし彼が本当にカズキ様のお友達だとしたらここで下手に断ったら後でどうなるかわからない。

傷つけでもして慰謝料なんていわれたら確実に俺はここにいられなくなるし人生はボロボロになる。

これはどうしたものか…



そんなことを考えているうちに彼の手はするすると動いて両手で俺の肩を押さえると首筋に顔を埋もれさせた。

ふいにそこを生暖かい舌で舐め上げられて、体が震える。


「ヒィ…っ」

「よし感度は良好」


そのまま下へ下へと進んでいく彼の下が俺の胸板を焦らすように嘗め回していく。

ちょ、まて。

おい、俺はまだハジメテも経験してないチェリーボーイだというのに

嫌だ、この前の状況もそうだけど!!



「や、や、や、やめやめやめやめめめめ」

「なんだよ、メイドのくせに。大人しくヤられなさいって」

「いや、その、場所も状況もむしろあなた様は…っあぅっ」



俺の反論が終わらないうちにはじめて感じるような、いつかどこかで感じたようないつもは感じることのない刺激が体中を走った。

そうだこれは、あれだ。ハジメテ感じたのはあの晩。

全ての刺激が下半身に集中していくようなこの感覚は間違いない、"愛撫"によるものだ。



俺が話すことに夢中になっている間に彼が俺の胸元の突起を舐め上げた。

ただそれだけのことで俺の体はぶるりと振るえ、体がウソのように固まってしまったのだ。


「あ…ぅ」

「おお弱いのか、ここ弱いのか!はははオオタケに教えてやろうっ」

「や、やめ…て…くださ…ヒッ」



俺が羞恥に駆られているのを知ってか知らずか…否確実にそれを知って男性は俺の胸元のそこ一点を

集中して音を立てて舐めだした。

びりびりと痺れるような刺激が、たまらなく甘く気持ちは否定しているはずなのに体はまるで肯定したいるかのようで。

俺が声を上げるたびに男性は玩具で遊ぶ子供の如く笑う。


メイドを人として認めていないこの行為の仕方。

ああもう何度も確認してしまうがこの人は本物の上流階級の人間

"館主"に違いない




「う…っぃ…ぐ…や、やだ…」

「ははははっじゃあそろそろ…」



にこやかに男が下半身のモノをズボンから取り出した。



と。







「いいいいいけませんマサカズ坊ちゃま!!そんなはしたない事してはお父様に叱られますよ!!」




突然現れた坊主頭のめがね兄ちゃんが慌ただしく現れそのままの調子で流れるように男を俺から引き剥がした。

フリルの付いていないエプロンに藍色の簡素なメイド服。

明らかに同業者の彼、だがしかしこの館では見たことのない顔だ。

同業者の男―メイドは男―マサカズ様の肩を掴んでお説教を始めている、とはいっても説教されている本人は耳にタコとでも言わんばかりに

顔をゆがめてそっぽを向いている。

何が起こったのかさっぱりだ。





「だからですね…っあ、そうだ!失礼しました、ええと…」


それまで説教を続けていた男がふと俺の方に振り返って話しかけてきた。

呆然としていた俺は「は?」と一瞬返してしまったがすぐに状況を理解して「ゴルゴです」と答える。

メガネのメイドは申し訳なさそうに頭を下げながら「すみませんすみません」と何度も繰り返す。



「本当に申し訳ありませんでした、ゴルゴさん!マサカズ坊ちゃまも悪気はなかったんです!

 そう、決して悪気はなかったんですがいかんせんこの方は少し血の気が多いというか、性癖に難がありまして…っ」

「は、はあ…」

「こ、今後はこのようなことがないようにボクが、いえタカハシがしっかりと見張っていますのでどうか、

 どうかカズキ様にはご内密に…!!」

「いや!い、いいわないから大丈夫、だって…」



カズキ様の名が出ると簡単には「大丈夫」とも言い辛いが―ここ一ヶ月でわかった彼は非常に独占欲が強い強すぎる―悲惨なほど

謝罪してくる彼―タカハシに俺はそう答えるしかなかった。




全くここに来てからまともなことなんて起こったためしがない…




「なんだよ、別に新しいのを試そうとしただけだろうがっ」



ただ思ったのは理不尽な理由で殴られるタカハシくんは、とてもとてもかわいそうだということだけ…



















「改めて紹介するけど、俺マサカズ=ミムラ!酒とか取り扱ってる"フレッシュ!"って会社の御曹司様!

 はははよろしく」



「わぁいマサカズ様やぁ」

「あっレッドー!!久しぶりー!」

「ぎゅー」

「ぎゅー」



きゃっきゃと喜びあうマサカズ様とレッドの両名をどうにも俺はほのぼのした気持ちなんかでは見守ることはできなかった。

口を一文字に結んでへの字にしようと眉を寄せようと目をウサギさんにしていようと今回だけは

俺の斜め横に立っているナグラが怒ることはなく、逆に同情を投げかけるように苦笑いをして俺とマサカズ様を見比べる。

ああやっぱりナグラの苦笑いの先はこの坊ちゃんだったのかと思って更に眉根を寄せると

今にも泣き出しそうな顔をしてタカハシが口パクで「ごめんなさい」を連呼して頭を下げまくるのが、

本当ならとめてやりたい所だが今はそんな心の余裕、ない。

むしろその行為に余計に腹が立って睨みつけてしまった、ごめんタカハシ。お前悪くないのにな、タカハシ。悲惨だな、タカハシ。




あれからまだ30分も経っていないだろうが、ずいぶんと長い時間を過ごしたかのような錯覚に襲われる。

しばらくしてあの現場にナグラが来てマサカズ様を宥めて客人用のお部屋にご案内するまでの時間、

どうやらナグラもこの「マサカズ様」の存在が苦手らしく始終苦笑いか引きつった顔しか見せない。

ただふらふらとやって来たレッドだけは心底嬉しそうにマサカズ様に抱きついてほお擦りを始めたのだが。




「そういえば、マサカズ様今回はどうなされたんですか?カズキ様は今出張でお出かけになられていますが」


と、二人がいちゃいちゃと抱き合っているその後ろからナグラが問いかけるとマサカズ様は1テンポ置いて

何か考えた後タカハシをちらりと見た。

どうやら代わりに答えろという合図らしい。

あわあわとしながらタカハシが話し始めた。なんかかわいそうだな、タカハシ。いっつも怯えてるね、タカハシ。



「え、えっと…今回はですね、マサカズ坊ちゃまがお父様と対立してしまい…

 マサカズ坊ちゃまはただ今家出中でして、親友のカズキ様にご相談されたところ丁度お出かけになるということで

 館に一週間だけなら泊まっていいと許可を出してくださいまして」

「は?!聞いてへんけどそんな話!」


「だって決めたの今日だし。オオタケもかなり嫌がってたの押し切ったからなぁ、

 許可出したときも相当機嫌悪かったし腹いせで連絡してなかったのかもな−」


とんでもないことを軽く口に出すマサカズ様。再び挙動不審になるタカハシ。

さすがのレッドもこれには引いたのかマサカズ様の死角で苦笑いしていた。



「ま!今日から一週間よろしく!ゴルゴ今日セックスな!」





「マサカズ坊ちゃま!!」



―はぁぁぁー…


こんなに深いため息ついたの、ハジメテです。















「うぇぇ…今日まかないかよぉ…」

「マサカズ坊ちゃま、さすがに急に押しかけてきたのですから仕方のないことではないかと…」

「うるせっお前もうずっと待て!」

「そ、そんなぁ…」



この光景を見ているとどれだけカズキ様がお優しいのかがよくわかって便利だなぁ…なんて、思ってみた。




いつもはメイドだけで行われる食事に今回はマサカズ様が加わり、皆緊張しながら床に皿を置いて「よし」がでるのを待っている。

カズキ様はレッド以外のメイドにはハシやスプーンを使うことを認めているがどうやらマサカズさまの場合は違うらしい。


 俺たちメイドは揃って床に皿を置かれ―もちろん中身はカズキ様がレッドに作るエサと同じもの―それを目の前に犬座りをさせられている。

朝から晩まで働いて腹がすいて仕方がないというのにまるで犬みたいに「待て」を申し付けられてエサを与えられるのを待つだなんて。

レッドでさえすぐに「よし」がでるっていうのに、こんなの酷すぎる。



「…ふぅ、ごちそうさま。よーし、もうちょっとだからなーよしよーし」


一番近くで"エサ"を食べるよう指示が出るのを待っていたナグラの頭をマサカズ様が笑顔で撫でた。

その笑顔に悪意は無いのだが、ナグラは引き笑いを浮かべ確実に殺意を表している。

ごめんナグラ、わかった。こういうことだったのか…



マサカズ様がゆっくりと歩き出して長い机の先まで歩いていって立ち止まり、にやりと笑ってちらりと八重歯を見せた後徐に口を開いた。



「よしっ」





一斉にみんなが貪り食うように皿にかぶりつく。

俺以外は確かみんなメイドの経験者だったというし、恐らくこれはメイドとしては可笑しくない行為なんだろう。

何の疑問も持たずに彼らはあっという間に皿の上をキレイにしてしまった。

おっ、と俺も遅れてはならないと慌てて皿に口をつける、がうまくいかない。

べちゃべちゃと顔中に汁や食べかすがついて食べにくくて仕方がないのだ。



「ん…ぅ、ぅっ」



ふと気付けばマサカズ様の視線がこちらに投げかけられている。

にやにやとまたあの楽しい玩具を見つめるような表情で俺の事を見て心底楽しんでいるのだ。

周りのメイド達も不安そうに俺のことを見つめてごくりと喉を鳴らす。

遅くなればなるほどやばい、今度こそなにをされるか。



「ん、ん、はぅ、んんっ」



なんとか後もう少しで終わる。

とはいっても他のメイドたちのようにはなかなかうまくいかず顔はどろどろに汚れてしまっているが

それも構わず最後の一口を舌で舐めとり皿も一欠けらも残らないように嘗め尽くした。



「…ぷ、は…っ」


「はいよくできましたっ」



見上げるといつの間にか目の前に来ていたマサカズさまの顔が見えて、四つん這いになっている俺からみると

同じくらいの身長のマサカズさまがまるで巨人のように感じられて

それに加えて何かのせいでその姿に恐怖を覚える。


これだ。

これこそ、メイド。


恐怖が胸に圧し掛かり、だがそれももう慣れたと言わんばかりに「怖い」と思うのと同時に

「ああ俺メイドだ」と確認してしまう。





「どうしようかなぁ…今日は誰にしよう。もっと早くくりゃよかった」

「マサカズ坊ちゃま…」

「うるせっ!!だからお前は黙ってろって、今日のお仕置きの相手くらい選んだっていいだろ!」



お仕置き?



背中をぞわりと駆けていく何かを追ってどこかに去ってしまいたい。

そんな気分になった。




「そうだなぁ…例えばぁ、セックスしたいっていったのに拒否した奴とか…」

「ぅ…」

「御飯上手に食べられなかった奴とかぁ」



心臓が飛び出るんじゃないかというくらい脈打って全身からひやりとした汗が湧き出して

体が痺れるように動かなくなっていく。

ああどうしよう怖い。それ俺じゃないか。

にやりと笑う顔が恐ろしくて仕方が無く、再び体が震える。


タカハシもこればかりは止められないのか何かいいたそうにしながら未だに待てを続けていた。

今度こそやばい。


立っていたマサカズ様が床に座り俺の肌に触れる。

それがあまりにも恐ろしく。



「お前だよ、お前」



口はしにちらりと見えた八重歯の子供っぽさとその迫力はあまりにも差がありすぎた。



絶望感、それはこのことをいうのだろう。

俺は言われるがままにマサカズ様に付いていくことしかできなかった。



















「ぅあ…っま、マサカズ様待ってください!」

「バカかよっ誰が待つか!…楽しいのはここからなんだからな」

「い、いやだ…っ」





『あどでぇーアターック!!』


ちゅどーん。



「よっしゃー!!ウィナー!ウィナー!なあタカハシー、これでどうなった?」

「30戦29勝1引き分けです」

「くそっ引き分けマジで最悪!!あと20回は勝たないと気がすまない!」


「ま…まだですかぁ…?」


俺はぐったりと項垂れハイテンションのお坊ちゃまが喜びの雄たけびを上げているのを一生懸命聞き流していた。

目の前においてあるテレビの中で同じようにキャラクターが勝利のガッツポーズをしている。

…ああもう…なんなんだ…っ



もう夜も更けたというのに、メイドもとっくに就寝時間を迎えているのだというのになんだろうなんなんだろうこれは。

マサカズ様に引っ張られるように連れてこられた客人用の部屋、これから何をされるのだろうと怯えている俺に差し出されたのは最新型のゲーム機。

黒いボディのそれに銀色の円盤が差し込まれるのを俺は目を点にして見送ることぐらいしかできなかった。



「…これだから嫌やねん、俺なんて発売前のRPGを誰よりも早くクリアーするための30時間につき合わされたんや、

 こればっかりはセックス担当のレッドが憎かったわ!!」


10戦め辺りでトイレと称して休憩にでたときに出会ったナグラが切実に語った、悲惨な過去の話。

30時間という何ともいえない数字に眩暈すら感じたのを今でも鮮明に思い出せる。

だって今も同じような眩暈が何度も何度も俺を襲うのだ、一体どれだけの時間が経ったのか…!


恐らくナグラや他のメイドたちが怯えていたのはこれのせいなんだろう。

お仕置き、それはつまりマサカズ様のゲームに付き合わされるという何とも過酷なお仕置きから逃れようと

皆必死だったんだ…俺も次からは気をつけよう。















「いつもはさーオオタケが一緒にやってくれるんだよ」

「え?」


と、ちょうど次のゲームに換えるのかタカハシが銀色の円盤を移している時突然マサカズ様が呟いた。

なんのことかと思えば先ほどまでの楽しそうな顔とは一転、退屈そうな表情。


「今日もオオタケと一緒にゲームやろうと思って誘ったんだけどさぁ、仕事で忙しいって」

「ああ、そうですね。カズキ様お忙しいようですから…」

「大変だよな、あの歳で社長なんてさ。オオタケの親父さんも…」


「坊ちゃま!」


マサカズ様が何かを言おうとしたところで円盤の移し変えが終わったタカハシが声を上げた。

怒っているというよりは何か気を遣った言い方。

そういえばカズキ様は俺と同い年だと聞いたけど、ずいぶんと若いうちに社長になったんだなぁくらいしか考えていなかった。

なんだ自分で立ち上げたわけじゃないのか…



「いいだろ別に。新聞にも「現役高校生社長誕生!」とかってでたんだし」

「そういう問題じゃありませんよ、大体マサカズ坊ちゃまだってもう遊び歩いている生活で満足するようなお年じゃないでしょうに、

 お父様もそれを気になさって…」

「あーはいはいわかったわかった!よしっ"ゴルゴ"!ゲーム再開、続けてってまた格ゲーかよっ」


真剣に説教するタカハシを無視してマサカズ様はまたコントローラーを握り、画面に目を釘つける。

ため息をついて再び部屋の隅へと戻っていくタカハシを見送りながら俺もコントローラーを握りなおし画面を見た。


現役高校生社長?

なんだか聞いたことがあるな、大分昔のことだけど…




テレビでも話題になっていた気がする。

親父が見ていたワイドショーで取り扱っていてなんとなく気になって俺も見たはずだ。



『―くんは、現役高校生で社長になるということですが…自信は?』

『あんまりないですね。でも父を尊敬しているので、いつかはその父に追いつけるように、そして追い越せるように頑張ります』

『すごいですね!さすがです…』



何故だろうか、確かにすごいとは思うがこのニュースを俺は胸を締め付けられながら見ていた気がする。

なんでだっけ?

えーと…












「あ…」



ふと、その記憶が鮮明に蘇ってきて。


「ん?どうした?」

「え…いやなんでもありません」

「ほら!早くキャラ選べって」

「は、はい…」


途端に針でつつかれたような痛みが胸を襲い動揺したその心をなんとか押さえつけ

適当なキャラを選んだところで決定ボタンを押す。



―そうだ、そうだった








「オオタケ、早く帰ってこないかな」

「え?」


バトルは始まって再びマサカズ様の猛攻撃が俺のキャラにヒットしている。

その手も止まって画面を見ているはずなのに視線は自然とマサカズ様に向けられた。




「早く…」






















「なんやまた休憩かい、そんなんやったらもたへんぞ」

「いや…なんていうか…こう、居ても経っても居られない?というか、その…」

「ん?」



大理石の高級感溢れるトイレ、そこで用を足すわけでもなく待ち伏せているかのようにそこにいたナグラと一緒に一服。

コントローラーを握る時間が長かったせいか少し震える手に苦笑しながらマサカズ様とのことを全て話した。

ついでにカズキ様のことも。





そうだ、思い出した。

現役高校生社長、それは単なるニュースではなくドキュメンタリーのようなもので。

その数ヶ月前にはそれの伏線となるニュースが全国に放映されていた。


カズキ様のお父様は、カズキ様が16のとき―10年前に不慮の事故でお亡くなりになったのだと

そして亡き父の後を継いで今の会社の社長になられたのだ。




「…そうかぁ、ここのメイドやからカズキ様有名人!なんて思ってたけど外はもう忘れるくらい時間経ってたんやなぁ」

「そう、ですね…申し訳ない話ですけど、今の今まで忘れてましたし…まさかカズキ様がその若社長だったなんて」

「いや、そんなもんやろ人の記憶なんて。どんなに感動したニュースでも自分に関係ないと感じたら忘れるもんや、気にせんでええ。

 でもそうかぁ…10年か。気付きもせんかった」



タバコを片手に遠い目をして語るナグラのその言葉はどこか重く深いものを感じた。

そりゃあ毎日テレビも新聞も見ないでひたすらメイドを務めていたら外の時の流れなんてわからなくなるだろう。

特にナグラは10年以上前、小学生の時からメイドとして働いていたと言うからすっかり外との交わりをなくしてしまったのかもしれない。

関係ないしなぁ、ここにいる以上は。

別にニュースを知っていようがいまいが関係ない、ただ館主のためにひたすらに働けばいいのだから。

そう考えるとこの「メイド」という仕事がとんでもなく寂しい職業に思えたが、それが事実だ仕方がない。




「今、俺が10年云々いってたのに引っかかってたやろ。そういう顔してる」

「ど…っどういう顔ですか」

「そういう顔や」


はは、とナグラが笑うと心臓がドキリと真ん中を突かれたように高鳴った。




「俺らが寂しい職業やとしたら、館主様も寂しい人たちが多いってことになるな」

「館主様が?」


俺の考えていたことを見ていたかのように語りだすナグラに問いかけると、軽く笑ってから「せや」と小さな声で呟く。




「カズキ様はな、幼稚園に入る前から英才教育っちゅーのを受けてた。漫画みたいにな」

「英才教育、ですか」

「そう。まさか俺らみたいにボケーっと生きてきた阿呆な高校生のガキが数ヶ月そこらで社長なんてなれるわけないやろ?

 あの人はそれだけの訓練を受けてきたってことやな」

「なるほど…」


俺が頷くとナグラは「またわかったフリしとる」とからかうようにいって、軽く睨みつけるとまた笑われた。

これくらいのことなら俺にだって理解できる、ただその"英才教育"がどのようなものなのかは全く理解できないし

ここは納得するべきではないと前回のことで懲りた俺の脳が命令する。わかってるよ、知ったかぶりは痛い目にあうんだよな。


そんなくだらない俺の考えをわかってかわからずか苦笑いしてから再び口を開く。関係ないが、それにしてもすごいな。エスパーかナグラは。



「一方今日お泊りになられているマサカズ様はお父様に大事に大事に育てられてきた。

 それはもう砂糖菓子のようにえらく甘い育てられ方や。

 好きなものはたっぷり与えられてきたし、もちろん愛情もたっぷり注がれてきた。

 ここは漫画やら何やらと違って愛情はもらえなかったという展開は、ない」



―典型的なパターンかと思った…

あえてそれは口に出さず、最後の一言に俺は苦笑いした。




「んー…だけどな。マサカズ様はカズキ様のような人としての"優しさ"をようしらん。

 例えば俺をゲームに30時間も付き合わせるなんてこと普通の人間ならしないやろ?

 それができる。ということはやな、あの人は最も"館主"に相応しい人間でもある」



ああ、そうか。


そういえばと思い、今日マサカズ様がとられた行動を思い起こしてみる。

まずあの人は俺たちのことを人と思っていない、あくまでも俺たちは"メイド"であり"ペット"であると考えていると思う。

それはマサカズ様の発言を聞けばすぐにわかることでもあった。

それに以前メイド仲間のケンが言っていた「本来のメイドは地獄」という言葉から、恐らく他所の館はマサカズ様と同じような方針で

メイドを雇っているのではないだろうか…そう考えると、ナグラの言葉も納得がいく。


メイド=ペット=家畜


その方程式から成っている「館」の世界から言えばマサカズ様のなさっていることは間違いではないのかも、しれない。

まあ俺からすればそんなの絶対に嫌だが。カズキ様万歳。




「本来館主ってのはなぁ、傍若無人、無責任、我侭言い放題…っそんな連中ばっかやねん!」

「は、はあ…」

「けど考えてみぃカズキ様のなんたる偉大さ!心は広く器もでかくそしてお優しくちょ、ちょっとえっちが濃く…」

「いや、あのメイド長…」

「ちょっといじわるのお言葉が…いやいやいやそれはどうでもええねん。な?」



こほんと一つ咳をして仕切りなおすナグラ。もしかしてこいつカズキ様のこと好きなんじゃねぇか?

いやまあそれはともかく、再び話が始まる。色々たまってんだな…



「まあ館主ってのはみんなそんな感じやろ?でもカズキ様は違うやないか」

「そう、ですね。なんだかんだいって俺たちのこと気にかけてくれますし」

「な。で、高校になってカズキ様に出会ったマサカズ様は衝撃を受けたらしい。

 金持ちなんてほとんどマサカズ様みたいな…いや、館主そのものの連中ばっかなんやけどな。

 でもカズキ様は違った」




カズキ様のことを語るナグラの目にはいつも光りが宿っている。

それは他の連中も同じだ、みんな。

みんなカズキ様のことを尊敬しているから、そして同時に感謝しているから。


それはマサカズ様も変わらないらしかった。




「今までは金と父親だけで解決してきたマサカズ様に友達ができたのはそれがはじめて」


「悲しいときには、おいしいものじゃなくて熱心にその悲しみの原因を聴いてくれる」

「嬉しいときには、ご褒美じゃなくてまるで自分のことのように喜んでくれる」

「一日のできごとを話す、うんうんと聞き流さずそれをネタにまた面白い話をしてくれる」



「初めてだったんやきっと。自分にぽっかり穴が開いてることに気付いたのが」




ふ、と瞼を閉じて。

もうすぐ終わりを告げるタバコを口に銜えてその表情に影を落とす。

それまでの光りと希望に満ち溢れた瞳から沈んだ、影を含んだ瞳でどこかを見つめて口を開くナグラ。

何故か胸の鼓動が早まる。



「でもな、俺はその"穴"は閉じられることなく放って置かれてることに気付いてないと思うねん、マサカズ様は」


「なんでだと思う?」


ナグラの問いかけに無言で顔を横に振るとまた苦笑い。

いやいやすみません、物分り悪くて。















「あの人がメイドを抱き続ける限り、その穴が閉じられたという証拠は現れないからや」






―オオタケ早く帰ってこないかな 早く…


そう呟いたマサカズ様の言葉が蘇ってくる。






 メイドが寂しい職業なら 館主も寂しい人たち



じゃあ、それじゃあ、あの人もそうなんですか?

そう問いかけようとしてやめた。

そんなのはわかりきっているのだから問いかける必要もない。




「マサカズ様は穴が少しでも広がるとすぐにカズキ様のところに来る。

 ええかげんにせぇとは思うけどな…ほんまあれ頭おかしいで、26で「坊ちゃま」やぞ」

「そうですね、そういえばカズキ様は「様」なのにマサカズ「坊ちゃま」ですか…」

「本人もガキのまんまやからそれがオカシイことに気付かへん。つくづく寂しい連中やな、館主て」




そういうお前もなんでそんなに寂しそうなんだ?



カズキ様以外の館主のことをボロクソいうナグラの姿がどうしてもかすんで見える。

それは今だけじゃない、愚痴を言うナグラはいつもの厳しく優しいナグラとはかけ離れた存在のように思えた。













「なーどうでもええけどゴルちゃん、もうそろそろいかへんとやばいんとちゃうー?」




「ひぃえっ」

「うはぁ!!」


背後から突然間延びした声。


恐る恐る振り替えれば…と、そこにいたのは俺たちと同じようにタバコを吸って便器の上に股を広げて

座っている親父、否レッドがいた。

いやいや、あのその"ヨシダさん"スタイルでレッドの声だすのやめてもらえます?




「なんや人を化けモンみたいに」

「ある意味化け物という点では間違ってないような…」

「ああなんか言うたかボケ!ナス!」

「言ってません。決して言ってません俺はなにも言ってません」



何があったのかヨシダさん状態―つまりは素でイライラしている状態。俺はこのヤーさんレッドをヨシダさんと呼ぶことにした―の

レッドをナグラがなんとか宥めつつ、備え付けられている時計をみて青ざめた。

…嘘だ、もう30分も経っただなんて。



「お前ほんまアホやなぁー、こんなサボってたんバレバレな状態でいったらマジでヤラレんで」

「え、えぇ…」

「…まあ、今回は?俺が?代理してやっても?ええけど?」




……

………。


ははあ、つまりそういうことですか…


俺の後ろでため息をつくナグラをヨシダさんはケラケラと笑ってからかっている。


「つーかお前いつからいたんや」

「最初からーシコってたらお前らがきて」

「どんだけ盛ってんねん!」

「しかも会話中にイッたぞ」

「…それはさすがに、すごすぎるぞ」


拝啓、親父様。俺はこの人たちについていける自信がありません…
















「あ…っま、マサカズ様ぁ…っひぃあぁ…っ」

「やっぱレッド最高…っ」



なんとも官能的な声と音をバックにタカハシとゲームをしている俺は、ここへ来たときよりもどれだけたくましくなっているのだろう…

ヘッドフォンをつけてなるべくその声が聞こえぬように俺たちはゲームにひたすら没頭した。









寂しいから 抱く

どこかに空いた穴を埋めるように 俺たちのことを抱く


いつしか愛も何も無く性処理のためだけに抱かれることで空しさを覚え俺たちにも穴が開く


その穴を埋めるようにして俺たちは仕事をする

外の世界を忘れ 時を忘れ 全てを忘れて

開いて閉じることのない穴をパズルを作るように

小さな小さなピースをはめては その穴に落とされる



つくづく嫌な世の中だなぁ


そんな一日だった










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