気付いた時にはそこにいた


振り返れば必ずそこにいて 笑いかけてくれた








お前だけが今ただ一つの望み















MAID―メイド―

"親友"















シンヤ=ウエダは真夜中の道を走っていた。


詳しく言えば数ヶ月前まで愛用していた廃棄寸前のボロ乗用車で、真夜中の道を暴走族の如く猛スピードで走り抜けて行く。

ハンドルを握るその顔に焦りや不安などの感情の動きはなかったものの心臓を治まらない何かが「早く早く」とまくし立てている。






『どこ行くんですか?』


仕事


『こんな夜遅くに?…窓際部長のお前が?』


接待は俺がやっているから


『へぇ。まあ…妙なことは考えないようにね』












逃げた。

初めてのことだった。

ここ数ヶ月すでに諦めていたシンヤがこの生活から逃げ出したいと考えなかったといえばそれは嘘になるが、実際に行動に移したのは

これが初めてだ。


ハンドルから片手を離し、その手で首元に巻かれているネクタイ代わりのスカーフに触れる。

それに触れる度に不安な気持ちも何もかも、マイナス要素の思考は全て安堵へと変わるのだ。


―アズマから受け取った引っ越し祝いのプレゼント。

濃い茶色のそれの下には例の黒い首輪が巻かれている。




それを隠すために巻かれたスカーフはシンヤにとってただ一つの救いだったことは間違いなかった。





(アズマ…)





彼にとって唯一の救い―脆く儚い唯一天から落とされた蜘蛛の糸。

それに縋りつきよじ登って行くようにシンヤは夜の道を揺れも何も気にすることなく車を走らせていく。


















辿り着いたそこにはいつにも増して巨大に見える豪華な屋敷。

門の向こうには広い庭が見え、きれいに狩り揃えられた盆栽が並べられ砂利と岩で作られたアートにとても合っている。

聳え立つ屋敷は大河ドラマで見るような光景が広がっていて、ぼんやりと灯りが映る障子の向こうでは

「お代官様黄金色のお菓子でございます」「越後屋、お前も悪よのう」「はっはっは」なんて取り引きが行われているんじゃないかと

錯覚しそうになる。


今乗っているボロ車がシンヤでさえ恥ずかしくなるくらい、無駄に大きなそこに彼は住んでいた。

彼―アズマの実家。

亡き父から受け継いだというその家からそろそろ自立しようかなんていっていたが、恐らくまた莫大な遺産と溜まるに溜まった貯金で

同じような立派な館が屋敷を立てるに違いない…今はそんなこと、関係ないのだが。



流石に騒がしくしては迷惑な時間帯、屋敷の前に静かに車を停め同じようにできるだけ音を立てないようにドアを開ける。

屋敷の前にすでに立っていたらしい使用人が慌ててやって来てそれを手伝うと、慣れた手付きでシンヤから鍵を受け取り車に乗り込むと

エンジンを掛け暗闇の道を走り去っていった。

もちろん盗難事件ではなく、少しはなれた駐車場に車を置きに行ったのだ。


シンヤが門と玄関の間を歩き終わった頃にはすでに新しい使用人が現れていて、扉は開かれ明るく暖かい灯りがシンヤを向かえる。

客人に対する無礼は己の恥。"館主"として生きる者の常識だ。

本当なら車を開ける所に間に合わなかった事は減点ポイントだが、シンヤは特に気にすることはないので報告なんて事は。





「シンヤ様、ご無沙汰しておりました」

「アズマ起きてるか?悪いなこんな時間に」

「いえ、タカヒロ様も先ほどご帰宅なされたばかりですので」



深くシワの刻まれた顔を更にくしゃりとさせ微笑むこの老人は、昔からアズマの世話係を任されている使用人。

シンヤも彼とは幼少の頃からの付き合いがある。

時折「あの時のタカヒロ様といったら」と笑いながら話すことがあり、慌てふためいてそれをとめようとするアズマを笑う。

この屋敷に来た時の楽しみの一つでもあるのだ、実に気のいい老人でシンヤは酷く彼のことを気に入っていた。











屋敷の最奥部である部屋のふすま前に辿り着くと、その場で膝を突き静かにそれを告げる。


「タカヒロ様、シンヤ様がお越しになりました」



「ああ、入れてくれ」


ふすま越しのくぐもった声。

どこか疲れが感じられるその声からは艶めかしさすら感じられ、いつもの明るい調子で発せられる軽いものとは全く違う。

自分がメイドにでもなったような気分になり―お殿様どうぞよろしゅう頼んます、といったところか―シンヤは苦笑しながら

音も立てずに開かれたふすまの向こうに足を踏み入れた。










「なんかすごい久しぶりって感じだな」

「そうだな…もう何ヶ月会ってないんだか」




部屋にはすでに布団を敷き、白の着物に耳を包んだアズマがそこに座って待っていた。

おいおい客が来るのに失礼じゃないかと言う権利はない、何せ急に連絡を入れて無理を言って突然やって来ているのだから。


話しているうちに先ほどの使用人の老人がちゃかちゃかとふとんの用意を始めていて、それをちらちら見学しながらいつも通りの世間話を

はじめる。

数ヶ月前までは頻繁にここに訪れていた。

だから老人が布団を敷くのも当たり前だ、いつも夜中にシンヤがやって来る時は言わずともお泊り会と決まっている。

逆にアズマを家に呼ぶことは一切ないシンヤ、よくよく考えると図々しい話にも思えるがアズマはこれっぽっちも嫌がる気配を見せず

彼の性質や事情を知っていた為にいつだって優しく「おいでおいで」と迎え入れていたのだ。



それが最近になって急に絶たれた。


何度アズマに会いたいと願っただろう。

しかし願うばかりでシンヤ自身がそれを行うことはなかったのだ。




チャンスがなかったと言えばなかった、あったと言えばあったのかもしれない。

一つ言えることはシンヤに後一歩を踏み出す「勇気」がなかったことだろうか。


(勇気、というよりは)


一晩くらいは、と思える図太さがまだなかったのかもしれない。


この数ヶ月で自分がどれだけ「お坊ちゃん」で自分が思っていたよりも全然「庶民」からかけ離れた甘ったれの人間なのかを十分といって

いいくらい確認し続けた。

「この映像を売ったらあんたたち一族は終りだひっひっひ」なんて脅しを聞かされて指一本動かない状態だったのだから、それは

間違いない。

この世界で「庶民」を言い張るのならそんな身分のことで脅されても動揺することなど一切ないだろう。

「庶民」の殆どが堕ちるに堕ちた「メイド」になっている、彼らにどんな脅しをかけたところで。




「寂しかったんだけどさー、ウエダ全然連絡くれないんだもん」

「いやまあ…いろいろあってさ。仕事が立て込んでたっていうか…」



苦笑いするとアズマが少しだけ悲しそうな表情を見せる。

何せ今までお互いの間に「いろいろ」なんて誤魔化しの言葉は使われていなかったのだから


仕方がない。















出会いは7歳の時。


何があったのかは幼い頃のことだから思い出せないが、シンヤはアズマと出会ったその時多少内向的な子供だった。

人と話すのが苦手で通い始めたお坊ちゃま学校でもなかなか友達ができず、唯一の救いと言えばさばさばとした金持ち特有のお付き合いが

主流だったが為に「いじめ」がなかったことだろうか。

単に彼が「ウエダカンパニー」のご子息だったからかもしれないが。



しかしいつの間にかシンヤは今のような社交的な性格になっていた。

何があったかと言えば変わり者のオオタケ、ウチムラとの出会いなんだろう。


一番影響を受けたのはきっと彼。





『シンちゃん、お友達だよ…』





父が気を遣うように紹介してきたのは一つ上の男の子。


彼は―





『俺タカヒローお前は?』

『うるせぇばかしゃべんな』





不幸の星の下に生まれた人間だった。









『うぁぁああなんで殴るんだよぉぉ』

『べっべたべたすんなばーか!』



内向的―シンヤはそう自称するが実際は人生の中で一番荒くれた時代、内向というよりは「ガキ大将」だったために友人ができず

悩んでいたと表現するのが一番だろう。

その荒くれ時代が結局高校卒業まで続くのだが、それは後に語ることにする。



タカヒロ=アズマという人間は芸人になった今でもそうであるように、とにかく不幸で俗に言う「いじられキャラ」だった。

お笑い芸人である彼の父は彼がシンヤにつきまとっては悲惨な目に遭いオーバーリアクションをとるのを何より嬉しそうに見ていたことを

シンヤも鮮明に覚えている。

同時に世の中の父親は―自分の父を含め―どうしてこう息子に対して普通に接することが出来ないんだろうと悩みもした。





『あーあー…また泣かして…』


学生服姿の優しげな表情の中学生、ウチムラとその後ろに何も言わずぼへぇと立ち尽くす半眼のランドセルを背負った少年。

ウチムラの手が頭を撫でるとシンヤの瞳からは次から次へと涙が出てきて、どこかで拾ってきたらしい小枝でオオタケがアズマをつつくと

殴られてショックを受けているために更に大声を上げて泣き出す。

収集の付かない事態。

困り果てるのはいつもウチムラ。


それが日常になっていた。






本当はいじめたいわけじゃなかったのだ。

ただ照れ屋で感情表現の下手なシンヤは学校の「関係はできるだけもちたくない」と気持ちを遮断する人間とは全く異なった、

アズマという少年が、少々受け入れがたかっただけ。

うれしかったのかもしれない、逆に言えば。



『なーシンヤー』

『だっ、だ、だ、だから近づくな!またなぐるぞ!』





『やだよ、だっておれシンヤと友達になりたいもん』




何度殴られても屈強に耐え続け、挙句の果てに笑顔でそう言い放ったアズマ。

シンヤとアズマの「変人同士のお付き合い」はここから始まったのだった。

















「なあ、何ヶ月も会わなかっただなんて、さ。初めてだよな」

「…ああ」

「何かあった?」



随分と直球な質問。

一瞬目を伏せ、かと思えば天井を見上げ一見すれば挙動不審な行動をとるシンヤをアズマは気にせずにこにこと見つめている。

素直に物を言い出せないだなんて、まるで幼少時代の自分に戻ってしまったようで僅かなもどかしさがシンヤを襲った。


あの時だって本当は友達が作りたくて仕方が無かったのだ。

殴っては大きなリアクションをとる彼が面白くて思わず腹を抱えて笑いたかったし、やりすぎてしまった時にはウチムラに

「あやまりな」と言われる前に謝りたかった。


それでもいいだせないのは、胸のどこかにしこりがあるせいで。




「何でもない」




どうしてかはわからなかったが、あの時もきっと今と同じような気持ちがあったからだ。



「なんでもないよ」



上手く動かない口が痺れて顔が強張ったのを感じそれを隠すように布団にうつぶせた。

自分の家とは違う洗剤の匂いがどうしたもんだかなつかしい。







「じゃ、何でもないんだ」







聞こえた東の声さえ、なつかしい。




(アズマの…バカやろう)



シンヤは口下手だったりここぞという時に正直なことをいえない所があったが、

アズマは人から話を聞きだすのが特別上手かった。

彼らは昔からの凸凹コンビ。


諦めたようにくぐもった声でため息をついたシンヤをみて、アズマは隠すように笑っていた。















どうにか顔の強張りも納まり、とりあえず風呂に入った。今日はお泊りセットを持ってこなかったのでアズマとお揃いの白の着物。


もちろん着物の上に不自然に巻かれたスカーフをアズマは見逃さなかったが、自分から言い出すことはしない。

気まずく思いながらもシンヤはまた用意された布団の上に座った。




「っはぁ…俺んちバスタブ今狭いからさ、アレだけ広いとのびのびできるよ。お前んち来ると温泉旅館に来た気持ちになる」

「何いってるんだよ、ウエダの家の方が風呂は豪華じゃん」

「今はの話」




そこで会話が途切れる。



諦めたようにシンヤがため息をつくと、アズマが「大丈夫?」と聞いてきた。

もちろん「大丈夫」と答える。ここでもし否定などして話さなかったら二度とココに来ることはできなくなるだろう。

もし今この機会を逃したら、次にシンヤがここに来る時は話など到底出来ない状態になっているかもしれない。

予測ではあったが、なんとなくそんな気がした。






(話さないと)


ここに来た意味がない。





息と唾を同時に飲み込み、シンヤは口を開いた。

首もとのスカーフを解きながら。









「お前…っそれ」




シンヤの首元を見た瞬間、アズマは目を見開いた。

当たり前だ。

これがもし100年前の一般家庭で行われた行動なら「あらこの人変態…?!」と驚くだけで済むんだろうが、そうはいかない。





「新しい…メイドが、来てな。名前は"アリタ"、俺の専用メイド」




驚きが隠せない様子のアズマ、一旦落ち着くまで待とうかとも思ったがそうしたら離せなくなるような気がした。

なんとなくではあるが。












洗いざらい話した。

そのツチダが連れてきた新人メイドに弱みを握られていること、それからずっと"犬"として飼われていること。



毎日が地獄なんだ

明日目が覚めることがこんなにも苦しいだなんて

辛い

辛い

辛い



普段嘆くことのないシンヤの言葉一つ一つを聞くたびにアズマが顔を苦痛にゆがめる。

事細かに話すつもりなどはない。

しかし口を開けば開くほど、今この現状から逃げたくて仕方の無い気持ちが溢れ出てきて次から次へと言葉を紡いでいくのだ。



(ああよかった)



シンヤは嬉しかった。

何よりもまだ今の状況を「辛い」と言えて、アズマに助けを求められるだけでもそれは救いになる。

まだ自分は堕ちていない。

アリタの見た"地獄"と呼ばれるところまで堕ちていないのだ、きっと。



話を終えたときには声がかすれていた。

胸に溜まっていたものはどこかにいってしまったかのように一切なくなっている。



(何も言ってくれなくったっていい…むしろ何も言われない方が)


救いになるような、気がした。










「…わかった。なんだか…怒りとか…よくわからない。信じられないというのが大半を占めているかもしれないよ」



呆然と枕を見つめるアズマの目には明らかな動揺が見える。

まずい、と思いながらもシンヤはそれ以上口をあけようとしなかった。


(勝手な話だ)


意見を求めるわけでもなく、救いを求めにきておいて話を聞いてもらえるだけで満足している自分にシンヤは心中鼻で笑う。


勝手だ。


きっと、この苦しみから助け出して欲しいという望みよりも同じ苦しみを「親友」である彼に背負って欲しかったのかもしれない。

今更ながら後悔の気持ちも浮かび上がってきた。

本当に


勝手だ。



段々と込み上げて来る自己嫌悪に押しつぶされそうになるシンヤに、アズマが静かに語りかける。



「よく…わからない。俺はどうやって助けたらいいのかわからない。助け…られないかもしれない」

「ごめん…そう、だよな。悪い…忘れてくれて構わない。俺の存在ごと忘れたっていい。

 ただ今夜だけは勇気を出してお前に会いにこれたもんだから、気が大きくなってたのかもしれないな」


「そんなことしない!!」







静寂を破ってアズマが大声で叫んだ。

その目には動揺はもうなくしっかりと定まったいつもの黒々とした大きな目。


しかしその目はどこかでみたことがある。





「あず、ま?」





思わず座ったまま後ずさったシンヤをアズマは

















「どうすればいいとかわからないよ…だって…おれ……」



暖かな体温を感じる。

とても優しくて頼れるそこにシンヤはいた。


着物が肌蹴て少し汗ばむ胸板の中に、抱きしめられていた。



「あっあずま…冗談だろおい…離せよ」



笑いながらそこから離れようとする。

しかし抱きしめる力は明らかに強く、それが緩まることは無い。



「…許せないよ…?そのアリタってヤツが…」

「アズマ!」

「絶対俺が守りたいし…でも、でも俺」

「アズマ」



「お前が…他のヤツにとられるのも許せない」




触れた唇が体以上に暖かくて、無我夢中でかぶりつく様にあてられたそれはきっと心地のいいもののはずなのだろう。


(そんな)


これはアリタやツチダがするものとは違う、きっと、違う、そう、違う。









「ウエダ」











体が動かなかった。

湯船に浸かっていて火照ったからだをアズマが被さるように抱きしめる。


「や…だ…やめ、ろよ…」

「俺はウエダが!!」

「いやだ!!」


(聞きたくない)



逃げようとしても叫び声が出るくらいで涙も出ないし抵抗する力もわきあがってこない。

つい最近、大学生まではプロレスごっこに興じて遊んでいたししかもシンヤが勝っていたくらいだ、それなのに抵抗しても

腕を解くことが出来ない。



たった一つの救い

たった一つの望み

たった



たった一人の 親友




たった一人の 理解者




信頼していた者





フラッシュバックのように様々な記憶が蘇ってきた。

もう諦めていたはずなのに、どうしてこうも自分が馬鹿なのかと嘆きたくなってもどうしようもならない。

止まらない。

動き出した歯車が動くことはもう永遠に無い。















高校生のとき、一時期タバコを吸っていた時があった。

恰好つけて「お前ら坊ちゃんにはできないだろぉ?アア?」と偉そうに迷惑そうな顔をして自分を避けていく金持ちの優等生達を見て

自己満足していたのだ。


アズマはもう学校を卒業していて、タレントとしての道を歩みだしたところで。

その時酷く怒られたことを覚えている。

何せアズマが自分の行いに対して本気で怒るなんてことは滅多に無いことだったし、下手をしたらそれ以来それ以降一度も見ていない

ような気がするぐらいだ。




「後2、3年待てば吸えるんだから!!ガマンしろよ!」

「ん、んだようっせぇなぁ…タバコぐらい普通だよ、高校生じゃ」

「普通じゃない!だって俺吸ってなかったし!」

「お前はな…」



怒るといっても慣れていないせいかどうにも頼りのない怒り方で、こちらも本気で返すわけに行かず逆に気を遣ったりして。




「とにかく!自分の体は自分しか本気で心配してくれないんだから、大事にしろ!」




そんな名言も頼りなさげな表情でいうんだから、記憶から消えないのもしかたがない。












嬉しかった。


きっとあの時のような展開を望んでいたんだろう。

きっとあの時のように優しく励ましてくれて

引っ越したあの日のように優しく微笑みかけてくれると思っていたんだろう。






「ア…ズマ…」



乱れた胸元に顔を寄せて、ちゅ、と軽く吸われた胸の突起。

その瞬間軽く痺れた体が妬ましかった。



「ウエダ…」


きっと嬉しいんだろう、アズマは。

呆然と回転を諦めた思考が悲しみの奥に喜びを秘めた表情を浮かべる彼の顔を認識した。


ずっと想ってくれていたんだろうか



(もし、こんな時期じゃなければ)




自分は喜んで彼の求愛に答えただろうか。

自分に問いかけ、首を振る。


彼はたった一人の親友であり理解者であり―アイスルヒトではなかった、むしろそれ以上の存在だったのだ。

唯一無二の存在。








体が震える。

アリタに開拓された体は、アズマの慣れた手付きに面白いくらいに反応しびくびくと震えた。

面白いくらいに気持ちとは反比例の反応。

快感に震えるシンヤの涙が嬉し涙ではないことにアズマは気付いているのだろうか。



「ん…あぁ…っひ…ぅ…」

「ん、ん…ん、ん…っ」



むくむくと成長していくモノを口で銜え、音を立てて奉仕していくアズマ。

その作業を止めないまま片方の手が伸ばされ、再度シンヤの胸の突起に触れた。



「あぅ…っ…は、あぁ…」




気持ちよくて

すごく、気持ちよくて






(たまんねぇよ…)







ああ、いろんな意味で。笑い。












「あっあぅ、あっあっ!!」



四つん這いになったシンヤの腰をしっかりと掴み、深く、より深くモノを押し込んでくるアズマの顔にはもう余裕など見えなかった。

必死ですがり付いてくるアズマを想うだけで疼く胸、それにシンヤは嫌悪する。

嫌いで嫌いで仕方の無い自分を更に嫌いになっていく。


アズマを嫌いにだけはなりたくなかった。

何があっても。




「ウエダ…気持ちいい…きっと、俺だからとか…っそんなんじゃないよね…」


弱弱しく吐いた言葉。相変わらずだ。

きゅうきゅうと勝手に締め付ける肉の軋みが腹に響いて、苦しい。



「そんな声…普通だったらあげないし…こんなに柔らかくない…」





「傷つけたくないけど、抱きたいって思ってて…でもそんな自分がいやで…大体甘えてるだろ?」





「今ウエダ…傷ついてない。傷つかないほど…慣れてる…」






でも



「いっぱいもう…傷ついてるんだよな…」






果てるまでに何度アズマは謝っただろうか。

その言葉に萎えてしまえばいいのに、その言葉が届かないくらい大きな声で喘いで口を開けっ放しにしみっともない顔しか出来ない。


(そんなこと言うなよ、馬鹿やろう)





四方に飛び散った濃い体液が体にまとわり付く。

気持ちが悪い。

気持ちが悪い。

気持ちが悪い。





「ごめん…ウエダ…ごめん…何も…できないんだよ…俺には…」








気持ちが 悪い。





















気付けばまた、風呂に入っていた。

白く壁を霞ませる湯気を眺めて溶けていくそれがどこにいくかを考える。

きっとどこにもいかない。

その場で消えるだけなんだろうとシンヤは呆然と考える。


途方の暮れる計算式をひたすらに組み立てていくように、考えた。






(アズマは)


何も出来ない、をひたすら繰り返し「奪われたくない」だのずいぶんと似合わない理由で強制的に自分を抱いた。


ありえない話だ。



今までガマンしていたとするならば、アズマがこのタイミングであんな行為をしてくるのは明らかにおかしい。

きっと思っても気付かなかったフリをしていつも通りに接しようとするだろう。


ならば何故



(答えは一つしかないじゃないか)




アズマの裏切りで一番傷つくのは誰だ。

もちろんそんなことは少し考えればわかる。


そしてシンヤが傷つくことを誰よりも悦びとする人間。




(アリタ…)




体の力が抜けていく。

もう、どうにもならないほどの無気力感。






















風呂からでて、着替え終わった頃にはもう明け方になっていた。

ずいぶんと長い間ここに居座ってしまったな、とスーツを羽織ながら自嘲気味に笑ってしまう。



「ツチダが…お前を抱かなければこのビデオテープを売りさばくといってきた。もちろんあいつの意思かどうかはわからなかったけど」


かた、と渡されたテープは二本。

一本は一番最初にシンヤが襲われた時のビデオだろう、もう一本は出来たてほやほや―アズマとシンヤの性行為を録画したもの

だと勘でわかった。



「脅されて抱いたってことか…?」

「…そういいたい。でも9:1で俺自身がお前を…好きで抱きたかったんだ。

 お前の負担を減らしたいとか、そんなんじゃないよ。本当に好きなんだ」




その言葉が重い。

アズマは気付いていたに違いなかった、その「好き」と想う気持ちこそがシンヤを傷つけたことを。

もし、彼が親友として泣く泣く脅され自分を抱いたとしたらどれだけ気が楽だっただろうか。

考えただけで反吐が出そうだった。そんなこと考えた所で、もう何も変わらない。




 
「アズマ…あいつらの策略に乗るのは嫌だ。だけど…もう」

「わかってるよ」

「アズマ」

「二度とお前の前に顔を出さない」





その誓いが解かれる日はいつか来るのか。






















「じゃあな、ウエダ。…元気で」

「ああ、じゃ」



挨拶は案外あっさりとしたもので終わった。


オンボロ車のドアを乱暴に閉じ、キーを差込みエンジンを掛ける。

激しい音と揺れを見てアズマが苦笑した、見たことのない大人の使う寂しげな表情。




(これが最後)




唯一の親友

唯一の理解者

唯一の望み


唯一の救世主





向かっていく先にあれだけ輝く陽が昇っているのに、これから向かう先は限りなく暗闇に閉ざされている。





(タカヒロ)




ハンドルを握る手を強め、幼い頃一時期だけ呼んだその名を声に出さず呟いた。






「アズマ」






今度は声を出して


ウインドウを開けながら顔は前に向けたまままた呟く。






「このスカーフ…大切にするから」














車は走り始めた。

その遥か後方で四つん這いになり泣き崩れる男のことなど一切気にすることなく、車は走っていく。




暗闇の森の中へと進む車。

恐怖など無い。




もう望みもない。



「ツチダ」




「コレでおれも…救われるかな」






答えはどこにもなく


車はただあの家へと向かっていた。














next....