逃げ道なんかない
この道に進むと決めた自分の責任
その責任は重く辛く
僕は今日も終りの見えない峠を越えようと
必死になって歩く
MAID―メイド―
"犬"
シンヤ=ウエダは苦しみに喘いでいた。
しかしそれが本物の苦しみなのかそれともこの快楽が臨界点を越え苦痛になっているのか、それに悩んでいること自体が苦しみなのか
彼には全くわからなかった。
あの夜からすでに数ヶ月が過ぎている。
運命の日の夜、これから"専用メイド"として働く予定だった男に強制的に犯されたあの日から数ヶ月。
その数ヶ月は今までシンヤが生きてきた十数年よりも遥かに濃く、一生その記憶から消えることがないであろうものだった。
毎日ロクな仕事も与えられず呆然と会社で過ごし精神的な疲労を抱えて帰宅。
そして夜になれば男―アリタに激しく抱かれる。
最初こそ犯すことしかしなかったアリタ、だがそれは次第にエスカレートしていく。
そのスピードに追いつくことのできないシンヤの疲労はただただ増していくばかりで、それでもつけられた鎖はシンヤを逃さんとばかりに
その首を締め付けてくる。
鎖、首に巻きつけられた黒い首輪。
がさがさになった古い首輪はつけ心地最悪だ、外そうと思えばいつだって外せるそれをアリタに言われたとおりシンヤは
風呂に入る時以外決してそれを外すことはなかった。
『あぁ…は、あ…』
画面に映し出された自分。
もう否定することもなく快感に身を捩じらせ、少ない体力で「もっともっと」と求め続ける浅はかで愚かな姿。
何度この映像を見せられただろうか。
暗闇の部屋、ちらちらと光り続ける液晶画面を精気のない瞳で彼は見つめる。
最初は「いやだ」「やめてくれ」と泣き叫んだ。
喉を枯らしコックや運転手に心配された時期もあった。
だがいつしかそれもまるで甘えのように感じられて、彼は痛みを訴えることをやめた。
朝起きたら顔を洗って歯を磨いて、甘い甘い飴をなめる。
はちみつのたっぷり入った飴は喉にとても優しく、包み込むように潤してくれた。
扉を開ける。
そこにはもう夜の彼はいない。
目覚めのいい朝だと笑顔で呟く新しい彼がいる。
「シンヤ様、おはようございます」
「おはよう。今日の朝食は?」
「納豆とごはん、それに焼き魚ですよ」
あきらめた。
彼らに助けを求めることも、助けがいつかくるのかもしれないと願うことも全て諦めた。
暗闇の部屋。
ちらちらと彼の顔を照らすのは液晶画面から放たれる微弱な光り。
あきらめた。
『シンヤ様?まだやるんですか…?もう俺疲れましたよ?』
『も…と…も、と…』
『淫乱だな、立派な館主様の子とは思えないはしたなさだ。可愛そうに声も枯らして』
光のない瞳が自らの姿とその男の姿を見つめる。
「シンヤ様」
「…?」
呆然と呼ばれた方向に顔を向ける。
誰を見ることもない虚ろな瞳は朝の彼とは全く違う。
がたいの大きなその男はそれ以上は何も言わず、無言で彼にシーツを巻きつけ抱き上げる。
だらん、と力なく落ちた腕をぶらぶらと揺らしながら扉を開け、いつも通りに向かう場所。
シーツからはみ出た足から伝ってくる液体が零れ落ちる前に辿り着く―狭い風呂場だ。
浴室に張られた湯から白い湯気が浮き上がっては消え浮き上がっては消えを繰り返し、風呂場全体を白く染めている。
剥ぎ取られたシーツは乱暴に脱衣室に投げ捨てられ、男は彼をシャワーも浴びせないままその浴槽に沈めた。
白く濁った液体が湯に溶けて広がっていく様を四つの精気のない瞳が見つめる。
「地獄、だとお思いでしょうが」
男が呟くように語り掛ける。
「いつか這い上がれる…救世主が現れるともお思いでしょう」
彼がゆっくりと首を横に振っても男はそれ自体を否定するように、一度だけ首を横に振った。
「望みは持たないことです。それがこの地獄から救われる唯一の手段だ」
確かに、と。
自然と彼は顔を頷かせた。
そのまま顔を上げることなく水面に映った自らの顔を見つめて、男が去って行く物音を聞く。
「望み、か…」
呟いた言葉は浴室に響くこともなく水面を微かに揺らすだけ。
一瞬揺らいだそこに映ったのは自分ではなく
「こんな状況でも望みを持つ俺は…地獄から助かることができない…っつーことか?」
自嘲気味に言ったその言葉を自らの耳で捕え、天井を見つめた。
残された道
可能性、は
後一つだけ
Next....