日が陰りいつもと同じ灰色の空
雲はどんよりと重たい体を引っ張りながらゆっくりゆっくり進んでいく
ゆっくり
ゆっくり
ゆっくり…
「どれだけゆっくりだッ!!」
ツッコミの言葉さえ淀んだ空気のそこに包まれていった
シンヤ=ウエダは立ち往生していた。
家までかなりの道のりがあるのに、愛車であるオンボロ車に片手を付き眉をひそめ立ち尽くしている。
山道。
後数メートル歩けば住宅街。
知り合いの家も何軒かある、例えば大学の先輩であったマサカズ=ミムラの自宅…
訂正。
知り合いの家が一軒ある。
むやみやたらに大きい悪趣味とも言える豪華絢爛な館。
大きな門の向こうにはそれと、渡り廊下で繋がれた棟が一つ。これが現在先輩であるミムラの住む大きな大きな"子供部屋"だ。
どの家だってメイドはたくさん雇っているが、恐らくあの"子供部屋"には通常一つの館で雇われているぐらいのメイドが
いるのだろう。
彼は無類のメイド―性処理用ペット好きだ。
(ミムラさん…か)
ミムラ家の事情を考えてから「じゃあここで助けを借りようか」と考えると、どうにも…頼りたくなくなる。
どうせ後からしつこく「じゃーメイド貸せよー」と迫ってくるに違いない。
メイドを全般的に性処理用ペットとして扱うミムラ家と100年前からの伝統を重んじ各メイドたちに役割を与えているウエダ家…
まるで正反対の家。
人懐っこく明るい性格のミムラ自体は好きだったのだが、「ミムラ家」はどうにもシンヤの肌にはどうにも合わないのだ。
「しかし我侭も言ってられない状況かもなぁ…歩き…歩きな」
目の前に広がる砂利や小石の転がった山道を眺めため息をつく。
いつの間にか陰りを見せた空に気分は落ち込む一方、シンヤはトランクに腰を下ろし空を眺めた。
このままここで遭難でもして死んでしまおうか。
そんなこと本気で思いもしないくせに、心の中で静かに呟く。
つい数時間前まで劇的な出来事を体験していたとは思えな事件はあまりにもマヌケすぎて笑いもでてこない。
もしかして神がこの先に行ってはいけないと警告しているのだろうか。
だとしたら感謝の言葉の一つでもお送りしたい所だが、所詮ありがた迷惑になりそうで聞かない振りをせざるを得ない。
シンヤがもう一度大きなため息をつくとそれは白い煙となり灰色のそこへと融けていった。
首もとの"ソレ"が煩わしく、柔らかなスカーフはその上からほのかな暖かさと優しさを伝える。
あかぎれた手はひりひりと痛み革靴の中の足も寒さに耐え切れず固くなり縮こまっているのに、首元の不自然なほどの温かさが心地よく
強張った顔にようやくかすかに笑みが零れた。
これからどうなるのだろう。
ふと、この痛いほどの寒さと首元のそれを触れてからそんな疑問が浮かぶ。
何度考えたかわからないその疑問は答えようの無いものだったが、ついつい考えてしまう。
(考えないのが一番ってもうわかったのにな…ツチダの言うとおり)
救いはもうない。ありえない。
恐らくシンヤが新たな希望を見つける度にあの男は新たな策を考え、徹底的にその芽を摘み取り踏みにじるに違いないだろう。
ツチダの言った言葉は決して間違っていなかった、希望や救いなど求めた時点でこちらの負けなのだ。
これ以上傷つきたくないというよりは、もうどうでもいいといった感情。
目を伏せ、その瞬間に零れ落ちてきたものなどもう切り捨てなければいけないものの塊。
一粒だけ零れ落ちて茶色い派手なスーツにシミを作ったその塊をもう二度と零さないようにと息を飲み込むと、口の中がしょっぱいような
苦いような妙な味でいっぱいになった。
「もう…シンヤ=ウエダは終わっている」
最後の一言。
今まで書かれ続けていた「シンヤ=ウエダ」の人生のピリオドを打つ瞬間、後はアリタに渡された新たな人生を生きるだけだ。
何のことはない。
今までだって用意された道を歩いてきたのだ。
何のことはない。
「さて…と。ミムラさんとこに行こう。適当に流せばいい話だし」
トランクから腰を上げ砂利道を歩き始める。
すぐ近所にあるあの悪趣味な館のベルを押して、車の一台借りてあの家に帰るため足を踏み出した。
もう今更のことだ…仕方の無いこと。
数分歩いた所にミムラ邸はある。
歩き始めてすぐに見えてきた建物を見て苦笑しながら、速度を速めた。
と
(アレ)
お目当ての館が見つかった所でふと人影に気付く。
ミムラ邸の玄関にあたるところで足を止め、何かぶつぶつと呟きながら難しい顔をして立っているそれはどうにも"館主"とは思いがたい
風貌の青年。
短い髪に多少暑苦しいイメージのある丸顔、ぐりぐり―くりくりというよりはこの表現があっている―とした目があたりを見回したり
手元にある紙を見たりと大忙しに動いている。
服装も黒いフェルト生地のコートに膝の辺りがぼろぼろになったジーンズを履いていて、足元のスニーカーもジーンズと同じくぼろぼろ。
後ろに置いてあるキャリーバックも相当な距離を歩いてきたのか泥や埃に塗れて悲惨なことになっていた。
(一般人…かな)
あえて「庶民」という単語は避ける。流石に高飛車だ。
こんな所で大きなキャリーバック持ってしかもお世辞にも綺麗とはいえない安物の服を着ているといえば…
恐らくメイド志望の者だろう。
青年は口をあんぐりとあけたまま連なる館を見上げて一言呟いた。
「うはぁ…でけぇ」
「ブッ」
思わず噴出してしまい、おっとまずいと口を塞ぐ。
特に隠れる必要も無かったし普通に「すまないねここに用事があるんだ」と押しのけて目の前の館に入ってしまえばいい話だったのだが、
タイミングを失ったというかなんと言うかなんとなくばれないように息を潜めてしまった。
(おいおい…わかりやすくメイド志望の一般庶民じゃないか…)
決してバカにしているわけじゃない。
これは見下すだとかバカにするというよりは、なんとなく「可笑しい」といった方が正しい感情。
こう、胸の奥がむず痒くなるような可笑しさで満たされるというかなんというか。
とにかく何か可笑しくて。
と、シンヤが笑いを堪えているうちに青年はまた歩き出す。
慌ててその後を追ってしまう様はすっかり変質者だ。
ミムラ邸もあっさりと通り過ぎてしまったあたり、意味不明。
「えーと…オオタケ様…オオタケ…オオタケ…ああもういろいろありすぎてわかんねぇよ…」
ああまた古典的なことを。
また噴出しそうになったところで、はたとする。
「オオタケ…?」
オオタケ、といえば。
シンヤの中に思い浮かぶのは知り合いの"変人館主"の顔。
「オオタケさんとこの…メイド、か?」
オオタケ。
カズキ=オオタケ、就職マガジン"困った時はお互いSUMMER"でおなじみのジラフ社若社長。
"館主"の中では飛びぬけた変人だと有名、無表情意味不明のメガネ男。
(あの、オオタケさんの…)
砂埃を上げキャリーバックを転がす青年の背中を見て、再び笑いが込み上げて来る。
どうしてだろう、あのオオタケ家のメイドになるのかもしれないその青年に興味を持ったのか。
それとも"変人館主"の元で働く運命なのであろう青年に哀れみの笑いでもこみ上げてきたのか。
恐らく両者。
「お互い苦労する身…ってやつか」
呟いた言葉は白い息とともに誰に聞かれることなくそこに融けて消えていった。
そして自然と歩みが速くなる。
「ああもう…っ」
「もしもし、もしかして迷ってる?」
気付けば青年に話しかけている自分がいた。
(ま、どうせ俺の家近所なんだし…面倒見てやるか)
はは、と笑いそうになるのを堪えて。
これが哀れな館主と哀れなメイドのファーストコンタクト
哀れな館主は己の運命に絶望を見つけて
哀れなメイドは未だ己の運命に気付かず
二人の出会いが決まっていたはずだったこれからの"運命"を変えることになろうとは
双方とも気付くことなく
哀れなメイドは今日も哀れな青年の夢を見て
哀れな館主は己の未来の夢を見る
これが哀れな館主と哀れなメイドの
出会い
MAID―メイド―
"遭遇"
シンヤ=ウエダは今歩き始めた。
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