暗闇が続く廊下


先はない


先はない


先はない


先はない




進むことも戻ることも

できない


暗闇が続く



先はない


先はない


先はない


先は




ない













MAID

―館主見習い―











シンヤ=ウエダ(住民ナンバー(ブラック)0507)という男は"館主"と呼ぶにはまだ甚だしいひよっこ中のひよっこであったが

彼が"館主"並の財力を持っていたことだけは確かであった。

それが今まで父親に与えられてきたポケットマネーだというのだから驚きは隠せない。



ウエダカンパニーはとてつもない財力を持っている。

だがそれは"館主"らにとってしまえば普通のことで、その財力でさえ叶わない企業は多数あった。

代表例といえば"株式会社フレッシュ"、"ジラフ社"。

株式会社フレッシュは酒造メーカーであり市場に出回っている酒のほとんどはこの会社のものである。

ジラフ社…この一見ふざけた社名であざ笑ったものは一生まともな役職につけないと言われているほどの権力を持つ会社。

ここでは様々な雑誌、数々の書籍を発行し多くの大物作家を抱えている有名な会社だ、

社長は16で会社を引き継いだ現在26歳若社長が経営しているということもあってその存在は一目置かれている。

代表的な雑誌は就職マガジン"困った時はお互いSUMMER"。

その安価から"館主"やそれなりの生活を送っているもの―つまりメイド以外のサラリーマンなど―以外のものにも

人気を誇っているのだ。


話は逸れたが、これらの企業には敵わないとは言ってもそれらの会社が「ありえないほどの大金持ち」という話であり

ウエダカンパニーも十分な財力を持っているのだ、それこそ下級の"館主"が指を銜えるほどの権力と金。



そんな会社の社長の下で育った子供達のうち一名が彼、シンヤ=ウエダであった。

長男、次男シンヤ、そして施設で暮らす本当の意味での父の息子である妹が一人。三人兄妹である。

ここでいう本当の意味での、とは深い意味は特になくただ"母"と呼べる人物が本当に産んだ子供が妹なだけで

クローン技術によって誕生した長男、そしてシンヤも特別な意味はなく戸籍上しっかりと親子だ。

昔はこのような関係は特異だったらしいが、今は普通のこと。

女性が男を産む必要はないのでもっぱら貧乏人も金持ちも―金持ちは女性が一人減るのを待っているのだが―クローン技術に

よって自らの子供を創っている。

遺伝子技術も発達したため父親の容姿、癖、血液型などのパターンがランダムに受け継がれるため

昔からの「お前は本当に親父に似ているな」なんて言葉も普通に飛び交っているのだから何ら問題もない。




シンヤもまた父親の血、否遺伝子をしっかりと受け継いでいた。

容姿、声、性格。

彼はどちらかといえばお人よしで後輩にもいじられてしまうタイプの人間だが、それは実を言えば父から受け継いだものだ。

愛されているのだろうがちょこちょこ人に振り回されている人生。

だが大学もしっかりと卒業し、会社に入れば話は違う。それがシンヤが父から受け継いだものだった。


兄はどちらかというとちゃらんぽらんとした性格でどこか不安定な人間で、嫌味な人間でもないのだが

いや寧ろ好かれる側の人間ではあるのだがどちらかといえば企業の社長に向いていない性格だ。

それを自分でもわかっていたのか、さっさとウエダ家を出て自ら店を立て小さいながらも楽しい生活を送っていると

毎月送られてくる手紙に書かれている。

ウエダ家に残されたシンヤはそれをため息をついて呆れつつみながらも、少しそれをうらやましく思った。

兄は人生を上手く、そして楽しく生きる術を知っている自分よりもよっぽど器用な人間だったからかもしれない。




そんな事情もあって、会社を継ぐ予定なのは現在次男シンヤとなっている。

大学を一浪した後合格、一応有名大学であるため父もほっと一息。

在学中は留年することなく22歳で無事卒業、その春父の運営するウエダカンパニーに入社。

入社と同時に行きなり部長に就任させられたため本人も戸惑う一方、金持ちのボンボンだの親の七光りだの

天パーだのと部下である先輩連中に陰口を言われる日々を送っている。


だがそんなことを気にするタマでもないので、もうすぐ一年近くが経とうとしている今になっても特に気に病む事もなく

明日いいことないかなと考えながら毎日を送っている次第であった。






以上がシンヤ=ウエダ、そしてそれを取り巻く周囲の情報である。









「な…っ俺専用の館を作ったぁ?!聞いてねぇぞ親父!!しかもメイド…俺そんな、まだいらないっての!!」






補足。





「専用メイドはまだ雇ってないけど、お世話メイドも決めちゃった。パパ応援してるから、がんばってね!シンちゃん!」









シンヤ=ウエダ、次の誕生日でいよいよ23歳。


本日から息子思いの父の計らいにより、"館主見習い"となった。


























「親父はいつもああなんだ…俺のため俺のためっつって余計なもん買い与えて…ッ

 本人が気付くほど甘やかされてるわ!!」


本来なら豪華なリムジン運転手付きで運送されるべき所だが、何故か一般市民様の車を自ら運転して移動するこの男こそ

シンヤ=ウエダ。

社会人にはそぐわない鮮やかな茶に染められた髪、黒のストライプスーツ、同じくストライプの赤いシャツ。

腕に光るローレックスの時計はそれこそ豪華なものだがそれも父親に自ら志願して"家政夫"としてバイト契約し

「お小遣いならあげるのに…」としぶる父親から得た資金で購入したものである。

もちろん、父親が勝手に毎月振り込んでいるシンヤのポケットマネーは恐ろしい額になっていたのだが。

本人はそれを知っていてそれに手をつけようとはしなかった、それが"変人"であるシンヤのポリシーだ。



昔からシンヤは変わっていた。

その容姿が恵まれなかったせいなのかそれともどこかで頭を打ってしまったのか、どういったことか彼はどちらかというと

性格的には一般庶民。

金にはうるさいし細かいことでうるさい、確かに頭はいいがどこか抜けている。

そのすっぽり抜けた部分が彼の"館主"としての素質だったのかもしれない。


彼は社長には向いているかもしれないが、"館主"には向いていない。

大学に通っていた頃知り合った先輩、ミムラ―館主以外にこの性格はあり得ないだろう、そんな人物―からみれば

彼は異邦人のような存在だったに違いない。

移動はリムジン、横には付き人、財布にはブラックカード、炊事洗濯掃除など一切したことないミムラにとっては、だ。






ともかく、シンヤは変わっている。




「お前変わってるよなぁ、ホント。こんな乗り心地最悪の車に乗るその神経、褒めてやりたいよ」

「黙ってろ!!いいか、この車買うのだってすごい苦労が…いや、いい。もう疲れる…」




後部座席のシートでくつろぐ高貴な空気を自ら醸し出す男―アズマにうっかり説教をしそうになって、口を噤むシンヤ。

それというのも、バックミラーに映った彼が鼻水を一万円札で咬んでいる姿を見てしまったからなのだが。

黒のスーツからちらりと見える黄金色の時計も尚更シンヤのやる気を吸い取っていく。


アズマはシンヤの昔からの友人だ、芸人の息子で同時に大企業の祖父を持つ究極の七光り男。

今は彼も芸能人をやっているらしいが、するりんと見事に滑っている彼の姿は見るに耐えないので極力

彼の出演番組の鑑賞は避けている。

「そういう芸風だから仕方ないの!テレビを知らないんだなぁ、ウエダは…」

「あー俺芸能人にならなくてよかった…」

そんな会話を何回繰り返しただろうか。






話は戻るが、シンヤの運転する車はアズマの言う通り乗り心地は最低だ。

父親の用意したという館に向かうまでの道は、やはり山道と言うこともあっていくら人の通れる道に舗装されていると言っても

砂利や小石が転がっているのは仕方がなく。

最もコンクリートですらない事が一番の難点か、ナビゲート役で同乗しているアズマの顔色は段々と青ざめていくのがわかって

さすがのシンヤも苦笑してしまった。


辺りを見回せば木、木、木。

シンヤたちの目指す館が集まっている地域は山を越えた場所にある。

そこはシンヤが幼い頃に暮らした経験もある"館主"等にとっては有名な場所で、大学のときの先輩のオオタケも住んでいる所だ。

オオタケが館を構えている場所はそれよりも少し先の辺鄙な所にあるのだが…まあ、細かいことは気にしない方がいい。

ミムラもシンヤがその土地を去った後に越してきたのだと話していたこともあった、他にも知り合いの"館主"や坊ちゃん仲間が

住んでいる。

恐らく父親はそれを知った上でそこを選んだのだろう、それを考えるとつくづく父親の甘さ加減が嫌になった。

しかし、"館主"でも有名で多大な権力を持つオオタケ家を中心に知り合い連中が集まったといっても過言ではない。

ある意味ウエダ家の"館主"の目的と違いはないのかもしれない、多少の差はあるかもしれないが。


そういったわけでそこの地域に向かう道はやはり山道で、移動は困難なことに変わりはないのだが

それでも高級車で通ればさほど気にならない道、先ほど言ったとおりシンヤの運転するオンボロの乗用車ではとてもじゃないが

乗り心地最高!とは言えない。

車内は激しく揺れ掻き鳴らしている長渕ソングのトンボも妙な音を立ててその寿命を尽きようとしている。

カーエアコンはとっくの昔に壊れていたので道を進めば進むほど突き刺すような寒さが二人を襲った。


もはやここは地獄と化していた、間違いない。



「…っそろそろ、給料も溜まったし、なぁ…!車、買い換えよう…!」

「それがいい…よ…うっ」




いつもの事だと言わんばかりに用意していたらしい紙袋を取り出して、アズマがそこに胃の内容物を吐き出す嗚咽が聞こえる。

ため息をつき、助手席に置いてあった本来アズマが持っているべきである地図を確認するとまだまだ果てしなき道のりが

示されていた。


その地域は、「山を越えた場所」にあるのである。



















「…ついたぁ…?」

「ついた…」


ぐったりと後部座席でうつ伏せになって倒れていたアズマ、それにシンヤも答えるが同じくハンドルに凭れて

喉から声を搾り出しでようやく会話。


しばらくすると勢いよくアズマは起き上がり、逃げるように車の外へと出て行った。

ガラス越しに外に逃げ出していったアズマの姿を見ると両手を大げさに振って深呼吸をしている、空気の入れ替えも行っていないこの車内よりも

寒さは辛いかもしれないが澄んだ空気を得られるのならばさほど気にならないことだ。





シンヤも震える手でキーを抜き、車から出た。

ボロ車なだけにエンジン音がやたら激しく、そして騒がしかったのでエンジンが止まると独特の静寂がやれやれと呆れながら訪れてくる。

いてつく寒さも草木に匂いが混じる澄んだ空気もかつての記憶に残るそれのままで、だが確実に変化していた

目の前に広がるその光景を沈黙のまま見つめた。





山を越えたその向こうにある、都会の住宅街とはまた違う―否想像もつかぬような一つの街。

庶民はメイドになるか使用人になる以外でここに来ることはないだろう、郵便物や配達物も重要なものが多いため

山を越えてやって来るものはやはり館の関係者以外いない。


中世の貴族達が住んでいたような館、歴史を漂わせる屋敷が連なるそこはまるで御伽の世界。

時折館から使いの為に現れるメイドがシンヤたちの姿を見ると軽く会釈して通り過ぎていく。

メイドといっても出掛けるためにジャケット、白いシャツ、くすんだ色のジーンズと街でよく見かける若者達と同じような

格好をしている。

まあ、もしかしたらメイドではなく普通の"使用人"かもしれないが。



使用人。

これはメイドとは違い、一般的な世話係のことをこう呼ぶ。

コックや運転手が代表例で、これらはメイドと違い一般企業と同じく就職が難しくまたリストラも多い。つまりは普通の職種。

また、主人やその息子に付ける付き人"執事"などがいるが、特にこれが難しい。

国家試験レベルの試験を受け、それを合格したもののみが就ける職業で相当優秀でないとこれを雇う館主は少ない。

ほとんど付き人といえばメイドを併用する者が多いことも関係し、息子のボディーガード役等で雇うケースが多いのだという。


ちなみにシンヤも幼い頃に教育係としてその"執事"を付けられていた事がある。

優しく親切で大好きだった記憶があるのだが、やはり変わり者のシンヤにとっては首を絞める首輪にしか感じられなかった。

そう、首輪。








「人少ないな、しかし」


背伸びをし、思いついたように車へ戻っていったアズマの背中を眺めながらぼやく様に呟く。

戻ってきたアズマはカシミヤのグレーのマフラーを首に巻きつつ、疲れた様子で答えた。


「そりゃあなあ…丁度"館主"も忙しい時期だし、ウエダみたいなタイミングで館建てる奴も少ないんじゃない?」

「…親父が建てたんだ、親父が」



先ほど会釈していった男を含めると、館から顔を出した人物は3人程度。

アズマが言う通り今は仕事が忙しい時期だから仕方がないといえば仕方がない。

"館主"のいない家など、大体メイドがサボっているか、それなりの仕事をしているかどちらかだ。

現代のメイドの仕事はあくまでも主人の性処理であるため多少の怠慢は許容範囲内。


それに元々こう言った"館主"の住む地域に人が行き交う姿を見ることはない。

庶民で言うここはベッドタウンであり、庶民の住むマンションが館に置き換わっているだけなのだ。





「さ、俺の住む所はもう少し先だ。車に乗り込めアズマ」

「ちょ…うわぁ、もうやだぁ…」














この街に住んでいたのは幼い頃だった。

幼い頃といっても今の自分にとっては短い期間だったかもしれないが、ずいぶんと長い時間だったのだから詳しく言わなければわからない。


確か小学校にあがるかあがらないか、それくらいの歳までシンヤはこの街に住んでいた。

車窓から見える景色は確実にあの頃見ていたものとは違う上に、ここに来るのは先輩のオオタケやミムラの所に遊びに来る以外

機会がなかったから目線も違う。

きっと面影も残っていないだろうに、どこか懐かしく感じるのだ。

来るべきして戻ってきた。

そんな感覚に陥るのはきっと錯覚などではないはずだと思いこませようとする自分がいることに、本人が一番驚いているのだから

不思議なもので。




変わっていないと言えば今向かっているシンヤに用意された館のある場所からさらに奥に行った、再び森の中に入り込んでしまう

そこにあるオオタケの家はいつまで経っても変わっていない。

実を言えばシンヤがここを去った後越して来たミムラはともかく、オオタケのことは大学に入学する前から知っていた。


テレビの情報からではない、幼い頃同じ所に今と寸分変わらぬ同じ館に住んでいたオオタケと知り合いだったのだ。

それとオオタケとミムラの先輩である―シンヤが大学に入学するずっと昔に卒業していた先輩―ウチムラもまた

その知り合いの中に入っている。

ウチムラとは歳が6つも離れていたので近所のお兄さんとしてよく面倒を見てもらったことを、シンヤはしっかりと覚えていた。


シンヤが変わり者になった原因はそこにあるのかもしれない。

というのも、元祖変人のオオタケはともかく、ウチムラもまた思想的に変わった人物だったのだ。

動物のことについてと、父親のことをやたらと熱く語るオオタケ少年、

政府についての情報や現在の政治の問題点を5、6歳の幼稚園児であったシンヤに熱く語るウチムラ少年。

どちらも近所で噂される「ちょっと変わった子」には違いなかった、主にウチムラの影響を受けたのかもしれない。恐らく、だが。




幼い頃の記憶。


草木の香りも、姿や住む者が違えど相変わらず軒並みになっている館も、幼い頃の記憶に残っているそこに当てはまっていく。



(ああ、オオタケさんとこ挨拶に行かないと…ミムラさんも、行かないと怒るからな)



流れていく景色は巨大な館ばかり、それぞれが巨大でもしかしたら数で言えばそこまで多くの"館主"がいるわけではないのかもしれない。


それぞれの創造した庭に噴水や時にはクマやキリンなどかわいらしい形に整えられている木もあり、銅像や飾り用の石なんかが

置かれている。



(そういえばオオタケさんとウチムラさん以外になんか…遊んでた奴いたような。…アイツは、ともかく)




それらは幼い頃シンヤが遊んでいた庭と全く似ていないというわけではなかった、所詮よく見かける豪邸の庭というやつは

似たり寄ったりなのだから。


"館主"になった者にだけ与えられるこの世の中唯一の天国、それが館。

人々の理想が具現化したモノなのだ、あんなこといいなできたらいいなあんな夢こんな夢いっぱいあるけど。なんて。




(俺と同い年…でも俺上の人とばっか遊んでたような気がするし)








「あ、あれお前の館じゃない?俺見た事ないよ、あの館」

「え…あ、ああ。そうだな、俺も見たことがない」





ここに来てからは平らな道が続いているので、ようやく車内でも復活し始めたアズマが地図を片手に言い

慌ててそれに答えた。


見た事ない


そういえば、と思い出し自分が大学の時の先輩に行事ごとに呼び出されては悲惨な思いをしてここにやってくる事を思い出した、

ここに来るのはそんなに久しぶりのことではない。


しかし、何故か自分の新居に来る今日は過去のことが思い出された。

虫の知らせといっただろうか、このよくわからない感情をどう表現すればいいのかわからないが何故か思い出さなければいけない

気がしたのだ。


(きっと改めてここに住むようになったからだ)


今のシンヤには、その程度にしか思えなかったが。









見たことのない、その館の前で車を止める。

車を降りて改めて近くで見てみると、他の館に比べてて多少は小さいもののヒビ一つなく、レンガの鮮やかな朱色で

それが建てられたばかりのものだということがわかる。


館、というよりはヨーロッパの探偵事務所のような造りのそこは、先ほどまで文句を言っていたシンヤでさえ一目ぼれしてしまう

なかなか洒落た建物だった。

というよりは、読書が好きなシンヤにとって理想の家だったといった方が正しいだろうか。

甘やかすことに命を懸けている父親にしてはまだシンヤが"館主見習い"だということを配慮して造ったようで、他の館と館の間に

造られていてまるで場違いのように小さい。


それこそシンヤの胸をときめかせ、理想に敵っているのだ。



一方、ようやく車から出てきたアズマは明らかに怪訝そうな顔をしていたのだが。




「ちょ…小さすぎないか…」



唖然とするのも仕方がない、アズマが住んでいる屋敷もシンヤが住んでいる館もこの建物の数十倍は広いのだから

お坊ちゃん気質の彼にとっては衝撃的だったに違いない。



何にしろ、庶民派気質のシンヤにとってはこんな理想の家に住める喜びといったらなかった。




「ば、馬鹿!俺、俺こういう家に住みたかったんだ!馬鹿でかいだけが脳じゃなくて…!すげぇ…」

「何がすごいんだか…」




感動するシンヤの横で呆れるアズマ。

広い館よりも狭い建物の方が理想だなんて庶民の皆様方に言ったらリンチを食らいそうな危ない発言だが、

今のシンヤの興奮はそんなことを忘れさせるくらいのものだった。


シンヤが父親から与えられたもので初めて喜んだ日でもあった今日は

新しい生活の幕開けを告げる日でもあった。



(金が溜まったら親父からこの家買い取ろう)



まあ、前者はあやふやなのだけど。















「じゃあウエダ、俺帰るな」

「なんだ、寄ってかないのか?…ああ、あと車」

「俺はいいよ、つーかもうその車乗りたくないからバス乗る」

「…ああ」



車を父親に指定されていた総合駐車場(月極)に停め、アズマに荷物を運ぶのを手伝ってもらい再び館の目の前に来きたのだが。

気分的にはお礼に夕飯でもどうですか、といいたい所だが―いやむしろ本当は一日泊まる予定だったのだ―アズマの気持ちもわかる。


「送るよ」

「え?あぁ、ありがとう」


一度荷物を置いてこようか迷ったが、メイド以外使うことのないバスは一日に数本しか来ない上にもう時間も遅い。

この状況でアズマを待たせるのはどうだろうと思い、仕方ないのでトランクやバックは館の塀付近の影に置き

バス亭に向かうアズマの背中を追った。







「バスに乗るの久しぶりだなぁ、いっつもベンツに乗ってるから俺」

「お前もさぁ…館主連中はどうして、車車と騒ぎ立てるか」

「お前が変わってるんだよ、大丈夫かよウエダカンパニーの次期社長」




笑って背中を叩くアズマ、シンヤにとっては笑い事ではないので苦笑いで返す。

社長には向いているが、"館主"には向いていない男。

それはシンヤ自身も自覚していたし、"館主"ではない社長がこの世の中を渡り歩いていけるかといえば答えは"NO"。


いくら仕事が出来ても"館主"になれる非情さがなければこの世界は生きていけない。


目の前の男が性処理用の男だといわれて喜んで飛びつけるのは、きっと"館主"と頭の悪いスラム街の人間くらいなのだろう。

しかし両者は、それくらい非情にならないと生きていけない世界で生きているのだ。

スラム街の人間は悲惨だ、メイドとなって生活するよりもよっぽど酷い生活を送る羽目になる。

社長という役職もまた、いつ転落することになるか分からない綱渡りを続ける緊張した生活を送っている。


シンヤの横をにこやかに歩くこの男でさえ毎夜のように雇っているメイドを犯しているのだから、"館主"というのは恐ろしい。

恐ろしい人物だからこそ、そんな世界を生きていける。

それが今という時代だった。


シンヤにはその非情さがない。恐ろしさもない。

部下に影口を言われ、命令を無視されてもクビに出来ない甘さも、唯一の家族である父親のスネを齧る勇気もない。

父親に甘えることは、それは"甘え"ではなく"勇気"だ。

他人に縋って生きていくことは本来苦痛なことだ、世間の目も冷たい。

それをも無視して生きていくのはもはや"甘え"などではなく、一種の生き方となっていく。




空を見上げると、もう日が暮れ始めオレンジ色の陽が山に沈んでいく姿が見えた。

染みるようにやって来るまぶしさと熱さが、何故か苦痛のように感じられる。




「会社遠くなっちまった。しばらくはあの乗用車だし…」

「バスにしたら?」

「それもいいな」



顔を見合わせて笑うと、突然アズマがシンヤの頭をぐりぐりと撫でつけてきてなんだなんだとじゃれあいになった。

この男とは昔からこんな付き合いだった、アズマもある意味では"変わり者"だったから。








「それじゃ、俺はバス待つから。帰っていいよ」

「いいよ、待つ」

「どうせ後十分程度だから!ほら帰った帰った、せっかく出来た我が家に一回も入ってないじゃんお前!」

「いや…っそうだけど」




辿り着いたバス停、陽はもう沈む寸前。

渋るシンヤにアズマが笑いかけて、なにやらポケットを探り始めた。



するりと音を立てて現れたのは質の良さそうなスカーフ、キレイに折りたたんであったそれを何回か振って開き

マジックでも始めるのかと思えばそれをシンヤの首に軽く巻くアズマ。

目を丸くしてそれを見つめるシンヤをみて、アズマが再び笑う。




「引っ越し祝い。冷えるだろ、金持ち貧乏」



サラリと告げるアズマ、これでも一応一流"館主"の息子だからなのだろうか

自分とは違う空気を纏うアズマに戸惑いを感じたが、同時にどこか安心した。




「悪かったな、俺は金持ちが性に合わないんだ。…じゃ、また今度」

「ああ、じゃあな」





アズマはシンヤにとって、掛買いのない友人の一人であり、変わり者のシンヤにとってたった一人の友人なのだ。







「あ、アズマ!」

「ん?」

「お前と俺って、いつ会ったっけ?」

「え?あー…お前があの街に越してきたときだから…小学校の時だろー?俺が小2でお前が小1」



「ああ…そ、か」



そう、たった一人の友人。





記憶に残る誰かは、アズマではないのだろうか。


そんな疑問も残しながらシンヤはようやく新居へと足を進めた。



















「…うわーお」



新居に戻ってみる。

あたりはもう真っ暗、誰もいない。

そして



「荷物、ない…」



がくりと肩を落とすしても、なくなった物が帰ってくることはなく。




アズマを見送っていた時間、ほんの十分程度のことだった。

飢えた若者達がうろつく街ならともかく金持ちばかり住むこの街でよもや盗難が起こるなどシンヤは予想もしていなかった、

大体怒るはずのないことなのだこんなことは。



それにおかしいといえば、使用人やメイドはもう雇ってあるという割には迎えのものも現れない。

改めて考えてみると不安なスタートである。




「嫌われてんのかぁ…?俺…」





ため息をつき、振り返ってみるとそこには先ほどと変わらずシンヤの理想の家が建っていた。

ただ先ほどと違うのは建物から灯りが漏れ出しているということだろうか。

すでに辺りは日が沈んで薄暗闇になっていて、新しいながらも少しレトロな造りのランプがシンヤに早く家に入ってくれと言わんばかりに

暖かな光りを放っている。

ランプと同じように使用人たちも快く迎えてくれるのだろうか、不安なところだ。



(…まあ、荷物は仕方がない。財布は入れてなかったし、後で買い揃えればいい)



不安、不安といってこのまま館に入らないわけにもいかない。

ようやくシンヤは踵を返し玄関へと向かった。






さくさくと整えられた芝生の上を歩いていく。

赤レンガで造られた建物、コンクリートの階段、独特の模様が描かれたドア、先ほどのレトロ調のランプ。

本当にこれから探偵事務所に向かうようだった、ちょうど自分が金持ちだったのでこれでトランク一杯の札束なんかもって

「祖父の遺産の隠し場所の謎を解いて欲しい、これでどうだろうか」なんて。



「中世の街に迷い込んだようだ…なんて」



ありきたりな言葉もでてくるのである。



中世の街に迷い込んだという表現ならば、ここよりもよっぽど回りの館の方がそれらしいだろう。

本当の昔は女性がいたのだから本で見たような貴婦人が蜂の様なドレスを着て日傘を差して、

そしてタキシードを着てシルクハットを被った紳士が杖を付いて歩いている―そんな光景が、すぐに創造できるような街。

実際一皮向いてみれば中は「歓楽街」まがいの淫と乱に塗れた地獄の空間なのだろうけど。



昔はそんなことも知らなかった。

それこそシンヤがこの街に住んでいたあの頃、純粋で穢れを知らず、また知る必要もなかったあの頃だ。



澄んだ空気

常に刈り揃えられた芝生

広い庭


竹馬の 友



(また)



あの頃

そう、あの頃

一生忘れることがないだろうと思っていたそれらの事を、シンヤは忘れていた。



「友達…」



振り返ればそこにいた?

…いや、それはオオタケやウチムラだ。

オオタケとは特に遊んだ、だけどそれはオオタケの家に行って遊びに行ったはず。それはしっかりと覚えている。

何回かしか遊ばなかったかもしれない、ただ物凄く気の合う友人がいた気がするのになかなか思い出せない。

忘れてしまったのか

それとも

忘れてしまおうとしているのか



誰だ

誰だった、か…





『あ…』





うろ覚えの記憶と伴ってぼやけた映像が脳裏に浮かぶ。

あの頃の自分と同じくらいの歳の子供の姿。







「誰…」










『シン、ヤ?』





幼い頃の「友人」の呼ぶ声がする。

この街にやって来て思い出し始めた、友人の声がふと聞こえて







「え…」






一旦手を掛けていたドアノブから手を離して、振り返った。

実際に呼ばれたわけじゃないのに、何故かそんな気がして























「あなたが、シンヤ様…ですか?」





振り向いた先にいたのは幼い子供ではなく、自分と同い年くらいの青年。

パサついた黒髪のショートカット、目の下には隈があり明らかに素行の悪そうな顔つきだったが

がたいのいいその体を包んでいるのはウエダ家専用オーダーメイドのメイド服。

頭には白のカチューシャ、黒い半そでのワンピースに白い清楚なエプロン、膝丈のスカート、そしてブーツ。

間違いなくウエダ家のメイド服。



しかし見たことのない顔だった。

父親に渡された使用人の名簿にはいなかった人物、だがメイド服を着ている上に自分の名前を知っているということは

名簿から漏れた者なのだろうか。




「え…あ、うん…そう、だけど」

「そうですか!初めまして、新しいメイドのテッペイ=アリタと申します!」




戸惑うシンヤとは対照的に、門―とは言っても一般家庭レベルの門だが―の辺りで紙袋を持っていたその男は

嬉しそうな顔をして走り寄って来る。

紙袋の中にはりんごがたくさん詰められていた、おそらく山の無人販売所かどこかで購入してきたんだろう。

ここは一つ"館主見習い"として「ご苦労様、さあ中に入ってご褒美をあげよう」とくらい言った方がいいのかもしれないが、

生憎とシンヤにはそれほどの余裕がない。

しかも彼がいくらこの館のメイドかも知れないと言っても、自分は存在すら知らなかった者なのだから警戒しても

可笑しくないだろう、この状況では。




「新しいメイド…いや、悪いけど俺君の名前も顔も、名簿では見たことがないんだけど…」

「あ、すみません…!とにかく中に入ってください、説明は中でツチダ、さんから…」

「ツチダ?」



ツチダ。

彼は名簿を見なくても知っていた、何せここ最近のシンヤの面倒を見ていたメイドは彼なのだから。

他のメイドや使用人は新しく雇った者らしいが、特にシンヤの身の回りの世話をするメイドは今まで通りツチダに任命されたのだ。

常に無表情、無気力の通称"デクノボーメイド"ツチダ。

真面目で仕事をきっちりこなす、といえば良い言い方で実の所「仕事以上はしない」のだが。


そのツチダと何が関係するのだろうか、不思議に思いながらもシンヤの変わりに扉を開いた男―アリタに続く。



「あ、あのアリタ、君」

「アリタでいいです、シンヤ様」


あまりの強引さに驚きつつ、どうにか混乱を治めようとして引きとめようと名前を呼ぶとすぐにアリタが振り返って言った。


驚くほど強引。嫌味な強引さでない分、余計驚く。





「これからどうぞ、よろしくお願いします」





だがにこりと自分にそう笑いかけてくれたのだから、きっと悪い奴ではないのだろう。

行き着く間もなく再び前へ前へと進んでいくアリタの後へと遅れをとらないようについていく。




新しい生活のスタートは、ここから始まった。






















「シンヤ様、長旅ご苦労様でした。諸事情によりお迎えは出来ませんでしたが、お許しを」

「あ、いいよ…忙しかったんだろ、いろいろ」

「ええ、すみません」




館の二階の部屋の一つ、俺の仕事場となる予定の書斎。

狭いながらも部屋の壁を覆いつくすように置かれた本棚は、すでに運ばれていたシンヤの本で埋め尽くされていた。

正面には窓があり、白いカーテンが夜風に揺らされて緩やかにウェーブを描いている。

そのすぐ前に立派なデスク、黒い大きな回転椅子が置かれているのだが、それこそ小説に出てくる探偵の部屋のようで

シンヤの胸は躍った。

父親が自分の趣味を理解していたのか、それとも偶然か。何にしろシンヤにとっては最高の物件だ。



そして今シンヤはアリタに案内されてこの部屋に来たわけだが、そこには数人の人物が緊張した面持ちで横並びになって立っていた。


一人は今話していたシンヤよりも一回りも二回りも体の大きなメイド、ツチダ。

アリタも紙袋を持ったままその横に並ぶ。



「…ああ、忘れていました。塀の近くに置かれていた荷物は寝室に置いておきました」

「へぇー…っておい!荷物持ってったのお前だったのか!」

「無用心に、盗んでくれといわんばかりに置かれていましたので」



さり気ない所でさらりとツチダが報告、先ほどそのことで落ち込んでいたこともあってか再びシンヤは肩を落とした。

このツチダという人物は、ちょっとしたクセのあるじんぶつなのである。変わり者のシンヤが感じるほどのクセを。









「それでは、使用人とメイドの紹介をさせて頂きます」



「まず、俺はご存知の通りツチダ。今まで通りシンヤ様の身の回りの世話の担当となります」

「ああ、よろしく」



静かにお辞儀をするツチダ、茶に染められた髪と細く鋭い眼光が特徴の少しヤンキーが入ったシンヤの"世話メイド"。

特に一般的にそういった呼び名はないが、ウエダ家では区別のために時折そう呼んでいる。

無気力ではあるが、仕事と私事の区別はしっかりとしていてメイドとしては模範的な人物なのではないだろうか。

その証拠にすでに慣れているのでシンヤが友人のように対応したときには、それに似た返しはしてくるものの

メイドの仕事をこなしている時はどれだけ親しげに話しかけても冷たく返してくる。

冷酷無情というわけではないだろうが、多少それに近いところはあった。




「次に今年からメイドになる新人メイドのシバタです。この館の掃除、洗濯担当です」

「よ、よろしくお願いします!」


緊張した様子で深く礼をするのは、黒髪メガネの少し鼻の大きさが気になる真面目そうな青年。

ツチダやアリタと同じくウエダ家のメイド服に身を包み、サイズが合っていないのかズレ落ちてくるエプロンを直したり

メガネを上げたりと一生懸命だ。

その必死な様子にシンヤが笑うと、頬をうっすらと染めて顔を俯かせてしまった。ちょっとかわいいと思ってしまった自分に、叱咤する。




「そして料理担当のマスダとオカダ。少々騒がしいですが」

「よろしくお願いします、めっちゃうまい料理作るんで楽しみにしててください」

「シンヤ様ぁ!よろしくおねがいします!パァ!」


ツチダの説明に割って入ってきたのは白いコックの制服に身を包んだ背の高い男前の青年と、対照的に背の低い小柄な青年。

小柄な青年は落ち着いた眼差し―いやつぶらな瞳でマイペースに言い、もう一人の青年は

男前なその顔立ちには似合わない妙なテンションで騒いでいる。

さすがにシンヤも一歩引いてそれを宥め、救いを求めてツチダを見ると特に動揺している様子はなかったが

一つ咳をついて再び紹介を続けた。


「…多々騒がしいですが、腕は一流です。どうか見捨てないでやってください」


多々、か。





「で、そこのメガネの男と悲壮感漂う男が運転手のタケヤマとサイトウです」

「よろしくおねがいします、シンヤ坊ちゃん」

「悲壮感…サイトウです…ヒロシ、と呼んでやってください」


マスダとオカダの隣、少し太めのメガネの青年とツチダの言う通りどこか悲壮感と不幸を背負う青年。

タケヤマはシンヤも知っていた、数年前からウエダ家の運転手の一人として働いていたものだ。

主に今は実家に住んでいないシンヤの兄の運転手をしていて、最近では他の運転手と交代で父親の運転手を勤めていた。

年齢はシンヤよりも一つ下だが何かしでかした時は半端なくキレることもあるが、根は優しい男である。それが原因で

クビになった館もあったそうだが、甘えを嫌うシンヤにとってそれぐらいの対応がちょうどよかったし兄や父親も

彼を理解していたので問題が起きることはなかった。

とにかく、シンヤにとってタケヤマは信用の置ける使用人の一人だったので少しだけ安心した。


隣の不幸そうな男は見たことがない。

それにしてもサイトウ、改めヒロシというこの男顔色が悪い上に目を伏せ今にも死にそうな顔をしているが大丈夫なのだろうか…

そんな不安さえ浮かぶ。



「サイトウはまだ正社員ではなく研修員です。今回は実習でこの館に来ているのですが、

 タケヤマはその付き添いということで来ました」

「ああ…そういえば、名簿にいたな。研修員のケンイチ=サイトウ…え、いや。ヒロシって…?え?」


研修員、学校の教育実習生と同じようなものだ。

ウエダ家も一年に一人くらいの研修員がやって来て、その中の何人かが実際の使用人になることが多々あるのだが

どうやら今年の新人はシンヤに押し付けられたようである。

運転手付きの車を好まないシンヤにとっては苦笑いものの事実だったが、そういう事情なら仕方がない。



「よ、よろしく…お願いします…俺、メイドとして売られそうになった所をタケヤマさんに拾ってもらって…

 こ、今年ようやく試験に受かって、こうしてここに立っていられるとです、どうかよろしくおねがい…っ」

「コラ!なに急に暗い話しとんのじゃ!坊ちゃんに失礼やろ、あやまらんか!!」

「す、すみませぇ…」



(なかなかクセのある奴が来たな)


ウエダ家には元々変わった者が集まりやすい傾向にあるのだが、その中でも随分と濃い者たちが集まってしまったようだ。

殆どが自分と同い年くらいの青年ばかりで、父親も"館主見習い"ということを意識したのかどこか青さの残る者達ばかり。


だが不安はない、ヒロシもタケヤマを見習ってその内立派な運転手になるだろう。

父親に突然買い与えられた館で、しかも不本意に始まってしまった"館主見習い"としての生活だったがそれなりに希望は見えてきた。

彼らとなら一緒に生活していけるだろう、きっと。





「ああ、それと」




と、ツチダが思い出したかのように切り出した。

一時騒がしくなっていた室内がシン、と静まり何故か沈黙がその場を包み込む。




そうだった。

ヒロシも見たことがない顔とはいえ資料では一応顔を知っていた―写真ではもう少し普通の表情をしていた―のだが

一人未だ紹介されていない人物がいる。

名前は聞いた、だが彼が何のためにここにいたのかはまだ知らされていない。


シバタは掃除と洗濯担当のメイド。

マスダとオカダは調理担当のコック。

タケヤマとヒロシは運転手。

そしてツチダは身の回りの世話担当のメイド。


ウエダ家では100年前からの伝統を残し、"一応"専用メイドは決めることになっている。

掃除担当のもの、買出し担当調理補助担当、洗濯…その他もろもろ、運転手などの使用人は別に役割分担を決めておくのだ。

となると、残るのは







「シンヤ様をお連れした者ですが、名をテッペイ=アリタ。俺がお父様に推薦した性処理用の"専用メイド"です」









性処理用の"専用メイド"


世話担当のツチダを"世話メイド"と呼ぶように、ウエダ家内での呼び方。

父の代になってからは周りの館と同じく曖昧になっていたらしいが、100年前のそれに習い決められるたった一人のペット。



「改めまして、よろしくお願いします。シンヤ様」



やんわりと笑うその男。

"館主見習い"となったシンヤの最初の試練だ、動揺せずにはいられなかった。











「明日メイドの儀式を執り行います。シンヤ様、残業はお断りされるように」

「え…あ…ああ」

「シバタのメイド認定の儀式も行いますので」

「うん…」

「シンヤ様?」





何故だろうか

シンヤは動揺と共に、激しく鳴り出す心臓を抑える事ができなかった。


興奮でもなく不安でもなく、独特のそれは


なんと呼べばいいのかよくわからなかった。












新しい生活の幕開け


未来に向かって一歩を踏み出す








先もない

先がない

先はない



永遠に終わらない

未来への



第一歩














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