彼が荒らしのように現れてから

嵐のような一週間が過ぎ

とうとう館主様が帰ってこられるその日がやってきたとき

途端にやってきたこの安心感はなんなんだろう…











MAID―メイド―
"どちらさまでしょうか?"










「ただいー…まぁ…」



ようやく帰ってこられたカズキ様の姿を見て俺は涙が出てくるほど安堵した。

じわりと滲んでくる視界の向こうに立つ姿がなんと神々しいこと。





「おう!おかえりぃオオタケ!!」

「かずきさまぁ…」





彼がやって来たときと同じように掃除をしていた俺を押し倒しているマサカズ様が犬が尻尾を振ってご主人様を迎え入れるようにそう叫んだ。

俺はというと死にかけのしまうま、といったところだろうか。



無言で近くに座ってそれを見学していたレッドを蹴り上げるカズキ様、そして喜ぶレッド。



このわけのわからない状況は必死に謝り続けるタカハシの登場でようやく落ち着くのであった。さすがだねタカハシ。

















「つーかマジで来てたのかよ…一週間も。お前の親父さんから居所知らないかとは聞かれてたけど」

「あー親父にはさっき連絡したんだけど、今回は許してくれるってさー今度は後二年」

「え?28まで遊び歩くつもり」


ははは、と談笑するカズキ様とマサカズ様を俺たちは傍観することしかできませんでしたマル






カズキ様がお出かけになられている一週間、マサカズ様はしっかりここに居座っていた。

常日頃から節約を心がけていられるカズキ様の方針で豪勢とは言い辛い食事や多少固めのベッドに文句は耐えなかったがマサカズ様の奇行、ご乱心にはすっかり慣れた。

そう、たとえ仕事中に押し倒されても夜中にゲーム三昧に付き合わされようともう、もう大丈夫…!


とはいえそれも我慢の限界が近づいていて俺の希望はとにかく「カズキ様のご帰宅」だけだった。

それはナグラや他のメイド達も同じだったらしくカズキ様のお姿を見たときの皆の衆の顔といったらもう。

あんなに和やかかつ感銘を受けた表情は滅多に見れるもんじゃない、ああカズキ様万歳。あなたしか見えない。








談笑を始められたお二人の邪魔にならないよう俺とナグラ、タカハシにレッドのメイド四人は静かに部屋の外に出た。

しかしいくらお優しいカズキ様といえども本当にあの我侭…いやいや自由奔放な館主―正確には館主見習いらしいが…父上のおこぼれを預かっているらしい―とご友人なのかと不思議に思っていたが

しかしその疑問はお二人の会話を聞いているうちに案外あっさりと解けてしまった。

ナグラが言っていた話が本当だったと言えばわかりやすいだろうか、自分のことを話したがるマサカズ様に人の話をしっかり受け止めてくださるカズキ様は周囲から見ても良い関係に見えた。

自分にはあまりそういった友人が居ないので羨ましかった。まあこの世界でそんなもの望むことがまちがっているんだろうけど。


それにしても、だ。




「なあお前カズキ様が帰ってきたんだから、いい加減それ脱げよ…」

「えーええやんーかわええでぇ、ふりふりやしぃ」



タカハシがいる手前"レッド"状態のレッドがにこやかに答えるが、もちろん俺は釈然としない。というのも



「俺も賛成やな、さすがにがたいのええお前がそれ着てると吐き気すんねん!脱げ!」

「いやーいややーぬがさんといてーおーかーさーれーるー!」


ナグラが剥ぎ取ろうとしている服、それは確かにメイド服だ。確かに、確かにメイド服なのだが。




レッドが今来ているメイド服はいかにもマニアック系の方が好みそうな俺たちが着ているメイド服とはまた異なったもので、マサカズ様が着せたものだ。

スカートの裾や所々にふりふりのレースが施されていてうちのメイド服が紐リボンなのに対してピンクの大きなリボン。

エプロンはいつもの倍レースが付いていて、何よりスカートの丈の短いこと短いこと。

膝上25センチはあるんじゃないかと思うほど短いスカートの下にはニーソックスとつなげられたガーターベルトかっこぱんつ無しかっこ閉じる。

 俺ならこんな服を着せられた時点で自害しているが、ここはさすがレッド笑顔でこれを着こなしている。

それにしても肩は張っているし背は高いし確かに足はきれいな方だとは思うがそれにしてもこれはいくらなんでも、攻撃力が、高い。

なぜそれを脱げ脱げと促すのかと言えば、どうせ目の前のコイツは今一生懸命怒りを抑えているだけでそのたまりに溜まった怒りとストレスがどこに向かうかといえば1割ナグラの9割が俺なのだから

たまったもんじゃない。

"ヨシダさん"の怒りはそりゃあもうお分かり頂けた通りの恐ろしさだから。



「全くマサカズ様もいい趣味しとるわ…っだから脱げい!」

「すっすみませんすみません…っ!そのマサカズ坊ちゃまは、今アキバ系にはまっておられまして…」

「アキバ系って…」


がくりと項垂れると体を90度近く折り曲げているタカハシの視線の届かないところでレッド、いやヨシダさんが鬼のような形相で俺を睨みつけてきた。

ああどうして俺を恨むのだろうかこの人は。俺は、俺は全く悪くないというのに。

涙だってでてこない、だってメイドだもん。
















「ま、なんにしろカズキ様が帰ってこられたし、マサカズ様は帰られるようだし。

 邪魔されてようできんかった仕事はたんまり溜まってるからな、今日からまたハードな仕事や

 あとこの後お客様もこられるからなぁ」


「邪魔」の部分を強調していうナグラは一番最初に出会った頃と同じ格好―口元にハンカチを巻きアメリカの機関車強盗ルックで満面の笑みを浮かべ言った。

どうやらマサカズ様がお帰りになるのがそうとう嬉しいらしくその笑顔は今までに見たことないくらい輝いている…ああナグラ、よかったね。

かくいう俺も流石にこの一週間あのお方のお相手をしてきて失礼とは思いながらも度々「カズキ様早く帰ってきて…!」と願っていた。

シモネタや下品な言葉はナグラとレッドの会話で慣れてきていたからそれはよかったが、さすがに仕事さえできないほどお相手しなければならなかったのはキツかったし、

この一週間まともなものも食べていない。

最初はレッドが食べているくらいまだまともな"エサ"だったのだが、それが次の日からはマサカズ様のご指示で「ミムラ家」特製のエサになってからはああもうそれはそれは地獄だった。

酷いときにはドックフードなんて食べさせられた。

笑顔で「今日は豪華だろ!感謝しろよ!」といわれたときにはその場にある何かで彼を殺害しようとしてしまった。人間恐ろしい。


とは言うものの、何が一番酷いかといえばやはり全てに悪気が無いこと。

悪意を持ってそうしようとしているわけじゃないのが一番怒りを感じたし、そして恐怖も感じた。


まあ館主なんてそんなもんだと聞かされ続けているしもう驚くことも無い。

この世界で驚くことなんてもう無いだろうなんて諦めていたりもする。




話はそれたが、話を要約すればつまりここ一週間ずっと館の仕事をすることができなかったのだ。

館内のメイド全員でフリスビー大会なんてやったし。

ゲーム大会もあった気がするし、パーティーも開いた―このパーティーで缶詰めのドックフードを出された―し、料理は少しでも豪勢なものをと

コック長だけでやっていたし。

掃除はされていなかった上に洗濯も溜まりに溜まってる。

他のメイド達は俺たちよりも早くに大掃除や洗濯を始めていた、そうだ俺たちも早く始めないと。



「えーと、じゃあ…」

「お前はこれ。つーかみんな逃げてこれしか残ってない」


ナグラの顔を見るとデッキブラシとバケツを渡された。

笑顔で渡されたそれはつまり…





「お庭の噴水掃除」

「うわぁぁぁ…」















お庭の噴水掃除は全く持って人気の無い掃除場所だ。

掃除方法は単純、水も入っていない噴水の中に入って時々そこの枯葉をかき集めて外に出して更に水を出して洗うのだが。

なんていったって寒い、この季節に半そでのメイド服でくるぶしまであるスカートを腿までたくし上げはだしで掃除するのは辛いというほか

表現方法が見当たらない。

しかも大きな噴水を担当するのはいつも一人。

ここはお屋敷もお庭も全てが広いから今回のように洗濯や料理まで重なると特に庭園に凝られていないカズキ様の方針で

どうしてもこういった場所の担当人数は削られていく。


孤独、寒い、俺はホームレスか!


そうつっこんだ途端恐らく本物のホームレスになるであろうことは重々承知だ、渋々ホールの扉前でスカートを捲し上げ用意していた白い布紐で縛った。

腿の当たりで止められているスカート、その姿はまるでかぼちゃパンツをはいているようでなんとも屈辱的だったが

これも全てはカズキ様のためだ…

ため息をつきながらも俺は扉に手を掛け全体重をそこに乗せた、と。




「ぅおっと…ぅ」



突然力も入れていないのに扉が開き体がよろめき、倒れそうになったところで何かにぶつかり慌ててそこを掴んで転ぶのを阻止した。

目の前が真っ暗になる、何が起こったのかはわからない。




「あー…あの。ちょっといいすか」




頭上から声―なんともやる気も覇気も無い声―がして慌てて体制を直そうと体を起こそうとしたところで肩を何者かに掴まれ引き剥がされるようにして元の位置に戻った。

どうやら扉を開けようとしたときに丁度タイミングがあってしまい外に居た人物にぶつかってしまったようだ。

また館主様だったらナグラに何を言われるかわからない、慌てて俺は謝ろうと顔を上げた。の、だが。





「っどぅわぁあああ!!」





見上げたそこには自分よりもはるかに身長も高くがたいもレッドよりはるかにいいすこしあごのしゃくれた大男がいて。

俺は思わず叫んで飛びのいてしまった。

そしてしりもち。


「なんすかいきなり人の顔みて驚いて…つーかあんた誰」

「だ、だだだ誰はゴルゴで俺はだれですかっ!ここはあんただ!」

「いやいやわけわからないから」



冷静につっこまれた俺を、大男は光の無い半眼で俺のことを見下すように見つめていた。


大男はそのまま徐に近づいてきたかと思うと怯える俺にはーヤレヤレといった様に手を差し出し、おずおずと俺がその手を握ると想像以上の力でそれを引き上げる。

またバランスを崩してその大きな体に飛び込んでしまったが今度は転ばないようにゆっくりと後ろに一歩下がった。

そんな俺の姿を大男は怪訝そうな目でみて「なんだよ」と悪態をつく。

もしかしてまた館主様か、と思って冷静に大男の風貌を見ているとそれが違うことがすぐにわかった。


大男は俺たちと同じようなメイド服を着ている。

丸襟でリボンも何も付いていない黒のシンプルなメイド服、エプロンにもレースがついていなかった。

そういえばメイドはメイド服を着るものだ程度にしか考えていなかったが、どうやら家々によって違うらしい…

いやいやそれはともかく。


どうやら彼は"同業者"らしく、それを俺が今理解したということを大男も察知したらしく軽くため息をついている。




「まあいいけど、とりあえず俺はお使いに来ただけですから…ナグラさんいます?」

「ナグ…メイド長は今大掃除の監視で館中を回ってるから、ちょっとわからないな」

「じゃあカズキ様は?」

「カズキ様はご自室に…案内を…」

「いいっすよ、多分あんたより俺の方がここのこと知ってるから」



それだけ告げると大男は名前も告げずずんずんとその大きな歩幅で館の中へと入っていった。

俺よりも、ということは俺よりも前にメイドをはじめていたということなのか、それともカズキ様と古くからのご友人のメイドなのか。

恐らく前者も後者も当てはまるだろうが突然のことで俺の脳の処理も追いつかずわけもわからず見送ってしまったが…



一体彼はどこのメイドなのだろう?


あのメイド服からいってマサカズ様のところのメイドではなさそうだし、不思議に思いながらも消えていく彼の背中を見送ることぐらいしか俺には出来なかった。

何せそんなことを探るよりも今は仕事を終わらせなければいけないのだから。


「ああそれとー」

「えっ」


「チャイム壊れてましたよ」


…仕事、増えた。















「さて、はじ…さびぃー!!」


第一感想、それ。



ようやくチャイムの修理が終わって、正体のわからないメイドの相手をしていた時間を入れてすでに一時間近くが経っていた。

それだけの時間が経っているのに未だ水を張ったのみのこの噴水をナグラがみたらとんでもないことになるだろう…早く仕事を進めなければ。


枯葉を掻き出す作業はなかなか早くに終わったのだが、これからが大変だ。

噴水といっても小学校のプール―25メートルプールほどの大きさがあるこの噴水の掃除はいくらいつも水が張っていないおかげでコケが生えていないと言っても時間は掛かる。

完璧主義のナグラの心を満足させるにはこれを隅から隅までデッキブラシで磨き上げるほかない、何故かコケも生えていないのにあいつはサボったかサボっていないかをすぐに見分けることが出来るのだ。

全くメイド長になるために生まれたような男だ、すごいとはおもいますけどね。ね?





「うわ…冷たい…っ死ぬ、死ぬ、死ぬぅぅ…」



膝まで浸かっている水は骨の髄まで凍えさせるほど恐ろしく冷たく泣きたくなるほど。

その中を丹念に掃除していく、およそ全てにかかる時間は30分から一時間近く。

今日に至っては仕事を早く進めなければいけないから休憩なんて入れている暇はない、つまりはこの状態がそれだけ続くということで。

絶望感に駆られながらも少しでも早く掃除が終わりますようにと祈りつつそれを自らの手に委ねた。

こればかりは神に祈ったからってどうにかなる問題じゃないだろ…あーあ…。








「大変そうだね、新人くん…かな」



突然背後から話しかけられ、本日二度目のびっくり。



「うわっ」


バランスを崩した俺を今度支えてくれるのはなんとも頼りない細い細いデッキブラシ。

咄嗟にそれを前のめりになったそこに突き出し杖のように噴水の底に突き立てる。

片足が上がりバランスを取るために片手はデッキブラシに、もう片方の手は横に広げる形になってしまいまるで新体操のバランスのような姿で固まってしまった。

これはどうにもお笑いのポーズだったが今はそんなこと言ってる場合では、ない。



「ぉぉぉお…!!」

「ぅわっごめん!耐えろ!おいリョウ!早くきてリョウ!」



一生懸命に手を差し伸べてくるその声の犯人であろう人物―優しげな声と比例していかにも人が良さそうな垂れ目の優男、黒いスーツに黒いコート、そして黒いマフラーに極めつけの黒いサングラス。

サングラスの奥に見える目は確かに優しそうで人の良さそうな風貌なのに、なんだろうこの不釣合いなカラスのような格好は…



と、言ったように人間というのはこういうときに何故かヤケに冷静になるものでその風貌をのんびりと観察してしまった。


―いやいやそんなことを考えている暇はないんじゃないだろうか、俺。


ほら、そうつっこむもう一人の俺もいるわけだし…

しかし時はすでに遅く。



「なんですかウチムラさ…ってうわぁ何…っ」





 ばしゃん




俺、落下。

















「ほんっとゴメン、なんとお詫びしていいか…!新人のメイドさんがいたから、声かけたくなっちゃって」


はは、と笑って誤魔化そうとするその人物―ウチムラさんはびしょぬれの俺に自らが羽織っていたコートを肩に掛けてくれそのまま震える俺の手を握って館の方へと俺を導き出した。

コートもあったかいし手も暖かいのは大変嬉しいことなのだが、だが、だが、何かが釈然としない。


明らかに不機嫌を顔に出している俺をウチムラさんの横に経っている青年が苦笑いして見ている。

ウチムラさんはともかく、長袖のTシャツにジーパンといったそこら辺に歩いていそうな大学生な彼は一体何者なのだろうか…むしろ二人が、何者だ。



「全くウチムラさんは先を考えないのがいけないんですよね、そこが欠点だと…」

「うるせぇオカマァ!てめぇは黙ってろよ!」

「ちょっとー!なんですかそれー!」


突然変貌し別人のように叫びだしたウチムラさん、そしてそれにまるでリアクション芸人のように答える大学生―リョウ。

ああ、本当に俺は今どのような状況下におかれているのだろうか…

全く検討が付かない。

ただわかるのは今びしょぬれになった体がとてつもなく冷たいことくらい。


「ひ…ひ…ひくしょっ」


「…ご、ごめん」

















「お前全くもってドジやな!あー!!信じられんテルヨシ様にご迷惑おかけして…!ホンマすみません!」


「いやいやいや俺が全面的に悪かったから!俺がちょっかいだしたのが悪かったんだって!」



何か勝手に会話を進めている二人を尻目に俺は用意してもらった石油ストーブで暖をとっていた。

おしおきといわんばかりにバスタオルもなにも渡されないまま服だけを脱がされますます不機嫌になった俺だが、どうやら文句を言える相手でもなさそうなので

とにかく黙ってストーブ側をむいて頭を叩き続けるナグラを時折睨みつけ続けている。



「カズキ様とマサカズ様はカズキ様のご自室にいらっしゃいますので、ご案内いたします…」

「いや、いいよ。場所はわかってるし、二人でいくよ。…それにしてもごめんな"ゴルゴ"」



再び謝るウチムラさん…テルヨシ様、何故か俺が悪いことにされているせいでやはり納得はできなかったが最後にこれだけはいっておくことにした。



「別にいいっすよ」


拗ねた口調でいった俺の頭にナグラの肘がクリティカルヒットした。

















「あーあ…お前あほやなぁ…あのお方はな、館主の中でも特別中の特別。

 もしテルヨシ様の正確がまあ、そのひねくれとったらお前ここにもうおらんかったんやで」

「特別、ですか」

「そ、あのお方は政府のお役人やねん」


"政府"


その一言がでて、俺の眉が反応してぴくりと動いた。




政府といえば例のめちゃくちゃな法律を作ったお国の最高機関。

その法律のせいでどれだけ国があれたかを知ってか知るまいか100年ちょっとづつ変更はあるものの大元は解決しようとはしていない、

何にしろ俺の認識ではあまり良い印象のない組織の名。

こうして俺がここにいてこんなことをしているのも本をただせばその"政府"の作った法律のせいなのだ。




「政府…ああ聞くだけでおぞましい、そんな感じやな」

「まあ、好いてる人間は館主様たちくらいじゃないんですか?」

「ま、そりゃそうやけど」


きょろそういってナグラはきょろと辺りを見回してから暖炉近くにある食堂への扉に歩いていったかと思うと、

すぐにでてきて俺に目線を合わせないまま何かを俺の頭に被せた。

ふわふわとしていて温かみのあるこれは、恐らく…タオル。

俺がにやにや笑ってその顔を見るとあからさまに目線を逸らすナグラ、ああそんなお前が大好きだ。




「ま、まあとにかく、だ。テルヨシ様は…そうそう、テルヨシ=ウチムラ様は詳しく言えば"施設"東京支部のオーナー。

 本人はオーナーっていうと遊郭の支配人みたいなこと言うなよって嫌がるんやけどな」


コホンと咳を一つして、少し気まずそうにナグラが言った言葉はどこか遠い国のオヒメサマが結婚する話を聞いているような、そんな感じ。




"施設"

日本に1000人しか存在しない"女性"の保護施設のこと。

東京支部にはたしか200人ほど保護されているはずだ、全国で一番多いとかなんとか高校の教師は自慢げに言っていた。


女性なんて生まれてこの方一度だってみたことがないし俺は人工授精で生まれたいわばクローンだから、関係ないと蹴ってしまえばそれだけの話。

日本だけじゃなく地球全体でも館主以外関係ないだろう、一般庶民には。




「どんなことかなんてわからんやろ?しょうがないとは思うけどなぁ」

「オーナー…すごい人と知り合いなんですね、カズキ様」

「カズキ様のご幼少の頃からお知り合いやからな、間違っても政府どうたらこうたらってことで付き合ってるわけやないんやけど。

 それにしても政府のお役人様やで。しかも"施設"のオーナー…管理人となればそれはそれはすごいことや」

「そうですね、政府になるのだって館主の中でもそうとうの金持ちで頭のいい人間じゃないとなれないって聞きますし」



頭に被せられたタオルで頭を掻き毟り体にまだ残っている水滴を拭いていく。



驚くことが多すぎて驚けない、これも例外ではなく一ヶ月前の俺が聞いたらそれは驚いてしりもちをついていたかもしれないが

今更"外"の話をされたところで「うわぁすごいなぁ」なんて思うことはできなかった。
















「ほれ、新しいメイド服。今度は汚すなよ」

「あ、どうも…」



渡されたメイド服に袖を通すとふわりと太陽の香りがして心が落ち着いた。

"外"に居た頃と変わらない感動のうちの一つだ、滅多に家事をしようとしない親父が時々干してくれた洗濯物の香りと似ているようで違う香り。

それでもその香りをかぐととても心が落ち着いた。




「ま、俺の話は参考程度にな。あんまりご迷惑やら失礼はせんほうがええって話。

 …つーか俺最近お前の情報源になっとるな…」

「助かってます」


はは、と笑うとナグラも眉を下げて苦笑いをして俺がメイド服を着替え終わったのを確認すると再び掃除場所へと戻ろうと歩き始めた。

本当にナグラは厳しいが、どこまでもお人よしというか。

新人として可愛がってくれているナグラに感謝しつつ俺も急いで近くに置いてあったバケツとモップを手に取り

とりあえず俺が座っていたせいで水溜りができていたそこを拭きはじめた。








リンゴーン…





と、どこからか大きなベルが鳴る音が聞こえた。

聞き覚えはなかったが、音からしてチャイムの音だろう。

きっとさっきのメイドが教えてくれた通り壊れていたのを俺が直したから、俺がこの館に来て初めてその機能を果たしたのだろう。

だとすると俺がやって来た日はどうしたんだ…?

そう考えるともしかしてナグラが妙な電波を駆使して


いや、そんなことを考えてそれこそあの鋭い勘で暴かれたらたまったもんじゃない。


とりあえず俺が来たときのようにナグラか誰かが対応するだろうからと、俺は再び掃除を始めた。








「…来たかなぁ…」



「ヒッ」


突然背後から声がして、驚いて反射的に振り向くとそこには先ほどのメイドがいた。

相変わらず「ぬるっ」と現れる妙な奴だ。

背後をとられてここまで危機を感じる奴も少ないだろう。


メイドは俺がそこにいないかのように何も声をかけないまままたずんずんと進んでいく。

メイドにしては随分と神経の図太い奴だ、俺よりはかなり先輩だろうけど。



とりあえず誰も来る様子がないのにでその後ろに着いていく。

「どうしてメイドのお前がお客様ほったらかしにしてんねん!」とナグラに無駄にどつかれるのも癪だし、宣言どおり大量のやって来る

客人にため息をつきながらも扉の前に立った。

ふとようやく俺のことに気付いたらしいメイドが、鋭い目つきで俺のことを睨みつける…いや、目つきが悪いから見ているだけかもしれない。

何かこう、ト●ロを思わせる人物だ、あるいはゴルゴ13。


黒目が小さめな鋭い眼光に耐え切れず俺が目を逸らすと、特に何も言わずまた視線を扉に戻すメイド。



「これから来るの俺のご主人様」

「へー…え?なんで先にきて…るんですか?」

「タメ口でいいっすけど?どうせ俺より年上だろうし、あんた」

「え、あ、お、おお」


別に誤魔化したわけではないだろうが質問には答えてもらえずじまいになってしまった。

どうしてだろう、震えが止まらない。

ああわかった、彼はトト●でもゴルゴ13でもない、漂わせているこの妙な空気。


ヤンキー?



「今失礼なこと考えてたでしょ」

「い、いや!考えてないって!」


俺って考えていることがわかりやすいのだろうか。








そんなこんなで扉は開かれたわけでして。














「お待ちしてました」


メイドが今までとは打って変わって静かに、かしこまった様子で礼をする。

早すぎず遅すぎずのそれをみるとナグラやうちのメイドたちのカズキ様に対する態度と酷く酷似していた。

自らの身分を見極めあくまでもあなたに服従しますと示す礼。


現れたそのメイドの主人、俺も慌てて礼をする。




「ちょっと遅れたなぁ…ミムラさん怒るだろうな、他の二人は気にしなさそうだけど」

「荷物お持ちいたします」

「ありがとう。コートもよろしく」

「かしこまりました」



恐ろしく速いスピードで進んでいく会話を俺は顔も上げられず大理石の床とにらめっこしながら聞いていた。

カズキ様よりもよっぽど"主人とメイド"らしい会話に戸惑いが隠せない。

それに優しさと誠実さの混じったメイドの"主人"の声がとても耳障りがよく、どこか聞き覚えのあるそれに何故か胸が躍った。



「で、そこのお前はいつまでそうやってるんだ?」



茶化すように言うメイドの主人。

だがしばらくそれが俺に向けられた言葉だと気付かず。



ちょいちょい、と背中をメイドに突付かれてようやくに気付き、慌てて顔を上げようとしてすっ転んでしまった。



「どぅわっ」


ビタン、と激しく音がして尻から落下する俺…よく転ぶ日だ。

転んだ瞬間に長いスカートがふわりと舞い、慌ててそれを両手で押さえると笑い声が聞こえてくる。

ククク、と聞こえないようにと耐えながらの笑いが余計に羞恥心が増す。



「面白い奴だな、新人か?」

「そのようですね…ああお手が汚れてしまいます」

「汚れないよ、手を握ったくらいで。大丈夫か?」



メイドではなく主人だという男の手が目の前に差し出されて、恥ずかしくて顔を上げることもできないままその手を恐れ多くもお借りし

ぐいと引っ張られて勢いよく立たされた俺はその反動でその胸の中に突入してしまっていた。

暖かな胸に頬が当たり、慌てて離れようとするとまた主人の笑い声が聞こえてそれ以上動くことができなくなってしまった。



「本当に面白い奴だなぁ、慌てるなよ」

「すすすすすみま」



「申し訳ございません」


「ぐわ」


謝ろうとしたところで誰かが―後ろにいたメイドが俺の変わりに何故か謝り、その図体から繰り出されるバカ力によっていつの間にか俺は引き剥がされていた。

俺がマヌケな声を出そうがメイドには関係ないらしく相変わらずのポーカーフェイスのまま主人にぼそぼそと何かを伝えている。




「ツチダー…お前そんななぁ、メイドとしてきっちりしすぎてないかぁ?」

「いえ、ただ他所のメイドといっても同業者として今の対応はどうかと思っただけです」

「…怖いなぁお前…ごめんなぁ、コイツメイド…ん?」


引き剥がされて、危うくバランスを崩して倒れそうになったところをなんとか耐えて、ようやくまともに立つことができて息をついていると

主人が何やら声を上げた。

「ん?んん?」と何かが気になるらしくまじまじと俺を見にこちらまでやってくる主人。

な、なんだと顔を上げることが出来ない。



「お前…ちょっと顔上げてみ。なんかどっかで…」

「はい?」


そう言われてようやく俺は顔を上げ、その主人のお顔を拝見、して…





「あ」

「…っう」





そこにいたのは以前見た顔。

茶色のクセ毛、垂れ下がった眉、首に巻かれたネクタイ代わりのスカーフ。



そうだ、どうりで声を聞いたことがあると思ったんだ。

この人物はここにやって来る前、荷物を持ってきてくれたあのお人よしの男。

そう彼は―…

















「ウエぴょんっ!!」



















次の瞬間、後頭部に感じたことのない衝撃を受けていた。


気付けば鬼の形相、いや般若の面をしていると思われるナグラがはるか後方で何かを投げ終わったような格好をしていた。

そして足元には水が入ったバケツ。



「ど…どうやって…」

「遠心力や」



遠心力かぁ、そうかぁ…ってなるか!!!


床に沈み込んだ俺はもはや動くことすら許されない口をパクパクとさせ、心の中で叫ぶようにつっこんだ。






「も…っ申し訳ございませんシンヤ様…!!」

「い、いや気にしなくていいよ、俺がそうやって教えたから…っつーかお前相変わらずすごいな」



ばたばたと駆けてくるナグラの足、そしてウエぴょん―シンヤ様?―の足が見えて。

俺のうめき声さえ「黙らんかい!」と叱咤するナグラ。むごい…



「お前なぁ…っああもうええかげんフォローするのもアホらしくなってきたわ!」


頭を抱えてため息をつく様はまるで疲れきったサラリーマン。

そんなナグラの嘆きを他人事のように聞きながら苦笑いするウエぴょんことシンヤ様の顔をまじまじと見てしまった。








「この方はあのウエダカンパニーの御曹司であり部長殿の"シンヤ=ウエダ"様なんや!!お前ほんまそれを…ああもう!!」






ウエダカンパニー…ああ聞いたことがある。

こう、総合的に…通販会社的な…




両手を広げてシンヤ様の素晴らしさを語るナグラ、それが俺の最後の記憶だった。




















「はははゴルちゃん失敗してもうたなぁ」

「くそぉ…今日はとんだ目にあった…!」





様々な騒ぎがあって結局気絶してしまった俺が目覚めたときには、時間はそれに構わず過ぎて夜になっていた。

いつもとは違う少し柔らかなベッド、どうやらレッドとナグラの部屋に運んでもらったらしい。

しばらくは頭痛で起きることもままならず今もその痛みは容赦なく俺に襲い掛かってくる。

しかもそれに加えて体中を蝕むこの高熱。

不覚にも風邪を引いてしまったのだ。



次から次へと出てくる鼻水をかんではティッシュを捨てかんではティッシュを捨てを繰り返す。



「ナグラがな、たぶん疲れと今日の噴水掃除のせいだろうっていってた」

「ちくしょぉ…いや俺が悪い部分もたくさんあったんだけど、あったんだけど…!」

「わかってるわかってる、まあ約一名の仇は俺がとってやるから。そんなん考えてたらもっと風邪ひどくなるて」

「仇…ああもうこの際とってもらいたいよ全く…」



こう言うのも難だが、そしてあの方のせいにしてしまうのは非常に悪いのだが

全くあのお方がこの屋敷に来られてからいい事など起こったためしがない…

まああのお方といえば、嵐を巻き起こした張本人のことなんだが。




「ああ…まあ伝えるのも癪なんやけどなぁ…」

「んー?」



「シンヤ様が、ごめんなーだって」







 ふと、思い出した。

色々な災難があったが今日はたくさんの人に出会った…と思う。

その中でもやはり気になる人物がいた。


シンヤ様。


何故だろう

あの人が俺の中で理想の"ご主人様"に思えて

ナグラのご自慢"他人自慢"を聞いたことによって更にその思いは増した。




「シンヤ…様」

「勘違いせんでくれよ!あれはなぁ、あれで実はそんな優しい…どうした?ゴルちゃん」



高熱でぼやける脳が唯一考えたこと。






「なあ…シンヤ様ってどんな人なんだ?」





俺が問いかけるとレッドは眉間にしわを寄せて「癪だ」と言わんばかりに不機嫌を顔に表した。

だが、ため息をついて天井に視線を合わせ一言だけ呟くように言った。




「アホで底抜けのお人よしで、この世の中きっと生きていけんだろうなぁって人間」








その一言では足りなかった。

彼への興味はもっと、それこそそこを知らないほど湧き上がったのに

きっとそれ以上を知っているであろうレッドにこれ以上問いかけることはできなかった。

いや、しなかった。

下を俯きそれ以上何も言おうとしないレッドにそれ以上聞いてもそれは無駄なことだろうし。

今回は諦めて真っ白なシーツの中に沈みこんだ。




シンヤ様


ここに来る前に一番最初にであった人物

どこか不思議な人物

どんな人なのだろう




今の今まで忘れていたくせに今更気になってしまう何ておかしい話だが、そんなことの方が今の俺にとってはどうでもいいこと。

俺はシンヤ様のことを考えながら静かに眼を閉じた。


















夢を見た。


それは悪夢。


地獄のような日々を送る青年の夢。


誰なのだろう、そう考えても俺が俺の視点でその夢を見ているのだから

誰がここにいるのかさえわからない。


だけど俺が見ている景色を見ているのが俺だけじゃないことはわかった。


悪夢。

これは悪夢。


地獄のような日々を送る青年の夢。


きっと熱のせいでみてしまったのだろう。






この先幾度となく見ることとなるこの悪夢を、俺は今

今夜限りのものだと夢の中で再び瞼を閉じたのだった。












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