変わらない毎日
異常だと感じていた日々を日常だと思うようになってきて随分と時が経つ
これが日常で この館は俺にとってのホームで 外の世界が異常で そこは俺にとってのアウェイ
毎日が過ぎていく
刻々と時を刻みながら、足を速めたり緩めたりマイペースに
ひらひらと舞うスカートをたくし上げ
大理石の床を磨きながら何も考えずに
毎日は過ぎていく
MAID―メイド―
″ありがとうございます″
空はまだ灰色、気温も上がることなくまだ寒さが残り肌を破かんばかりに北風が吹いている。
とはいってもそれは外の話で、噴水掃除担当のメイド以外には関係のないことだ。
今日はケンが担当でバケツを押し付けるナグラにぶつくさ文句をいいながら外に出て行く背中を見送ったのをよく覚えている。
あの掃除はキツイ上に時間が掛かるから辛い。
つい最近まで油断しっぱなしの俺が担当することが多かったからその辛さはよくわかっているつもりだ。つもりだけど。
最近まで、というのはそろそろ俺もそういう意味でも慣れてきたということ。
ドジは性分だから一生治りそうにないが、嫌な仕事をなるべく避けることくらいはできるようになったのだ、俺も。
よぉしそろそろ後輩の一人でも来ていびりたいところだなぁ…と思うも新人募集はもうしていないらしい。
いくら慣れたからといって俺もしばらくは「新人メイド」の名から逃れられないようだ。
まあ、それはともかく。
メイドの仕事ももう俺にとっては何の変わりもないただの仕事になってきていた。
もちろんナグラに教えてもらったように、「慣れたつもり」でいることは大変おこがましいことなのだがもちろんそれを踏まえての話。
慣れた、というか。
いやこれはなんと表現したらいいのか…何か、こう。あれだ。
何も起きない。
おそらく、その表現が一番正しいだろう。
テルヨシ様やマサカズ様、そして上ピョンことシンヤ様が来て下さったあの日からしばらく経ちその後何も起こらなかった。
カズキ様はいつものように出張に出かけしばらく館を留守にしては帰ってきて、レッドの相手をし、また出かけていく。
マサカズ様も流石にお父様に何か言われたのか押しかけてくる様子はない。
テルヨシ様はカズキ様が帰ってきたとき時々会いに来るくらいらしく、あの日から一度も会っていない。
シンヤ様、も。
何だかんだいってマサカズ様以外会社の重役や国のお役人といった人物ばかりで、俺達が日々感じている忙しさとは違う「忙しい」の
中で生きているんだろう。
単純な言葉でいってしまえば…つまらなかった。
ちなみに今カズキ様は出かけている。だから館での仕事は非常に少ない。
また適当に掃除して、夕方には夕食を作って。
暇さえあればナグラとレッドの部屋に3人集まってくっちゃべる。
堕落した生活と言うべきか、なんというべきか。
「ゴルちゃん。ごーるーちゃぁん」
「…ん?」
「なんでぼーっとしてんの」
と。
突然降りかかってきたマヌケな声に、突然現実に引き戻された。
本当に…マヌケな声だ。全くもって。
「最近ゴルちゃんおかしいなーどうしたん?」
「別に…なんでもない」
「熱でもあるんと違うか」
"レッド"口調で話すレッドが俺の顔を下から覗き込んできて、ナグラの手が俺の額に宛がわれる。
俺が無言でそれを振り払うとナグラは一瞬眉間にシワを寄せたが、諦めたようにため息をつき俺から離れ元々座っていた自分のベッドに
戻っていった。
レッドはむぅ、とわざとらしく不機嫌そうな顔をして俺の後ろの周りぬいぐるみのように俺のことを抱き寄せそのままため息をつく。
俺はすっかりこの二人の男達の愛玩動物兼弟のような存在になっていた…迷惑というか、なんというか。
ここはナグラとレッドの部屋。いつもと同じ状態。
こうして毎日毎日ここにきていると本当に何日経っているのかだとか、そういった時間間隔がなくなりそうになる。
「ま、ゴルゴがそうなる理由もちょっとわかるで。暇やもんな」
「せやけどな、カズキ様が帰ってくればそれなりの刺激が…」
「お前だけだっつーの」
俺が言うとレッドは「ぷー」と口に出し―すっかり口調は"ヨシダさん"だが―俺を抱きしめる手を強くした。
その刺激の内容がなんなんだろう、とかくだらないことはもう考えないようにしている。むしろもう考えようという気も起こらない。
「だからってマサカズ様が来るのはいややけどな」
「俺はもうどうだっていいけど…」
「あ、今軽率なこといったーゴルちゃん今度は俺助けてなんかやらんからな。貞操きぃつけるんやなぁ」
「…」
冗談のように言うレッドの顔は確かに笑顔だが、細い目の奥に光っているそれは俺が感じている異常の「切実」さがあった。
もちろんそれはレッドが感じているものなんかではなく俺に感じ取れという意味での「切実」さ。
マサカズ様は俺の貞操を冗談でも真剣な意味でも狙っているだろう、別に俺が好きだとかそんなんじゃなくて新しいもので
まだ開発されていない初物だからだ。
いつ押し倒されてぶっこまれるかわからない…あーあ世間はなんて無常。
だけど、その切実ささえ退屈に感じてしまう。
慣れたとかそんな単純なものではないような気が、した。
「なあ、ゴルゴ?」
ふとナグラが覗き込むように俺の顔を見て真剣な顔つきで呟くように呼ぶ。
はい?と気だるげに答えるとナグラは寂しそうな表情をし、ため息をついてから手元の箱からタバコを一本取り出し火をつける。
「退屈か?」
「え」
「つーか退屈やろ、お前」
「いや…」
こちらを見ないままナグラが呟くのを聞いて、何故か俺は慌てて否定した。その慌てていることがばれないようにわざと落ち着いたフリ
なんかして。
一度深く吸い込んだタバコの煙がナグラの気管から灰を巡り、口から出たそれが宙に薄れていく。
少し錆び付いた空間が心地悪い。
もしかして、また怒られるのだろうか。
それきり押し黙った俺の考えはまるで小学生と同じもので、笑うに笑えない考えだった。
ナグラはいつも厳しくメイドとしてのあり方を説いてくれる、だけどそれは俺の教えとなっていることと同時にやはり恐怖にも
なっている。叱られるのは好きじゃない。
ナグラがこちらを向いて、レッドが知らん振りをしたその瞬間体がびくりと震えた。
鼻を刺す苦い香りが舌にこびり付き気持ちが悪い。
「それはな、いつか退屈やなくて諦めになっていくンやで」
「あき…らめ?」
ふとナグラの口から出た言葉はそんな言葉。全然説教でもなんでもない。
知らん顔したレッドの顔を見ようとしたら体ごと向きを変えられてしまった。
なんとなく、解ったような気がする。
「うわぁぁぁさむっさむっありえないっ!」
大理石の床を滑るように走って中央の大きな暖炉に一直線に向かう小さな男―ケン。
さてそろそろ夕飯の支度をしなければと部屋を出たばかりの時の出来事で、ついついナグラと二人顔を見合わせて笑ってしまう。
嬉しくてとか楽しくての笑いというよりは呆れに近い苦笑いだったのだけれども。
「ケン、お前いっつもはぐらかしとるからそうなるんや。ゴルゴなんかみてみぃ、行き過ぎてなんも感じなくなっとるぞ」
二階の柵に腕を掛け一回のホールで大騒ぎのケンにナグラが声を張って呼びかけ、俺の方を親指で指す。
もちろん皮肉。俺が頻繁にあそこの掃除になっていたのはいつものドジのせいだったり新人ゆえの油断のためだったり…
ああ、思い出しただけで涙がでてくる。うう。
「あー確かに、ゴルちゃん平然とした顔でいくもんねぇ。もう役割固定しちゃおうかむしろっ」
挙句ホールで震えている割に余裕しゃくしゃくにからかってくるケン。
「勘弁してくださいよ…」
あーあ全くもう…
このメイドという仕事や館の雰囲気に慣れてきてからはだいぶ経つ。
もちろん慣れてくれば仲間たちの中にも自然と溶け込めるようにもなってきて、俺の立場や役割も当然決まってくるのだが…どうにも俺は
「いじられ要員」に認定されてきてしまっているような気がする。そんな。そんなバカな。
大体
「ははっそんなわけで俺がチェックし忘れた郵便受け当番お願いしまーす」
「は?!」
…大体…
これ以上考えるのはやめた。
おいおいお前今まで寒い寒いいってたじゃないかなんてツッコミは不要のようで、ケンはあっという間に厨房に繋がっている食事部屋に
飛び込んでいく。
その背中を見ていたら愚痴愚痴と考えるほうがバカらしくなるのだ、はあ。
カズキ様がいない時には妙にゆるいナグラ、へらへらと眉を下げ「ま、がんばり」と肩を叩いて歩いていった。
ああ、全く。もう。
「っさむ…」
相変わらず冬でも夏服状態の半そでから出た腕にこれでもかと寒風が突き刺さる。
鼻水まで凍らせそうなそれに意味もなく睨みをきかせ向かう先は新聞・郵便受け。最近は滅多に行くことがなかったのに。
「たくさん来てるな…」
それは初めてここに郵便物を取りに来た時と全く量が変わっていなく、相変わらず大手企業からの暖かいお便りでぱんぱんになっていた。
不審物がないか―中身は俺程度のメイドが調べられるものではないのでパッと見で―確認してから一息。
本当はまっすぐ玄関までの道を歩いて帰らなければならないのだが、今日は何故かそんな気になれない。
気が抜けているというか、どこか抜けてしまったような気分というか。所謂放心状態という奴である。
何も考えられない頭をどうにかぎりぎり制御して、体を反転させてからでかく錆び付いた鉄の門に軽く背をつけそのまま腰を下ろした。
体中に鳥肌が出来、それにメイド服のかさかさした感触が当たるともどかしくどこか気持ち悪い。
帰りたい、けど帰りたくない。
まるで家出少年の意地のごとく出ては消え出ては消えを繰り返す言葉。
ため息をつくとその言葉ごと全部が消えて、また頭がまっしろになった。
「それはな、いつか退屈やなくて諦めになっていくンやで」
ナグラの言葉を思い出した。ふとではなく、自分で意図的に。
どういう意味か。
ナグラに前叱られたことを覚えている。
俺が調子に乗って全部わかりきったふりして、メイドの仕事を舐めていた時の事だ。
そのときも俺はこの仕事に「慣れている」ととんでもないカンチガイをしていたわけだが、それとはまた違う。
きっと、あの言葉の意味は。
諦めた。
メイドとして「キレイな体」で通していくこと。いやそんなことは当に諦めている。
諦めた…諦めた。
「…あ」
白い息を吐き
ああ、と勝手に納得する自分。
今まで様々なハプニングが起きてきた。
それは今までに体験したことのないことで、今までだったら起こり得ないことだったはず。
まず自分の名前が"ゴルゴ"になるだなんて思いもしなかったし、そもそもこんなひらひらのかんわいらしいメイド服を着ることになる
なんて。
変態の"館主"、白痴のふりした馬鹿、とんでもなく厳しいでも根は優しいアメムチメイド長、頭の中性欲塗れの馬鹿ボン。
ああ黒髪の実はすごい"館主"にもであったっけ。
それに、ウエぴょん…シンヤ様とも出会った。
毎日がハプニングばかり。
毎日が異常。
日常が異常に
いつの間にか、異常は"日常"になっていた。
ナグラの言葉の意味とはきっとこのことである。
毎日を諦めた。
俺がしばらくして日付感覚を気にしなくなったその日からそれはカウントを始めていたのかもしれない。
いつの間にか俺にとって"異常"としかいいようのなかったこの世界が、メイドとして暮らしていくなんの変哲も無い"日常"に移り代わって
いく。
それと同時に俺は気力だとか、そういったものを失いかけていた…のだろうか。
いや、きっとそうだろう。
このぽっかりと穴が開いたような放心状態の原因は、異常なことばかり起こっていたのに日常になってしまった空虚感なんかじゃなくて
その異常に慣れてしまったせいなんだ。
「異常が…日常…?」
俺は日々、メイドになっていく。
数ヶ月前まで俺はサラリーマンだった。
中小企業の中の小企業。社員数も驚くほど少なくて、下積み会社の最下部にあった場所だ。
それでも俺みたいな高卒レベルには十分すぎる行き場所で、オヤジも同じ道を歩んできたから俺もそのまま一生を過ごすものだと思って
いた。
会社に通って、普通に一ヶ月に一回給料貰って、子供"作って"また金稼いで…ずっとずっと。
大変だけどお前達がいるから大丈夫だ、と父が笑った。
その顔があまりにも切なく印象的で早く楽をさせてやりたいと俺は誓ったはず。
俺はせめて弟だけでもと、自分の給料を弟の学費に注ぎ込み
その弟は最近大学を卒業して俺が勤めていたよりも随分と立派な会社に就職して。
これからはもう少し幸せな日常を送るんだとばかり思っていた。
―そういえば親父とカツヒコ…元気にしてるかな
考えて、やめた。
もう俺が関わっていいことじゃない。
俺にとって異常は日常になっていた。
メイドになってもきっと俺は普通でいられる、金が溜まったら外に出てまた普通に暮らそうと思っていたんだ。
俺にとって異常は日常になっていた。
でも、きっともう無理ろう。
外に出ることを諦め、日常が異常になっていく様を止めようともせず諦める。
それが全て俺の倦怠感となって重く圧し掛かった。
そのうち開き直ってナグラやレッド、ケンや他のメイド達のようににこにこ笑って笑顔で「セックスしようか」と言うんだ。
…
……
………。
ああ、全く。
顔を俯かせ、背を丸め、両手を後頭部にまわして呻いた。
「うー…」
気が狂いそうとは思っていたが、とうとうその日が来てしまったのかもしれない。
「う…うう」
もうそろそろいいじゃないかマサヒコ。
もうメイドとして行きようじゃないか。
諦めろもうここからは逃げられないんだから。
せめて楽しく行こうぜブラザー。
その時頭に思い浮かんだのは、またあの時の光景だった。
『もしもし、もしかして迷ってる?』
そう声を掛けてきたちゃらい男。
勝手に人の荷物持って案内しだすし、妙に馴れ馴れしいし、挙句の果てには自分のこと「ウエぴょん」だって。
ウケる。
『俺は近くの館の…まだ館主じゃないけど…えー…好青年だ!
ウエぴょんとでも覚えとけ。困ったことがあったら探し出して頼れ!じゃ!』
出会ったばかりで何が困ったことがなんだか。
ほんとに…ほんとに。
変な奴だった。
「助けて、ウエぴょん」
呟いた言葉に返してくれる者なんて
「うん、まあ用件を言ってくれれば助けてやらないこともないが」
いない…
ハズ。
「どうぇぇえええぇええ?!」
「うおっすごい反応だな!!」
真後ろにはその当の本人がいたりして。
「はーなるほどね。メイドっぽくなってきた自分にちょっぴり嫌気がさしてきたーみたいな?」
ずごごご、と自分で持ってきたらしいハンドサイズの牛乳パックにつきさしたストローを思い切り吸い上げながら、シンヤ様が
ここしばらくまた会っていなかったことなど気にしないそぶりでそう言った。
…本当に度胸があるというか馴れ馴れ…フレンドリーなお方である。
現在館の裏庭。
だだっ広いそこは特に庭園作りに興味を持たないカズキ様らしく、しかも手入れが大変だからか庭といっても草木は全くない。
時々"館主"の集まりの時に使うのか木製のテーブルと椅子が幾つか用意されていたがしばらく使っていないようで、雨風にさらされた
それはもう使えそうに無かった。
そして俺達はそれを見渡せる位置―館の裏口である扉の前で談笑中。
ここはすのこと簡単な雨避けがついているので少しほこりを払えば座れたのだ、シンヤ様はその勝手を知っていたようで
特に話すともなんともいってないのにすぐにここに連れてこられてしまったのだ。
…それで全てを話す俺もどうかと思うが、この話を聞いて「当たり前だメイドとして喜べ」と言わないシンヤ様も
"館主見習い"としてどうかと思う。口にはとっても出せないが。
「いや…嫌気、というか。わからないんです。どちらかといえば何も感じなくなってきた自分が…どうかな…というか…」
「ふーん…なるほど」
無理やり押し付けられたあんぱんにかぶりつき、俺が言うとシンヤ様は目を細くして頷いた。
全て飲みきったらしい牛乳パックを潰ししばらく黙るシンヤ様。
「わかるなー…それ」
「え?」
「ん?いやぁ。でもお前さ、元々サラリーマンだったんだろ?」
「そうですけど」
「じゃあ今感じているものがなんなのかわかるはずじゃないか」
に、と笑うシンヤ様の顔を見ている今の顔はきっとマヌケだったに違いない。
はるか向こうを見てなんでもないさ、と呟くその顔に比べたらきっととんでもないくらい。
「人ってのは慣れちまうもんだよ。俺だって七光りだろーとなんだろーと大企業に勤めてるわけよ、な?
となるとまあ事情はなんにしろ…学生だった頃と違って夏休みもないし毎日出勤。ほぼ毎日接待やらなんやら…
最初は大変大変って思ってるのにいつの間にか何も感じなくなっててさ」
「…まあ…そうですよね」
「そ。つまり今お前が感じている"慣れ"っつーのはな、メイドどうのこうのの問題じゃないわけ。
人間として当たり前のこと、よく言ったもんで"順応性"ってやつだな」
ぽかん、と口をあけたままぺらぺらと息継ぎもしないで話すシンヤ様の顔を見る。
その顔は自慢げでいかにも嬉しそうで、止める気にもならなかった。
「だからさ、気にすることないんだぜ」
最後にそう締めくくられた話。
俺はもう、何もいえなかった。
「なんだかシンヤ様のお話を聞いたら気が楽になりました…そう、ですよね。普通のことですよね」
「そうそう。まぁあれだよ、そうでもなきゃメイドなんてやってられないって」
お前"館主"じゃねぇのか。
そんな暴言は再び心のどこかにキレイに折りたたんでしまっておいて、残っていたあんぱんを勢いで口の中に詰め込みもごもごと
よく噛み一気に飲み込んだ。
空は相変わらず灰色で、雲はどんよりと沈んでいる。
しかし、体は言葉通り軽くなったような気がして心地がよかった。
どうしてシンヤ様に会いたかったのかわからなかったし―レッドに聞いたくらいの情報しかしらなかったのだ俺は―このわけのわからない
安心感は、更にわからない。
ああ、あれかな。
気が合う、という奴かもしれない。
「…なんだか、不思議な感じがします」
「ん?」
「シンヤ様は俺の"館主"様じゃないのに、一瞬でも貴方に」
言おうとして、やめた。
それは言ってはいけないことだ。
言葉を飲み込むとシンヤ様は笑って「なんだよ」と言った、きっとわかってるだろうけど。
もし彼が見習い館主でさえなければ、もし俺がもう少し早くこの人に出会っていたのなら。
そんなことを考えてしまったらまた俺の悩みが増えてしまう。
それにカズキ様だって変態だけど優しくて立派で、理想的な"館主"様なのだからこれ以上何を望むのだろう。
大体俺がメイドの仕事に慣れていることに不安を持つことさえ、本来ならばおこがましいのだから。
「お前が思っている通りににはならないかもしれないけどさ。俺はお前ともっとお近づきになりたいよ」
「お…お近づきなんて…っ」
「お前といると俺もなんか楽しいしさ。今日もお前に会いに来たんだぜ」
「えっ?!」
俺が驚くと心底嬉しそうにシンヤ様が笑った。
その反応に満足したのか、それとも。
あわあわとしている俺に笑いかけたまま、シンヤ様がポケットに手を突っ込む。
「これ渡したくてな」
相変わらず派手なストライブ柄のスーツパンツのポケットから現れたのは小さな…携帯電話?
灰色の小さなそれを俺に無理やり押し付けると、またにやにやと笑って。
「あの…」
「俺はお前とダチになりたいわけよ」
「ダ…ッそ、そんな…!!」
驚く俺なんか放っておいて、シンヤ様が立ち上がり正面を向いたままこちらに話しかけてくる。
「俺、最近ガキん時から仲良かったイッコ上のダチに縁切られちゃってさぁ」
「え…?!」
「ちょっとしたケンカだよ。俺が悪いんだけど…いやぁ、参った。
俺意外と友達とかいないもんでさ、お友達募集してたんだけどね。そこにお前が」
笑ってサラリということでもないと思う。
俺が相変わらずわたわたとしている所を見るのはさぞ面白いだろう、まあきっとそのことで笑っているのではないんだろうけど。
どう、どう、どう、どうし、て…ッ
「で…っでも俺…俺はメイド…!」
ようやく言いたかったそれを言うと、シンヤ様がくるりと振り返り不敵に笑う。
「だって俺だぜ?」
一気に興奮が冷めた。
慌てふためいていた俺はどこかに行き、代わって酷く冷静な俺が現れる。
「…はあ、あの…」
「全く意味がわからないといいたかったんだろう、って俺はエスパーか」
「…」
もれなく冷めた目線を送ると流石にシンヤ様も焦ったように笑った。
なんだろうこの人は…
ああ、もしかして
「つまりだな。俺を"館主見習い"としてみているからこそだぞ?
俺様、ウエダカンパニーの御曹司様とお友達になれるわけだ。
これこそ光栄なことだろう」
「………すみません」
「なんに対してのすみませんだ。お前今絶対コイツバカだと思っただろう、って俺はエスパーか」
そうだ。
この人たぶん
(…すごいアホ…)
笑えるくらい。
「なんつーかさぁ、うん。いつでも相談してもらいたいし、俺も相談したいし。
一人で溜め込んでたら…おかしくなっちまうだろ」
「…はい」
「だからさ、なってくんねぇかな」
きっと本当のアホなんだろう。
あの"レッド"と同じくらい。
とんでもないアホに違いない。
「俺の友達」
微笑んだその顔を見て確信した。
きっとこの人は…俺と同じアホ。
「しいては敬語禁止!呼び方も「シンヤ様」じゃなくていいからさ。お前年上だろ?」
「いやでも…」
「なっ。ウエダ。はい」
「…う…っうえ…うえ…っ」
「ウエ…ダ…」
「よし!」
「様」
「オイ」
変わることのない毎日。
そこにちょっとした刺激、変化。
すごく嬉しくて、おこがましいかもしれないけどきっとシンヤ様…ウエダも嬉しかったんだと思う。きっと。
これが俺と「ウエダ」の出会い。改めましてこんにちわ。
俺達は一緒の道へと歩き始める。
この先何があるとも思わずに、ひたすらに笑いながら。
next...
〜一方その頃草むらの中での会話〜
「ほんまにアホやな…アイツ」
「なんだ、嫉妬か。天下のレッド様が珍しいなぁ」
「な…ッちょ、ちゃうよ!ジュンちゃんあほなこといわんといて!お、俺は別に…相手がアイツやから…
あーっちくしょ!」
「あ…つーかジュンちゃん怒らなくていいの?いつもみたいに」
「や、いいていいて。あんなシンヤ様の嬉しそうな顔みとったら止める気もおきんわ。
ま、露呈しそうになったら、な」
「お人好し」
「うるせ」
end