失われたものは戻ってこないことなど誰でも知っている



知っているのにどうして僕らはそれを求め続けるのか





もうない

もう戻ってこない

戻れない





諦められない





その想いは


果たしてどこへ進んでいく








MAID―メイド―

"復讐鬼"









シンヤ=ウエダは優秀な人間である。


神経質でナルシストな所もあるが、それなりの心の広さを兼ね備えている彼は決して嫌われることはなかった。

兄ほど人生を上手く渡れる術を知らなかったのだが、彼にはポジティブシンキングをモットーとした脳とハングリーな精神がある。

それがシンヤにとっての活動源でありそれが"シンヤ=ウエダ"であった。




ところがどうだろう。





「マツダさーん、例の件どうなってんのー!」

「商品配送にミスです!何やってるんですか!!」

「この前お渡しした新商品の案なんですが…」



広い部屋中を始終人の足音と電話の着信音、紙が擦れる音やはたまた物を落とす音が響き渡る。


ウエダカンパニーは大手企業である。

ただ商品が売れて利益を得て大儲け、給料は高くて幸せだなんてことになっているかと言えば答えはもちろん"NO"。

年末でもないのにこの忙しなさは常日頃のもので所謂「日常茶飯事」という奴である。ちゃめしごとではあらず。


しかし彼はそれに当てはまらなかった。

彼、とはつまりシンヤの事でありそれはどういうことなんだ、と聞かれると説明しがたい部分がある。

入社してからさほど時間の経っていない彼には、もちろん部長としての仕事を勤め上げられるほどの実力はあった。


あるのだが、それが発揮されることは滅多にない。



「部長、この書類目を通しておいてください」

「え?あ、ああ」



彼の仕事はもっぱら重要な書類に「目を通す」事、それにお偉いさんとの接待。

それのみだった。



シンヤは何せ若い。

部長としての力量はあるもののやはりこの役職にこの歳で就く事が出来たのは世間一般で言う「親の七光り」という奴のおかげである。

もちろん社員はそれを快く思うはずもなく、しかも甘えを知らない上に人には甘いシンヤは触れてはならない出来物の如く

触れず・関わらず・放置といった対応をとられていた。

告げ口なんてされたら困ると直接的ではなかったものの、強制窓際社員にされてしまっているのだ。



日がな一日窓の外の景色を見ては「部長は暇そうでいいな」と笑われる声を聞く。

特に気にする体質でもないシンヤは、今日も何を言うこともなくデスクの上に置かれたお茶と立派なお茶菓子をつついていた。



(生き地獄…)



あまりの退屈さにそう思うことは多々あったが。

世間でせこせこと汗水垂らして働く庶民が聞いたら暴動を起こしかねない一言ではあるが、その表現は的確とも言えるだろう。

この生活を不満だと文句を言うおこがましさはなく、かと言って今の生活を大満足と言えるほどのお気楽さもなく。




窓のすぐそこにある気がかさりと揺れて、何かと思うとかわいらしい小鳥がくりくりとした小さな瞳を天に向けていた。

何かを追いかけるようになかなかの速さで小鳥が飛んでいく。

青空目掛けて羽ばたく小さな体はあっという間にそこへ溶け込んでいき、目を細めても米粒ほどにも見えなくなってしまう。

どこへいったのだろうか、あの小鳥は。

エサを取りに行ったのだろうか

それとも交尾の相手でもナンパに行ったか


「…くだらない」


は、と笑って。


「…この企画、どこがくだらないんですか部長」

「え?!いや、そうじゃなくてな…っ、あ、えーと!いいと思うぞ!」

「どーも」



不審がって去って行く部下の背中を誤魔化すように笑顔で見送り、再び視線を窓に向ける。



(くだらない、か。ま、俺よりはよっぽどマシな人生送ってるさ)



啜った茶は少し苦く、口直しに食べた羊羹は甘すぎるように感じた。

















「タケヤマ、ヒロシ。待たせたな、ごめん」

「いやいや。お疲れ様です、シンヤ様」

「お疲れ様です…」



色々な意味でくたくたの体を引きずり引きずり、駐車場に向かうとそこにはいつものボロ車はなく。

変わりに見かけない黒塗りのベンツが停めてあり慣れないそれに多少たじろいだが、それを悟られないようにわざとらしいくらいに

胸を張って中にいる二人に話しかけた。

運転手つきの車に送迎してもらうのは小学生以来だった、中学高校は遠くても自転車を必死に漕いで学校に通っていたのでよく友人に

笑われたことは未だ記憶に新しい。

家族で出かける際などには世話になっていたので運転手のことは全く知らないわけでなく、実を言うとタケヤマともさほど面識が

あるわけではなかった。

時折会うだけだったその時には言わないでおいたことだったが、とりあえず「シンヤ坊ちゃん」とあからさまな呼び方はやめてもらい

今の状況にある。

流石にシンヤの歳で「坊ちゃん」は恥ずかしかった、タケヤマは特に気にする様子もなかったが。大体彼は年下だ。






車内はシンヤが後部座席に乗り込み、運転席にヒロシそして助手席にタケヤマが座っていた。

研修員のヒロシが運転しそれにタケヤマが付き添うという、まるで自動車学校の訓練の如くだ。

行きもヒロシが運転したのだがまだ緊張が抜けない様子でガチガチに固まりながらの運転はこちらを実にハラハラさせてくれたが、

いざ道路に出てみればやはり国家試験レベルの試験を通過してきただけあって運転手として優秀なものだった。



「そういえばヒロシはタケヤマに拾われたとか言ってたけど、あれどういう意味だ?」

「そ、それを聞きますか…それを話すと長くなるとです」

「短く話せばええやろ、大した話でもなし」



笑うタケヤマは今まで出会ったどの彼にも当てはまらなくて、シンヤは少し驚いた。

大体彼が方言―この訛りはきっと九州方面のモノだろう―を使って話している姿も始めてみた上に、やはり上の者と話す時と

下の者と話す時は違うらしい。

決して偉ぶるのではなく、信頼しあっている間柄が彼らの会話を聞いているだけで感じれらるのだ。



「あ、じゃあ…軽く。俺、ずっと貧乏で幼稚園は行かなかったし小学校中学校ずっと貧乏貧乏ってバカにされてて。

 高校にもようやっと入れたんですけど頭も悪いし、金もないわで結局退学してしまって」


沈んだ声でヒロシが淡々と語っていく。

後部座席に座っているシンヤからはよく見えなかったが、きっとこれを語っている彼の顔は普段異常に暗くなっているに違いない。

なるほどこの暗さはその不幸の星の下に生まれてしまったことによりのことなのか…と納得してみたり、と。

少し間をおいてから、ヒロシは続けた。



「街外れのホストクラブで働き始めたんですけど借金がどうにもならなくなって…金借りてたヤクザにメイドとして売り飛ばされそうに

 なってたんです。でもそれをタケヤマさんが」



「高校の時、たまたま担当の先生が一緒で、たまたま補習を一緒に受けていたタケヤマさんが助けてくれて。

 タケヤマさんヤクザのとこのぼっちゃ」

「余計なこと言うな!バカか!」

「す、すみません…そ、それでタケヤマさんが学校に戻れ、なんとかするからって」




「なんとか」


シンヤが繰り返して笑うと、バックミラーから照れ笑いをする二人の姿が見えた。

その「なんとか」の中にはきっとたくさんの意味が込められているのだろう、根回しに奔走するタケヤマの姿がすぐに想像できる。

それはタケヤマがヒロシがいいかけた言葉「ヤクザ」に関わっているからこそできたことだろうが、それにしても後輩のために

そこまでする勇気や優しさは大したものだ。

しかも、数回しかあったのことのない後輩に対してそこまで頑張れるということは、この世界ではなかなかないこと。


彼らがお互いに信頼しあっている様子がすぐにわかる、彼らの関係性。

幼稚園時代からずっと"館主"や上流企業の息子娘達と付き合ってきたシンヤが見たことのないものだ。

庶民の者らに比べて金持ちの付き合いという物は浅くさばさばしたもので、お互い利用しあうことかできるだけ関わらないようにし

自らを悟られまいと必死になる姿が当たり前の世界の住人から見たら、それはまるでどこか違う世界のお話のように思える。

アズマやオオタケのように友情を大切にする人間はシンヤと同じ変わり者なのだ、類は友を呼ぶとはよく言う。




「そうか、タケヤマってそういう奴だったんだ」

「いやいや、俺はただ高校に戻って資格取れって言っただけなんですけどね。コイツが勝手に俺の真似して運転手になるとかいいよって」

「タケヤマさん…!」




照れるヒロシと笑うタケヤマ。

本当にうらやましかった。


(先輩と後輩って、こんな感じなんだな)


そんなことも確認させられる。





「あ、そういえばヒロシって何かと思ったらホストの時の名前だったんだな。ようやくわかった」

「え?ホストの時はケン=サエガミでやってましたけど」

「え」



そして漆黒の車は暗闇へと溶け込んでいくのであった。
























家の前まで車が辿り着くと、そこにはすでにツチダが立っていた。

黒い服にリボンもフリルもなにもついていない質素なメイド服は闇に溶け込み、大分近くに来るまでわからなかったが

その身長とガタイの良さからすぐにツチダだということはわかる。


運転席からヒロシ、助手席からタケヤマが降りて慣れない手つきでヒロシがドアを開けた。

その様子をタケヤマが真面目な顔をして見守っているのをみるとさっきのことを思い出して噴出しそうになってしまったが、それを抑えて

ゆっくりと片足ずつ降りる。

こういった送迎は苦手ではあったが一応"館主"の息子であるシンヤ、ここはけじめをつけなければいけないことくらいは分かっていた。




「お帰りなさいませ、シンヤ様」

「ただいま」



深々と礼をするツチダは顔を上げたかと思うとシンヤのカバンを受け取り、館の中に入ると羽織っていたコートを慣れた手つきで

あっという間に脱がす。

何もかも自分でしたがりのシンヤにとっては苦痛の行為ではあったが、"館主見習い"としてはガマンしなくてはいけない場面。

きっとこのまま同じ行為を続けていけば慣れていくだろう―そうは考えていたが、その「慣れる」という行為も恐ろしいものだった。

そこはまあ、気付かないフリをする。それが得策なのだ。




「儀式はいつ行いますか」

「そうだな、食事が終わったらすぐに。シバタと…あ、りたに伝えておいてくれ」

「かしこまりました」



コートを腕にかけ再びツチダが深く礼をし、忙しなくどこかへと歩いていく。

今夜はどうやら休めそうもない。

メイドの儀式というのはなかなか面倒なものなのだ、とだけ伝えておこう。













「いやぁ、夕食がうますぎてなんかもう儀式とかどうでもよくなった!」

「…シンヤ様」

「こ、言葉のアヤだよ」



ある意味とんでもないことを口に出したシンヤをツチダの小さな目がギロリと睨みつける。

それくらい夕食が美味しかったのだ、お目こぼし願いたいところだ。


…マスダとオカダの料理を食べたのはこれで三度目となるが、ツチダが言った通り「多々」騒がしいもののやはりその腕は一品だった。

初日の夕食はどうにも高級感溢れてシンヤの口には合わなかった、しかし「普通のものを」とリクエストすれば二人は動揺することなく

一般的かつ美味しい料理を胸を張って出してきたのだ。

今夜はたこ焼きとお好み焼き。

ツチダは眉をひそめていたが外はカリッと中はとろっとの基本に、大き目のイイダコを惜しみなく使ったたこ焼きは絶品だった。

お好み焼きはカリカリに焼けた豚肉、口に入れた瞬間溶けてしまいそうになる生地、それに秘伝のソースが絶妙なハーモニーを作り出し

思わず涙が出そうになるくらい美味しい。

シンヤが一週間に一回は絶対作ってくれ!と言えば


「毎日でも作りますよ!!」


と笑顔で答えてくれる心意気。

シンヤがこの館にやって来てから感動した、二度目の瞬間だった。








「シバタもアリタもいい奴そうだしな。安心したっつーか、ここに来てよかったと思えるなんて思っても見なかった」





目を閉じ、何となしにそんなことを考えてみる。

館を与えられたからといってきっと今までと同じ日々が続くと思っていただけに、様々な意味でここでの生活は二日目にして

驚きの連続だった。



メイド―ツチダに起こされて

朝食を食べて、着替えて

会社に言ってボーっとして

帰ってきて

夕食を食べて

風呂に入って

寝て



アズマの仕事がオフの時遊ぶことくらいが楽しみで、道もあやふやになっていた昨日までとは違う。

―否、コンクリートで固められすでに舗装された道を歩かされていた父との生活とはまるで違った。


"館主"になるということは、それの延長戦あるいはそれの結末であると思っていたのだ。

だから、いつかはならなければいけないという使命感はシンヤに重く圧し掛かりどうせなら庶民に生まれてひぃひぃいいながら

働いていた方がマシだったのかもしれないと考えさせる。

しかしその見解も少し間違っていたようだ。


運転手のタケヤマとヒロシも、コックのマスダとオカダもシンヤの求めていた人物像や関係を持った者達で

そんな者達と生活できるというならば、これ以上にどんな幸せがあるのだろうか。


(決められた道はいやだ、なんて思ってたけど…結局俺はそれに反抗するか、歩かされるかのどっちかをしていたのかもしれない)


そう気付くこともできた。

こんな場所があるだなんて気付きもしなかった、きっと父親が与えてくれなければ一生そのままで。

久しぶりに見つけたシンヤの新しい"居場所"がこの"館"だった。




「例え汚れることになっても、お前らがいてくれるなら俺は大丈夫だよ。…なんてな!」




シンヤが言うとツチダは軽く目を伏せた。

照れ隠しなのか、それともいつも通りに「それ以上の侵入」を拒んだのかわからなかったが少し悲しくなる行為。

ツチダは時折その表情をするのだ。





「なーんてなー…」





誤魔化すようにもう一度言うと、ツチダは何も言わず寝室から出て行ってしまった。

シバタのメイド認定儀式の準備に出かけたんだろう。



(相変わらずわけのわからん奴)



彼がどうしようとどう思おうと、苦笑するくらいしかシンヤにはできなかった。






















「一生この忠誠をあなた様に捧げることを」


「あなた様のためならこの命を捧げ」


「あなた様のために身を削り生涯を暮らすことをここに誓います」




薄暗く月明かりが差し込む部屋―シンヤの狭い寝室、窓から見える月をバックに立つ彼の足元にシバタが跪く。

ツチダにみっちり仕込まれたのだろう、一言も間違えずに「忠誠の誓い」を流れるように述べていった。

そして、その頭にゆっくりとした動作でシンヤが慎重に手に持ったカチューシャを付ける。

純白のそれを頭につけられたことを確認したシバタは嬉しそうに顔をほころばせ、聞こえないようにか軽く息を吐いていた。



ウエダ家でメイドの呼び名を変えているように、これもまた彼の家独自の儀式。

メイド一年生の新人はその家で"メイド認定"の儀式を受けなければならない、これは使用人が試験を受けなければならないことと同じで

ウエダ家ではこの「忠誠の誓い」を述べカチューシャを付けることが"メイド認定"の儀式。

儀式の形は家々によってそれぞれ全く異なったもので、オオタケ家の"儀式"を聞いた時には口をあんぐりと開けて閉めることが

できなかったが…あれは忘れていい記憶だろう。そう思わなければやっていけないこの世界は。





「シバタ、これからもうちのメイドとして頑張ってくれ」





笑いかけると、跪いたままシバタがまるで犬のような反射神経で顔を上げ



「は、はいっ!!」



顔を真っ赤にし元気よく答えた。




「うあぁぁあ…」

「え、ええ」



思わず抱きしめてしまったが、いいのだ。かわいいから、いいのだ。























「いよいよ、専用メイドの儀式です。シンヤ様」

「ああ…」



再び寝室に現れたツチダの後ろには彼の姿があった。

メイドとしてはきっと慣れているのだろう、物怖じする様子もなくこちらを見ている彼―アリタは柔和な笑みを浮かべている。


"専用メイド"の儀式、これは昔からどこの家でも変わらない。

たったひとつのことをするだけのシンプルなそれは、よっぽど重く責任重大な儀式でもあった。

"館主見習い"のシンヤが初めて体験することであり、"館主"としては欠かせない重要な儀式なのだ。


"館主"

それは政府公認性処理用ペット―メイドを飼う事を許される唯一の存在。

条件は政府にそれなりの寄付を出来る財力を持っていることと、小さかれ大きかれ自らの館を所有していること。

つまりは金持ちに許されたこの世界で一番の娯楽。



(俺の居場所はここしかない…ここ以外にありえないんだ、きっと)



そう自分に思いこませ、部屋に入ってくる彼らをまっすぐに見つめる。


たった二日ではあったがようやく見つけ出せた「居場所」はここなのだと、シンヤは確信していた。

彼らとならもしかしたら違う道も歩めるのではないかという期待。

それが今のシンヤを突き動かしていた、目の前に広がっているのはすでに作られたコンクリートロードではなく雑草が生え石もゴロゴロの

荒れ放題の獣道。

他の者達にとっては喜ばしくない状況も、シンヤにとっては願っても見ないことだったのだ。



だから、進むしかない。




結局はその獣道さえ父親に案内された一本道だということをシンヤは気付いてはいなかったが、今の彼にとっては希望の道。

彼にはその先の光りが見えていた。






例え目の前にいるこの男をこれから毎日不条理に抱くことになったとしても、それは仕方のないことだと






彼は"館主見習い"だった。

















シバタの時と同じように月をバックにシンヤが立ち、その足元にアリタが跪く。


先ほどまで聞こえてきていた声が聞こえない、きっともう皆寝てしまったのだろう。

二階はホールと調理場にリビングルーム、二階にシンヤの寝室と書斎それにツチダとアリタ用の部屋。

屋根裏にあたる三階に他の使用人たちは住み込んでいるのだが、つい先刻までばたばたと暴れまわる音や話す声が聞こえていた。

「防音設備」の付いたこの部屋だから扉を閉めたせいで聞こえなくなったのかもしれない。

なんでそんなものをという質問はもちろん愚問である。




静けさの漂う部屋。

薄暗がりの中アリタの声だけが響き渡る。




「一生この忠誠をあなた様に捧げることを」


「あなた様のためならこの命を捧げ」


「あなた様のために身を削り生涯を暮らすことをここに誓います」





カタン、と風にガラス戸が揺れた。

心音が激しく鳴り響き、耳まで届いたそれがシンヤに熱を与える。






「あなた様のために」





「この体を捧げることを、誓います」





シバタの時よりも一言だけ多いその言葉をアリタが告げ、シンヤは中腰になって手に持った"それ"を彼の首元に巻きつけた。

それ―赤い新品の首輪を丁寧に、首に傷か付かないように慎重に。

まだ"館主見習い"のシンヤには伝統の首輪は与えられない、そのために新品の首輪を使う。

それが仮のものだとしてもシンヤの緊張が和らぐことはなかった。




"専用メイド"の儀式は至ってシンプル。


そのメイドにペットの証として首輪を付けることのみ。

人として扱われないことへの了承、自らが"家畜"であることを表すそれを"館主"が付けること。それだけだ。


家畜


今日から目の前の男はシンヤの"家畜"となり、誓いの言葉の通り身を削りプライドを棄て生きていくことをここに誓った。



(これでいいんだ)



シンヤが目を瞑るとまたツチダは目を伏せた。


そういえばツチダはアリタのことを推薦したと言っていた、もしかしたら古くからの友人なのかもしれない。

ツチダは"世話メイド"だから抱かれることなく、また昔聞いた話では彼は今まで一切メイドとして抱かれたことがないのだと言う。

それが本当かどうかは定かではなかったが、だとしたらよっぽど辛いことだろう。

友人が主人に抱かれる立場になることを推薦した本人となってしまったのだから。

差し詰め恋人を生贄として化け物に差し出すといったところか…その化け物が自分かと思うと、内心苦笑してしまう。


そう思うと彼に触れることに躊躇したが、仕方がない。

仕方がないのだ。



ツチダは静かに扉を開け出て行った。

父の所有する館にいた時から彼のことはよくわからなかったがここに来てから二日、さらに彼のことがわからなくなった気がする。

しかし何故だろう。

シンヤには、彼が今まで決して見せようとしなかった何かが見え隠れしているように感じられた。

気のせいかもしれない、が。
















二人きりの部屋。

先ほどよりも更に静まり返ったそこで、お互いに何も言葉を発さずただそこにいるだけ。


"館主見習い"としては、ここで思い切って「さあベッドに行こうか子猫チャン」なんて勢いで押し倒すのが正解なのかもしれないが

何せシンヤにそんな度胸はなかった。

しかも抱いたことなんてないのだ、人を。


もしこれが100年前だったら「童貞」と言われて笑われたかもしれないが、"館主"あるいはAV男優くらいしか人を抱く機会のない

この世界では当たり前のことだ。

同性愛はもちろん認められていないのだから、何の用もなしに人を抱いたことがある人間の方がよっぽど軽蔑視される。


面倒くさい世の中ではあるが、慣れればどうってことはない。

それにしても


(参った…一体これからどうすれば)




「あの、シンヤ様」

「え?えー…ん?」


長い間続いた沈黙を破って、ようやく口を開いたのはシンヤではなくアリタだった。

顔を赤らめながら―目の下クマの上にガタイもそこそこいい男の赤い顔はちょっとしたホラーだが―アリタがおずおずと口を開くアリタ。

彼もまた緊張しているのだろうか、こちらにまでそれが伝わってくる。



「その…お風呂、に入ってきてもよろしいでしょうか…?」

「あ?え、っといいけど…」



何を言い出すかと思えば―間の抜けた質問に、思わず了承するとアリタはそそくさと外へと出て行った。

もしかしたらこの状況に耐えかねたのかもしれない。



「…まずったか」



誰もいなくなり、更に何も無いこの空間で

シンヤはベッドに何度も飛び込み襲い掛かる練習にかかった。


















「アリタ…遅いな」




とりあえず飛び掛る練習によって頭を痛めたので一時中断、シンヤはベッドにうつ伏せになって寝転がる。


白い質素なベッドシーツを握り締め、顔を押し付けるときつ過ぎるくらい洗剤の香りが鼻をついた。

きっとシバタが慣れない仕事に手間取ってうまくいかなかったのだろう、慌てる彼の様子を思い浮かべると自然と笑みがこぼれる。

一生懸命やったに違いない、彼はきっと頑張り屋だ。

真面目で素直でメイドにしておくにはもったいないが、ある意味メイドとしては貴重な存在だろう、彼は。

ああ言った白いキャンパスのように未だ穢れをしらない者はメイドとして好まれる、汚すことに喜びを覚える"館主"には特に。



マスダとオカダの料理、本当に美味しかった。

「毎日でも作る」、その言葉が何よりも嬉しくて明日は何を作ってくれるのかを考えただけで胸が躍る。

タケヤマとヒロシの本当に信頼しあった関係は、見ているだけで暖かくなった。

これからその中に自分も入れたらと願う気持ちは暖かく、運転手はいらないと考えていたシンヤだったがその気持ちさえ取り除いたのだ。

きっとうまくやっていける。

"館主"という希望のない道でさえ歩いていけると思えた。

こんな気持ちになったのはどれくらいぶりだろう、暖かくてそれでいて心地よい感情に包まれたこの感覚。




首元のスカーフにそっと手を触れ、今まで唯一の理解者であったアズマを思い浮かべる。


「そのうち金持ち貧乏じゃなくなるぜ、多分」


ふ、と笑い驚きを隠せず慌てる彼の姿を想像すると可笑しくて仕方がない。

きっと

きっとそれは現実に














カチャ




と、背後から扉の開く音が聞こえた、どうやらアリタが戻ってきたらしい。



「なんだアリタ、遅かったな」




その間ベッドに飛び込んだり口ではいえないような練習をしていたり、危うく眠りかけたり、それなりに楽しんでいたからいいものの

少々時間を掛けすぎではあった。

そんな念入りに体を洗わなくてもいいのにハハハと、よっぽど自分の方が緊張している事実はさておき何も言葉を発さずこちらに向かって

歩いてくるその足音を聞く。

メイド用のブーツ―いやもう少し固めの革靴のような気もするが―が木の床の上をゆっくりゆっくりと焦らすように音をならしてやって来る。

あまりにもじれったいそれに苛つきも覚えたが、そこは耐える。

今からされることを承知の上で緊張しているのだろう。

風呂もきっと緊張のために誤魔化しで入ったことは間違いなかった、それを考えると体中の熱が上がってシーツに埋めた顔を上げることが

できなかった。





「シンヤ様」




そう呟く声が聞こえる。

本当の儀式が、今から始まるのだ。


心臓が高鳴った。

激しいそれのせいで喉が詰まったように苦しくて、上手く息が出来ない。

苦しい。

苦しくて、胸からずくずくと何かがあふれ出てくるこの感覚は嫌いじゃなかったが

きっとこれは「もどかしい」というのだ。

もどかしさは治まらない。




「あ、り、た」



その名を呼ぶだけで精一杯。




「シンヤ様」



ぎしりとベッドに重みのある何かが圧し掛かる。

来た。




覆いかぶさった何かから体温を感じる、メイド服との不釣合いさからわかってはいたがシンヤよりも少し大きな体がすっぽりと

彼の体を包み込む。

これじゃあまるで逆じゃないですかと思いつつも、シンヤは意を決すべく目を閉じた。


次、アリタが何かを言ったら体を回転させて、肩掴んで、ひっくり返して、まずは口付けから。



ビデオを見て知ったやり方を頭に思い浮かべ、その瞬間を待つ。





「シンヤ様?」






吐息が耳に掛かり、一瞬力が抜けたもののそれ今がチャンスだと目を開けた。


























「死ね」






















「え」




気付いた時には首元に激しい圧迫感を感じていた。

首に巻かれていたそれ―スカーフが、容赦なくシンヤの首へと食い込んでいく。


息が漏れることしか許されず漏れるのは掠れた喘ぎ声。




「っぅ…ぐ、ぁ…」

「何が忠誠だ。何も知らない坊ちゃんがよく言うよな…」

「…ぃ、た…ぁ、ぃた…や、め…あ…っ」




声はアリタ、だが明らかに声のトーンが違う。

低く、ドスの利いた声が耳元で響き薄れつつある意識を最後の命綱のように繋ぎ止める。



何が起こっているのかさえわからず、暴れようにもすでに意識が朦朧として眼球は見開き口はあけたまま閉じることが出来ない。

苦しい

苦しい

苦しい

苦しい



(死…)



ふと一文字だけ脳裏に浮かんだ。

それに恐怖を感じることさえ今は困難なこと。



アズマがくれたスカーフがどんどんと首に食い込んでいく、目の前が霞がかってやがて今何が起こっているのかさえあやふやになり

無意識に握り締めていたシーツを掴む手も緩んでいった。





「し…ぬ…っ」


「ああ悪かったな…大丈夫だ、死なせない。死なせるもんか。

 アンタには―…お前にはもっと。もっと逃げられなくて自ら命を絶ちたくなるくらいの苦しみを与えてやるんだからなぁ…

 おい、やめろ」




アリタ―かどうか定かではないが―が言うと突然首を絞める力が弱まり、浮かび上がっていたシンヤの頭は再びベッドに埋もれる。

ようやく開放されたのをキッカケに咳をしながらも何度も何度も息を吸ったり吐いたりを繰り返す、それに伴い激しい頭痛が

ひどくなっていった。

棍棒で打ちつけられたようなその痛みも呆然とした意識の中では、まるで自分のことではないように感じられる。





「っは、は、は、は、は…っ」

「シンヤ様ぁ、大丈夫ですか?まさか命を落とされるなんてことはありませんよね?」





頭が痛い

酸素が足りない、苦しい


静まった部屋にはシンヤの激しい息遣いと、その低い声しか聞こえない。

認めたくない上に、今この状況を理解できる思考能力は数分前に失っていた。


それでもどこか冷静な自分が何が起こったのかを確認するかのように、体をゆっくりと半回転させ犯人の顔を確認する。

今更のことだが、きっとこの声からして犯人はあの男。

どうしてかはわからないし、何故自分がその犯人を知ろうとしているのかシンヤ自身もさっぱりだったがぼやけた視界にはっきりと

その姿を映した。


そう犯人は先ほど扉から出て行った




「ぇ…?」




あの男





「ん、な…だ…って…」












「ツチ、ダ」











視線を下に泳がせると、その先にシンヤが「犯人」だと思っていた人物は腕を組み立っていた。

メイド服ではなく黒のスーツに白のシャツ、ネクタイはつけずずいぶんとラフな恰好。

下ろされていた髪もワックスで整えたらしくキレイにアップされ、真面目で素直なメイドに見えたあのアリタの姿恰好とはかけ離れていたが

目の下のクマ、目つきの悪さですぐに彼が「アリタ」であることを確認できる。


まだ意識が半濁としていて、何がどうしたのか理解することが出来ない。

どうしてツチダが自分の首を絞めて殺そうとしたのかなんて、シンヤにはわかりっこなかった。



だって彼は忠実な使いで、何年も前から"世話メイド"として付き添ってくれていたはずだ。

それがどうして

どうして

どうして

どうして

どうして






「ほら、意識が戻る前に腕拘束しておけ」

「はい」


体の自由が利かないシンヤの両腕をアリタが指示したとおりにツチダがどこからか用意した手錠で、ベッドの手すりに拘束する。

抵抗しようとしても思考が一歩追いつかず、ガチャリと音がしたかと思うとあっという間に両手はそこに固定されてしまって。




「シンヤ様…いやシンヤ。俺はお前に忠誠を誓ったが取り消させてもらう」

「な…に…」





「お前の親父が俺の親父の人生をめちゃくちゃにしたみたいに、俺もお前の人生をめちゃくちゃにしてやる」


「今日からペットとして頑張っていただきますよ、シンヤ様?」





にこやかに吐かれた言葉は、部屋のどこかへと溶け込んでいった。

どこにいったかはわからない

わからなかった


少なくともシンヤの耳にはしっかりと届いていたことだけは、シンヤ自身も理解していた。









「ツチダ、やれ」

「…」



アリタが言うとツチダの顔がシンヤに近づいてくる。

避けようとしたが、再び思考が遅れてしまいその頃にはもう遅く気付けばツチダに口付けられていた。

驚き振り払おうとしても両手で顔を抑えられ防ぐことが出来ない、侵入してくる舌は何かを押し込めるようにぐいぐいと喉を圧迫する。


それが喉に直接落とされるとツチダの顔が離れていき、瞬時に右手で口を押さえられてしまった。

慌てて暴れようとしたその時、思わず喉に押し込められたそれを飲み込んでしまう。




「何を…っ」

「典型的だけど、強力な媚薬。今日はお前が俺らから逃げられないようにする"足枷"作りだから、精々キモチヨクなれよ」

「びや…お前ら…っ人が黙ってれば!解雇だ!!今すぐ…ここから…」




言いかけて、視界が揺らいだ。

とっくに意識は取り戻していたはずなのに、激しい眩暈がシンヤを遅い再び脳の回転を遅らせる。

蹴り飛ばしてやろうと足を浮かしても力が上手く入らずベッドに沈み込んでしまう。


(そんな…早…ッ)


媚薬と言えどここまで早く聞いてくるものだろうか、恐らく即効性のそれが全身をじわじわと麻痺させていく度に力の抜ける微妙な感覚に

襲われた。


四つん這いになってシンヤのことを見下すツチダの表情は決して崩れない、冷静かつ冷酷な―いや無気力で精気のない瞳が揺らぐことなく

こちらを見つめている。

高鳴る心臓は恐れからか、それとも薬による効果なのか。

やがて動かなくなった体からツチダが離れていく様をシンヤは呆然と見ることしか出来なかった。




「アリタ、さん。もう大丈夫っすよ」

「サンキューツチダ。いやぁ、悪いなホント」



彼らの関係は一体なんなのだろう、シンヤが想像していた"古くからの友人"に当てはまるようで違う二人の様子。

友人…いや、タケヤマとヒロシのような先輩後輩の関係か。他の館で一緒に働いたメイド仲間?

だとしたら彼の言ったシンヤの父がアリタの父の人生をめちゃくちゃにした、という話に繋がらない。


本来ならばこんなことを考えている暇ではないのだろうが、薬によって思考能力が下がっているのかそんなことを考えていた。

ここからどうやって逃げよう、だとか。どうやってこの状況を回避しようか、だとか。

今の彼にそれを考える頭はない。





「不思議そうな顔してるな…どうして俺がお前を襲おうとしているのか、わからないだろ?教えてやってもいいけどさ」

「なん…で…」



上手く回らない口をなんとか動かしてそう言うと、ベッドから降りて何かを始めたツチダと入れ替わるようにしてベッドに乗りながら

アリタが笑みを浮かべがら言った。




「簡単さ。お前のクソ親父が俺の"館主"だった親父の会社を潰して今の地位にのし上がった…

 おかげで親父は病気で死んじまって弟は借金苦で自殺、俺はスラムのホームレス。最低の坂道人生だったよ。

 だからお前にフクシュウにやってきたんだ、それだけ。簡単だろ?」



淡々と述べた割には随分と内容の濃い物語。

シンヤは呆然と彼の顔を見つめていた、見つめるしかなかった。




―庶民に生まれていたら―




そう考えていたシンヤは、彼がニヤリと陰湿的な笑みを浮かべ先ほどのツチダのように四つん這いになり見下すその様を

見つめることくらいしか



(許されない)




直感的にそれがわかった。



















「さあシンヤ坊ちゃん、一緒に遊びましょうねぇ…!!」



そう言うとアリタはシンヤのシャツを両手で力いっぱいに掴み、両方向に引っ張った。

ぶちぶちと音が聞こえて、勢いよくボタンが飛んでいく。



「ひ…ッ」

「"館主"の一番恥ずべき事って知ってる?知ってるよねぇ」



「ネコになるってことだよな?」



茶化すように言いながらアリタの手のひらがじんわりと侵食するかのごとくシンヤの胸板を滑っていき、すでに熱のこもったその体が

ひくりと震える。




「ぅ…ぁ…っ」


体験したことのない奇妙な感覚はそれこそシンヤの体を蝕んで行くのだ。

―否


(いやだ)


体験、したことがなかっただろうか。

どこかで体験した記憶がある、どこか記憶の奥底で疼くそれがきっと何か知っている。


思い出せなくとも体が覚えているのだから、確実にそれは昔体験のしたことのあることのはずだ。



そうそれは昔








「ひ…ぃ、ぃ…っわぁああああぁあ!!!」





「んだよ…防音だから喚いても聞こえないって」

「やだ、やだ、やめろ!!やめ…っ」

「うるせぇ!!」




喚くシンヤの頬をアリタが叩く。

それでも動じることなく、後ろにいるツチダは無表情で何かを取り出しこちらへ向けた。





「ぅ…く…ぅ…」

「なあシンヤ、あれ見えるか?ツチダの持ってるモノ」

「わかん…な…っ」

「バカだな。カメラだよ、カメラ」




アリタが口に出した単語を聞いてもシンヤには理解することが出来ない。

それがどうしたと言い返してしまうに違いない、今の彼にはもう何を理解することも出来なかった。






「これからお前の事あれで撮ってあげるから、いっぱいいっぱい声だすんだぜ?そしたらお前…もう俺達から逃げられなくなるから」






何も理解できるはずないのだ。


















「ん、あっ…ぁ…ぁ!」



薬のせいかすでに己を主張し固さを持った胸の突起を、アリタがわざと音を立てながらゆっくりと舐め上げていく。

その姿はまるで獲物を捕えまずはお味見と言わんばかりに舐めるライオンのようで、恐怖心は次第に巨大さを増していった。

ちゅ、と吸い付いただけでシンヤの体が弓なりに仰け反る姿を恍惚そうに見つめるアリタ。



「シンヤァ…気持ち良さそうだよなぁ…ん、そんなに気持ちいいか?乳首舐められて」

「っく…あ、あっ!!やめ…かじ、んな…っ」


口調だけは優しく問いかけるアリタが視線はシンヤに向けたままに爪で片方の突起を強めに齧る。

ガリ、と容赦なく齧られて痛みを感じるはずなのにシンヤからは悦びの声が上がり、響くのはそれと手すりと手錠が擦れ合う音だけ。

後は時折聞こえる淫らな水音がシンヤ自らの股間に柔らかな刺激を与えていくのだ。



「あ、だめ…っや、…っ」

「こっちもかじってやろうかぁ?後が気持ちよくなるかもだし?」



今度はアリタが丹念に舐め上げていたそこをもう片方の手で齧られる。

思わず激しく震えた体を見てアリタが笑い、思ったよりも強く齧られたそこからじんわりと赤いモノが染み出してきて再びそこをアリタが

舐め上げた。

じくじくと染み渡る熱さがたまらなく、シンヤの体に更に熱を与えさせていく。




「い、た…っ」

「じゃあ、次はまたお薬の時間だ。こうして傷をつけておくとようく効くんだぜ?覚えておきな、"館主見習い"様」




言ったかと思うとアリタがスーツのポケットから何かの入った小瓶を取り出した。



お薬


びくりとシンヤが体を震わせても気にする様子なく、アリタはそれの蓋を開けまたポケットから取り出した筆にたっぷりとそれを付ける。

白い新品の筆にじわじわと染み込んでいくそれを見ただけでシンヤの胸は不安で押しつぶされそうになり、逃げようとしても

相変わらず手は拘束されたままで下半身もアリタに馬乗りされているせいでぴくりとも動かない。




「キモチヨクなりましょうねぇ…シンヤ様」




ニヤリ、と笑って


アリタの筆がぺたぺたと傷つけられた突起に、丹念に塗りこまれていく。

液体がそこに塗りこまれただけでもしみていくその感覚がたまらないというのに、そんなわけも分からない薬を塗られてしまったら。



(たす…けて…誰か)



願ってもその声はすでに発することも出来ず。


一旦腰を上げズボンと下着を脱がしに掛かっているアリタを見ても、シンヤは動かなかった。

動けない、といった方が正しいだろうか。




「うわ、もう勃ってる。やらしいなぁ、そんなんでよく人のこと抱こうとしたよ」


嘲笑いながらアリタの筆は小瓶に戻され、たっぷりと液を補充し終えるとまた外に出され得体の知れないそれを滴り落としながら

胸の突起と同じく亀頭に塗りこまれていく。



「あ、あぅ、ひ、ひふっ」



細かな毛一本一本がそこを撫でていく感覚が直接的に伝わってきて、背中が震えた。

すでに喘ぎ声というよりは穴の開いたビニールプールのように息を漏らしながらその様子を見守るシンヤ。


更にアリタはシンヤの足を一気に持ち上げ肩に掛けると、曝け出された彼の秘所にまでそれを塗りこんでいく。

これには溜まらず今まで以上に激しくシンヤの体が小刻みに震えた。



「ヒッ!!あ、あっ!!そっ…そこ…や…め…っ」

「お薬たっぷり塗りましょうねぇ、そしたらシンヤ様最高の気分になれますよ?」




ク、と笑うアリタ。

そこに優しさのカケラも人間としての感情も何もかも本当ならばあるべきものが感じられなかった。

怖い

突然扉を開けてツチダが立っていた時の恐怖とは違う、底知れぬ恐怖。



(この男は…ッ)



この男の瞳には、シンヤではなくシンヤに対する「憎しみ」や「フクシュウ」の気持ちしかないのだ。

恐ろしい

同情など一切感じられない、きっと今こんなことをしていても楽しいだけなのだろう。

恐ろしい







そうこの男は―




と、突然アリタに何かを塗りこまれたそこから熱を感じた。

とは言っても今までの熱さとは違う、どこかぴり、と痛むような集中的な熱さ。


「なに…」


ふと気が緩んだその時、シンヤを痛みに似た何かが襲った。

激しい、痒みだ。




「ひ…っぁあぁああ!!かゆ…っ痒い、痒いぃぃぃっ」

「はははは!!どうするシンヤさまぁ?おててが使えないんじゃ乳首もちんこもケツの穴も…ッ

 痒くて痒くて仕方ないだろ?ははは!!」

「う、ぐ、あ…っいた…っかゆ、痒いっかゆいぃ…手、手離せ…はなしてっ…」



虫に刺された時の痒さなどではない。

明らかにこれは「苦痛」と感じるレベルの激しい痒み、突如襲ったそれから逃れようとシンヤが身をくねらせてもアリタは笑ってみるだけで

何をしようともしなかった。

これ以上に面白い玩具はないと言わんばかりに高らかに声を上げて笑うだけ。 






「さあ言え!!俺に忠誠を誓え!!俺の犬になれ!!それを誓ったら許してやるよ…まあ、もうお前のプライドなんてカケラも残って

 ないだろうしなぁ?な、シンヤ」

「う…う…く…っ」



悔しい。


いくら金持ちに性が合っていないといえどシンヤにもプライドがあった。

カケラもないなんて、そんなことは決してない。


溢れ出す涙がそれを口に出さずとも表していた、反抗心をむき出して睨みつければまたアリタが笑うだけだとしても。


(絶対に…ぜ…たい…に…)


思考がぐらつく、何せ強力な媚薬を使った上に気が狂いそうになるくらいの激しい痒みを催す得体の知れない薬を敏感な場所に

塗りこまれてしまっているのだ。


プライドを守らなければいけない。


「くぅ…っう、ぁっ…あ、あ…」


いくら不幸な人生を自分の父親のせいで送ることになったとはいえどうしてこんな男に屈しなければならないのか。


「ぐ…う…うう、う…」





気が狂いそうな痒み

そうこの痒みは

尋常ではなく



「は…は、は…ひ、は…か、ゆひ…」


例えシンヤが虫の息になろうと、この男は慈悲のカケラも見せず。



「かゆ…ひ…し、んじゃ…う…」

「だからさぁ、俺の犬になれって」



シンヤのモノの先からとろとろと先走りがとめどなく溢れ出す、しかし絶頂に達するには刺激が足りない。

刺激が欲しい

思い切り掻きたい

掻きたい

この地獄から、早く


(も…だ…め…だ…)





「したが…ひ…ま…ふ……」






男の笑い声が聞こえる。

今のシンヤの姿はさぞ滑稽で、さぞマヌケ面で、さぞ惨めったらしくて

彼にとっては最高の光景に違いない。




「犬なんだからわんだろ?わんっ」

「わ…ん…っ」

「よしよしいい子だ…」



シンヤの頭を撫でながら片方の手をポケットに持っていき、そこから何かを取り出すアリタ。

撫でていた方の手でアズマから貰ったスカーフを丁寧に解いていくと、代わりにそれを俺にまきつけた。


首輪。

黒く、古い年代モノのそれが俺に取り付けられる。

忠誠の証。

"アリタ家"伝統の専用メイドの首輪だったに違いない、慎重につけられたそれは皮が柔らかくなっていたもののわざとなのかキツク

締め付けるように取り付けられた。




「今日からお前は俺の犬だ、メイドに飼われる淫乱な交尾犬。

 かわいそうなシンヤ様…きっともう、幸せになんかなれない」



なれないのではない、きっと。

彼がさせないのだ。

それを許してくれないのだろう。


(俺は…コイツの、犬)


うまく回転しない頭が復唱するように告げる。

わからないはずがなかった。








手錠が外されると、うつ伏せになりシンヤは無我夢中で自分のモノを上下に擦った。

ガリガリと爪で先を齧り、そんなことをしてしまったら余計染みるのはわかっていたがそれどころじゃない彼は同じように胸の突起も

シーツに強くこすり付けるようにして体を上下させる。

どれだけこの姿は淫らで滑稽な姿に見えるだろう、一瞬キラリと輝いて見えたツチダのカメラを思い出すと再び熱がこもってきて

どうしようもない感情に襲われてしまうのだ。



「は、あぁぁあ…!う、くぅ…」

「シンヤぁ、ケツはどうすんの?痒いだろ?」



わかっているくせに焦らすようにアリタが告げる。

もどかしさに胸が疼き、忙しなく痒みをできるだけ抑えようと先ほどの動きは続けたままでアリタのことをちらりと見た。

もう何が起ころうと、何をされようと構わない状態。

「欲しい」と言わんばかりに欲情の瞳を向ける行為でさえシンヤには一切の苦痛も恥じらいも感じなかった。




「おねだり、しろよ」




冷たく告げられても反抗することもなく。






「くだ…さ…っくらさ、い…おま…ごひゅじんさまの…くら、はい…」







突き立てられたのは刃ではなくたった一人の男の猛ったモノ


盛ったオス犬はきゃんきゃんと悦びの声をあげる


冷たいレンズに映し出されたその姿は酷く滑稽で惨めで




犬を手に入れた男は失ったものをどうにか取り戻そうと必死にそれを突き立てる

どこにもないそれを求めて



犬は永遠の暗闇への道に誘われてしまったことに気付いていない


今はただ


甘い 甘い 快楽に


溺れていればいいだけ







「これからどうぞよろしく…シンヤ様」













next....