どうか

どうか



このことが




彼らにばれないように








この世界の崩壊を諦めるといいながら

未だ恐れている男のたった一つの願い












MAID−メイド―

"提案"










「お前んとこ新しいメイド入ったんだろ?なあ、久しぶりにメイド交換しねぇ?!」





シンヤ=ウエダは困惑していた。

まさかあの困った先輩から更に困らせられるとは思ってもみなかった、特に今は。




大学時代からの知り合いであるミムラ氏は、自由気ままを絵に描いたような人物であるオオタケ氏とはまた違った「自由」を持った

人間だった。

オオタケはそもそも自由とは言っても他人には干渉しない干渉させないをモットーに、自分の範囲内を自由に行動する男だから

時々一緒にいると疲れることはあっても迷惑を被ることは滅多にない。

それに幼い頃からの付き合いであるオオタケとつるむ時には必ず面倒係のウチムラがいたために、その疲れさえもあまり感じなかった。


だがこのミムラという男、これがこう、面倒くさい。

悪い人間じゃない。むしろきっと良い人間である。

まずこれが前提にくる、彼はそう、悪い人間ではないのだ。

何かあると笑って誤魔化すわ何も無くても笑うわ人がひどい目にあっても笑うわで、感情のコントロールでさえ自由。

その口端に見える八重歯に誤魔化されてはいけない。

悪い人間ではないのだが……やはり自由な男だった、昔から。


彼のような人間にはオオタケのような同じく「自由な人間」がお似合いで、シンヤのようにいちいち行動にツッコミをいれたくなるような

人物には少し荷が重いのだろう。

まあオオタケはオオタケで実は神経質であるから色々弊害はあるらしいが、上手いことその凸凹が噛み合って彼らは仲良くやっている。

突然館に泊まらせてくれだのメイドを貸せ(むしろ強制連行する)だの言われて文句は言いつつも、笑って許してしまうのが

その証拠だ。


それはとにかく、やはりシンヤにはミムラという存在は荷が重い。

オオタケと同じく留守中に勝手に館を借りるぞーむしろ借りたぞーメイドヤっちゃったよーなんて言われた日には、恐らく彼は

頭を掻き毟り床を転げまわって窓から飛び折るに違いない。ツッコめないそのもどかしさからの行動である。



しかしどうやら、それが現実のものとなってしまう日がやってきたかもしれないのだ。





突然携帯電話のディスプレイに「ミムラさん」の名前が出た時、シンヤは初めて「虫のしらせ」というものを体験した。

駄目だ、それに出てはいけない。彼のことだどうせくだらないことで電話してきたに決まっている。


そう、それは外れていなかった。むしろ当たっていたのだが。

時すでに遅し後の祭りのえらこっちゃえらこっちゃ、とシンヤは意識を朦朧にしながら先輩の無茶なお願いに「はい、はい」と

答え続けるしかなかった。

シンヤはミムラに逆らったことがない。

ツッコミはすれど、通じない。

奴には通じない。

いくらツッコめどツッコめどやはり笑って誤魔化すのだから意味がないのだ。

















「メイド交換……かぁ」



はあ、とため息。


仕事も休みで、アリタも今日は機嫌がいいのかとくにちょっかいを出してくる気配もない平和な日曜日。

それでもなんだか家にいるのがもどかしくて無理やり外出した。


いわゆる庶民が遊ぶ公園のベンチにべったりとだらしなく腰掛け、空を見上げるもかい良い案は出ず。

心底困っているはずなのに何故か気持ちは全然焦らないのだ。


「困った……」

「困ったんですか。よくわかりませんけど」


さほど広くないベンチ。

その隣には場違いなまでに不似合いのメイド服を着たいかつい男が、いつもの鋭い目つきのまま真正面をみて座っている。正直怖い。

ちらちらと興味津々に子供たちがその男を見ていくが男は1ミリだって気にする様子がない。

メイドを見たこともない子供にとっては彼は随分と異色の存在であろう。シンヤたちのようなお坊ちゃん達は小さな頃からメイドという

職業を知っているし―ただしどのようなことをしているのかはよく知らないが―見慣れているだろう、だがここで遊ぶ子供たちにとって

彼はやはり明らかに男物の服ではない変な服を着た変質者だ。怖いおっさんだ。

法律も歴史もまだ知らない彼らは女という存在を知らないかもしれないのでこの服には疑問を持たないかもしれないが、それにしても

やっぱり変だということぐらい気付くに違いない。

大体本当にこの男―ツチダは、面白いくらいにメイド服が似合っていないのだ。仕方のない話ではある。



まあ、そんなことを分析したところでシンヤ自信もいつものド派手なスーツ姿でこんなところに座って寛いでいるのだから

人のことは言えない。

もしかしたらツチダも同じことを思っていたかもしれないが、お互い口に出すことはなかった。

ツチダは元から寡黙だからよくわからなかったけれども。


とりあえず、ツチダが後始末をする時と同様にシンヤが悩みを一方的に話す。

今日もその状態になっていた。





「メイド交換なんてさ、どうせシバタかアリタだろ?

 無理だ……シバタを差し出すことなんて出来ない、セックスのことしか考えてない人に!!」

「じゃあ」




頭を掻き毟って唸るように言うシンヤにツチダが何か言おうとしてやめた。

恐らく必要以上の干渉だと感じたのだろう、薄く何度か口を開いてから何事もなかったようにそのまま口を閉ざし切ってしまう。

よもやこの人物が、かつてシンヤの一言に顔を朱に染めて動揺した人物と同一人物だと誰も思わないだろう。

無表情のツチダを見つめ、シンヤは浅くため息をついた。

あれからツチダは更に余計な干渉をしまいとしているようで、いよいよこのシンヤの取り留めのない相談会はただの独り言大会と

なりつつある。

それでもシンヤは続けた。

別にこの男に回答は求めていない、とでも思っておけば随分と気持ちが楽になるのだから。




「アリタは、駄目だ」

「そうですか」

「アリタは……俺のことを言うかもしれない」

「そうですね」



(そう思うんならどうにか打開策を考えればいい)


本来ツチダが口を開いて言うべき言葉を考えつつ、ウエダは再び頭を抱えた。

事態は思うよりも深刻である。




シンヤの体には無数の傷が残っていた。

容赦ないアリタの行為は何度も何度もシンヤの体を傷つけたのだ、背中には無数の傷が残っている。

切り傷や打撲の後だけではなく、赤く染まった縄の後やヤケドの後もあるのだ。

業界人、ここで言う"館主"から見ればその後がどのような行為のせいでつけられたものかくらいわかるだろう。


だが、この際シンヤ自身の体のことはどうでもいい。

恐らくメイド交換といったらいつものメンバー内での交換になるだろう。

まずオオタケ氏からはレッド、コレは固い。ミムラ氏はわからないが仮定するならばタカハシ、ウチムラ氏は一人しか雇っていないので

リョウ=フカワだろうが相手によっては笑顔で断るに違いない。

大体リョウ=フカワは元々メイドでないし。こちら側の人間だし。


だとするならば気をつけるべき人間はミムラ氏の館のメイド、そしてオオタケ氏のペットレッド。

まあミムラ氏の館のメイドくらいなら「今日はそんな気分じゃないのだよハッハッハ」とでもあしらえば引いてくれる人間ばかりだから

消去。

レッド……は。


(まああのバカはそういうバカじゃないし万が一バカだとしても……変なカンチガイするだけだから大丈夫だ)


バカ。

もちろんレッドの場合は「色情狂」と書いてバカと読むので、シンヤも口の軽さなどの面については信用しているので大丈夫だ。

変なカンチガイ……シンヤ様はSM的なものでいうとM側の人間なのねくふふふと笑うくらいだろう、それを言いふらされたところで

なんの問題もない。突っ返してバカ、というまでだ。

大体アイツはそういうことを「いえない」立場であるはず。




そんなわけでシンヤ自身にはなんの問題もなかった。

しかし、大問題な人物はやはりあの男。アリタ。



(いつ行動に移すかわからない……もしかしたらこの誘いでさえアリタの策略では?)


それは考えすぎなのだが、あのアリタ相手だとそれくらい疑い深いぐらいが丁度いい。

一応その可能性はないとしておくが。心がけることはいいことだが、あまり気兼ねしすぎてもまた神経を無駄にすり減らすだけだ。



(シバタ、を出したらやはり確実にミムラさんに狙われる。いやオオタケさんももしかしたら……いや、あの人は今

 レッドと新しいペットのゴルゴに夢中だ。それにしてもミムラさんのところはまずい、まずいだろ……)




「あー……シバタを可愛がりすぎた。生贄でも雇うか?」


もちろんそんな気は一切ない。

笑いながら言うシンヤの言葉を聴いた途端ツチダの眉がぴくりと動いたのは、恐らくそれがわかっていたからだろう。

これはシンヤの憶測ではあったが、ツチダは彼の見栄に近い「出来もしないくせに冗談で言ってみる」の発言が気に入らないのだ。

確かにそれは相手がシンヤでなくても思うことかもしれないが、特に最近のシンヤには皮肉さが増してきたので

仕方が無いとも言える。嫌味、という表現が一番あっているのかもしれない。



それにしても答えはこんな所でうだうだしていた所で出てくるはずもなく、ドラマのように子供たちが何気なく言った言葉で解決する

悩みでもない。

休日にどこにも行かず、家の者には友人に会って来るなどとウソを吐いてまで来る場所でもなかったはずの場所で

シンヤは頭をぐしゃぐしゃと掻き毟ることぐらいしか出来なかった。


時が止まったように感じるも、冷たく吹く風にやはり時間は進んでいるのだという現実を叩きつけられる。

遠く聞こえる子供たちの声。

その向こうに聞こえる鳥のさえずり。

そして、誰かのため息。



(……ん?)



ふ、と吐かれたそれ。

それを近くに感じて、もしかしてと思い隣を見た。



先ほどと変わらない様子のツチダがそこにいる。それだけだ。

だが今のは、もしかして。




「途方がない」

「は?」

「途方がないです」




繰り返していったのは間違いなくツチダだが、一回もこちらを向かなかった。

真正面を見たままどこか遠くを眺めている彼はもう微動だにしない。



「途方がない、ね」


確かに。



頷いたシンヤがタバコを取り出し火をつけようとすると、ツチダはそれを振り払った。

地面に落ちたタバコ。ああ、こんなところには干渉するんだな。



笑ったシンヤを子供たちは心底不審そうな顔で見ていた。早く逃げないと警察を呼ばれそうだ。
























シバタに行ってもらおう。



そう決めた。







そう決めた日の夜、事情を話して(もちろんアリタのことは伏せたが)これからどうなるかわからないが不安に思うなと言うと

シバタは「大丈夫です」と。

でも恐らく、全然大丈夫じゃないだろうなと思ってやはりやめた。



試しにシンヤが口付けただけで目を丸くするような青年をまさかあの魔窟に放り込むわけにもいかない。

むすくれた顔でその様子を見守るツチダは、特に何も言わなかった。



結局シンヤにはアリタをメイド交換に向かわせるしか方法は残っていない。


まずい。



(やっぱりここはシバタを向かわせるべきか?シバタの人生と俺の人生どっちを選べばいいんだ)



そんなのは決まっている、本来ならシンヤ自身だ。

大体彼は今気付いていないかもしれないがシバタは元々それを覚悟でメイドになったのだから、本当ならば心配する必要などなかった。

それが彼の職業であり、「シバタの人生が壊れることになる」と思い悩むシンヤの考えは余計であるし、愚かな考えでしかない。

未だ気付くことの出来ないシンヤはお人好し、というよりはただの子供の発想に近いものになっている。


……これはシンヤから自身へのツッコミだ。

同居している人物がやかましく、べらべらと説明していたがシンヤは全て無視した。



(シバタがカワイイってよりはもしかしたら自分がかわいいのかもしれないな。アリタに穢されたことはともかく、

 非情な自分を見たくないんだ。人間としても穢れた自分が見たくないんだ、俺は)



たぶん。


ツチダの言葉で言う「途方もない」考えをぐるぐると巡らせている内に時間は確実に進む。

ミムラ氏の告げた日にちまで後数日もない。




















「ハア?この事をばらさないで欲しいって?」


見下ろすアリタの顔を見れずに、シンヤは俯いたまま胸の痛みにひたすら耐えていた。

締め付けるようなその痛みはやがて下腹部を襲い、傷だらけの体はふるふると震えている。


朝や昼。

堂々と街中を歩き、仕事へ行き、時には接待の為に食事に行く。

ちょっと前まではびくびくといつばれるのかと怯えていたが、最近ではそれを恐れることもなく何事もなかったかのように無表情のまま

生活している。


だが夜になればそれは一変し、アリタの冷たい視線と脅しに体を震わせひたすらにその口から次から次へと出される命令に

従い続けるしかないのだ。



「別に、いいけど。まだお前を落とすには早いし」

「ほ、本当か?!」

「ただし、俺がどこぞのバカ"館主"どもに抱かれなきゃならないこととかあったらさぁ

 話しちゃうかもよ」


はは、と笑うアリタの顔をシンヤは正面から見ることが出来ない。

どんな顔をしているのか大抵予想はつくし、それを見てまた自らを傷つけることは無いのだから。

それにこんなことを言っているが誰よりもウエダ家のことを恨んでいて、シンヤのことを憎んでいる彼の事だ、そんなミスでみすみす

復讐のピリオドが早々に打たれることを認めなどしないだろう。


安心はできないが、とりあえずこれで他所の"館主"に秘密をばらされることはなくなった……はず。

シンヤは胸を撫で下ろし、再びアリタの目を見た。

相変わらず冷たい目をしている男は、見下すようにシンヤのことをまっすぐに見つめている。



「シンヤ、じゃあお願いしろよ」

「お願い……?」

「お願いする時には、それ相応の見返りを用意しておかないと」


そういうとぐい、とアリタがシンヤの首輪を引っ張り上げた。

あまりに急だったため咳き込んだシンヤを見て、再びアリタは面白いことを思いついたといわんばかりにくつくつと笑う。

苦しむシンヤの顔を見るたびに、アリタはきっとたまらないほどの快感を感じるのだろう。

だが、それは最初の頃からわかっていたことだ。

シンヤは抵抗することもなくアリタが首輪をいじりだすその手を呆然と眺めた。



一旦外された首輪、少しの間だけ紫に変色した首が現れ―数ヶ月ぶりの開放―再びそれを巻きつけると

アリタは思い切りきつく締め始める。

もちろん今までだってぎゅうぎゅうに締め付けられていたのだが、それ以上にきつく。きつく。きつく。

やがてシンヤが口端から唾液を流し始めてもお互い顔は無表情。

ただアリタにはどこかに恍惚さが感じられる。


妙な二人。

遠くとも近くとも取れない部屋の隅で二人の取り引きを見守っているツチダが、そう言っているように見えた。

その目線は冷たい。

冷たいというよりは無関心といった方が適当か。



「はは、はははっ!変な顔だ、シンヤ」



皮肉のように口付けるアリタの顔を呆然と眺めていると、やがて霞んで見えてきた。

暗がりで元々見えないが更にぼやけて頭がおかしくなりそうで、なのに妙にうずうずとする下半身に疑問を感じる。

興奮しているわけではないだろうが、どうだろう。

死ぬ前にモノが立つ、という噂をシンヤは聞いたことがあったがあまりに信憑性が無いので信じていない。

ただ、自分が意識を朦朧とさせているのを見て興奮しモノを立たせているアリタが滑稽で仕方が無く

笑いがこみあげてくる。

ただそれが顔にでたかどうかはわからない。



「だっせぇなシンヤ。だっせぇ。お願い一つで死に掛けてるんだぜ、お前」




たしかにダサいな。


そこでこみ上げてきた笑いはどうやら顔に出てしまったらしく、アリタが表情をがらりと変えていきなりつっこんできた。

どうやらそろそろヤバイと思い力を抜いていたらしい。

ようやく開放された首、ゆるやかに広がっていく気管からなだれ込んで来る空気を静かに吸い込みながら

がくがくと揺さぶられる体を感じた。

まるで他人のように感じられたが、それでもその感覚が自分が生きていると確認できる唯一の手段なのだ。



どうしてこんなにまでされて、まだ他人を守ろうと思う気持ちがでてくるのか。

体が穢れてしまったのなら心まで穢れさせてしまえばいいのに。


と、自嘲する彼の意識は今ここにない。

遠く離れた所でがくがくと揺れる自らを見下しながら、なお下半身にあるそれを立たせる自身に滑稽だなと言い放ち、笑う。



「感じてんじゃねぇよ!!バァカ!!」



(必死になって言うお前も十分バカだよ)


きっと一番余裕が無いのはアリタだ。今日は一層余裕が無い。

もしかしたら彼を過大評価しすぎていたのかもしれない、彼は彼なりに焦っているのだ。

"館主"に、復讐作戦のためとは言え抱かれなければならないという屈辱的結末を考えては不安になっているのかもしれない。

それとも早くイきたいだけなのか。

なんにしろ今日のアリタはシンヤにとって笑いの種でしかなかった。なんとなく、勝った気分。

それにシンヤにはもう一つ勝っていると思う理由があった。



(ツチダ、目逸らしてやがるよ)



ふ、と笑う。


また怒り心頭にアリタが突き上げてくるのにも関わらず、シンヤはそれを見ていた。

今まで無表情でこの光景を見ていたツチダが目を逸らしている。

相変わらずその表情に一変の感情も感じられなかったが、それでも目はこちらを見ていない。

薄く開いた口からは、ゆっくりと息が吐かれたり吸われたりが繰り返されているに違いないのだ。

きっとそうだ。


アリタに抱かれながら、シンヤはツチダを見ていた。

ツチダはどこを見ているかわからない。




妙な3人。

ここに、もし彼ら以外の第三者がいたとしたらそう呟いただろう。おかしい。彼らは、おかしい。















「どんなんでも愛なんだよな。形は関係なく」


昔、幼馴染とも言える大学の先輩が言った。


度数が合ってないのか、目を細め眉間にシワを寄せながら黒板を眺める彼がノートにそれを書き写している。

強すぎるのかと思ったら弱すぎるんだとか。

それなら早く直せばいいのに、と言うと「メガネは好きじゃない」とか答えるのがその先輩だ。


「くさくないですか、それ。大体愛とか語る顔じゃないだろ」

「異常な愛、と言われるが彼にとっては純愛だった」

「は?」

「好きな小説の一文」


脈絡が無い。

意味が無い。

そんな会話を続けること自体、本当に意味が無い。

だけれどもなんとなく聞いてしまっていた。いつもそのくだらない話を聞いているうちに、慣れてしまったのかもしれない。

彼は小学生の頃からこうだった。

まるで頭の回線の切れた哲学者のような哲論を語りだす。



「お前もいつか感じるかもしれない。異常と思える愛をな?」

「……あのねぇ、オオタケさん。あんたそういうこと言ってるとまた友達なくすぞ」

「友達ねぇ……別にいらね」

「じゃあミムラさんは?まさ……っ表面上とか?!」

「アイツは家族みたいなもんだし」



平然と「家族」なんて単語が出るあたり本当にこの人は。

その単語を聞くと背骨辺りにむずむずとした感覚が訪れて、顔も一緒にゆがむ。

「俺はどうなんですか?」とはとても聞けそうになかった。



やがてノートを書き写し終わった彼が目線を上げる。

精気のない半眼は、濁っているのにまっすぐにシンヤを見つめるのだ。

この男にまっすぐ見つめられるのは苦手で、う、と声を上げてシンヤは顔を歪ませながら視線を逸らした。


ぱたりと閉じられたノート。

やがて彼は目線を逸らし、窓から随分と向こうまで広がるキャンパスを眺め始めた。




たくさんの人間がいる。

ただしそこには男、という人種しかいない。

わさわさと溢れかえった男たちは、町にいる庶民とは違ってずいぶんといい身なりをして

ぱくぱくと良く喋る口はきっと自分の家がどれだけ金持ちか自慢ばかりなんだろう。

庶民に近い場所に立ちたい、と思っているシンヤは度々彼らを見下していた。



もしかして彼も同じことを考えているのだろうか。

視線をずらして窓を見つめる彼を見てみるが、その顔にやはり表情はない。

何を思っているのだろう。

興味というよりは、まるで数式の答えを探すかのようなもどかしさがシンヤの体をまたむず痒くさせる。





「異常かつ正常な愛も存在する」

「……は?」

「例えばあそこにたむろしている連中を監禁して、泣き叫んでも許してやらないと吐き捨てたとしても

 そこに愛さえあれば俺にとっちゃ正常な愛なんだな」

「オオタケさん?」







「ミムラを監禁したとしてもそうさお前だってウチムラさんだって全員を監禁して俺のペットにしたって愛さえあれば正常だ
 何をしたっていいってなあそう思うだろああ思うよな、お前だって気付くはずだ俺のこの気持ちに気付くはずだいくらこの
 愛が異常だと言われたとしても二人、いや全員がわかっていたらさいいんだぜ、ハハわかるだろ?なあわかるだろウエダな
 んとか言ってくれ、もう気が狂いそうなくらいどたまに来てるんだ、なんだっけかな、思い出せねぇな、どうして俺はこん
 な話してるのかなあ教えてくれ、何も思い出せない、それくらいどたまにきてるんだ、なんだっけかな、思い出せねぇな、
 どうして俺はこんな話をしてるんだ、なぁなぁなぁなぁなぁなぁなぁ正常と異常って何?わからないよ、教えてよ、ねえど
 こに愛なんてあるんだよ?あいつはそれの居場所を教えないまま行っちまったんだ、なあ教えてくれ、教えてくれよ、なあ
 なぁなぁなぁなぁなぁなぁこのあ」




















眩暈がする。

この感情は、吐き気がするほど気持ちが悪い。

もしかしたら自分は彼に何か、違う感情を抱いたことすらあったのかもしれないが、そんなことは当の昔に忘れてしまった。

この異常さは知っている。


シンヤは何故このことを思い出したのかがわからず、ただただ体を揺らす男の顔を呆然と見ていた。



(おかしい。俺達は、おかしい)



このアリタという男も、ツチダという男も、そしてシンヤという男もおかしい。

気持ちばかりが交錯してすれ違うばかり、いつまで経っても出逢うことはないのだ。

ただ恋愛感情などという単純且つ明快な感情ばかりでなく、どこにぶつけても尽きることの無い恨み憎しみ、そしてもどかしささえ感じる

情が狭い部屋の中を反射しあってそれぞれの胸を苦しめているのかもしれない。


それはシンヤの憶測でしかなかったが、誰しもが妙な顔をしているのを見る限りあながちはずれというわけでもなさそうだ。





(こんなのおかしい。バレるなんて、もってのほかだ)




自分が汚されているという事実もなおさら、こんな精神的に異常を来たしている状況を他人に見られるのだけは御免被りたかった。


そして気付く。

先ほどどうしてあのことを思い出していたのか。










汚い感情というのは、隠したくなるものじゃないのか?


シバタにはひどい目に合って欲しくないと表面の感情で思いながら、本当は自らを穢したくない己のエゴイズム。

アリタの「本当は動揺している」ことを隠すことに必死になりすぎるあまりに焦っている事。

ツチダの……いや彼は何を考えているかさっぱりだ。


とにかく、この場にいる者たちが何かを隠そうと必死になっている。

シンヤは古くからの友人達に、アリタやツチダはシンヤに。

己の汚いものを表面化させて、さあ見てくれなんて言う奴は変態なのだ。




(オオタケ、さんは)
















バレたくない。



そう思えている内が華なのかもしれない。

度の合わないメガネを掛けなおし、ペットに名前をつけて縛り付ける男のことを思い出しシンヤは苦笑した。







異常と正常は同じ空間にあり得ない。

だが、それらが交じり合う瞬間は確かにある。



異常者が自らが正常と雄弁し始めた時。おそらくそれが異常と正常が混ざり合う唯一の瞬間。

ただそれは自らを「異常」とわかった上で語る者に限る。


異常と認めたからこそ彼はその愛を「正常」と言ったのだ。彼にとっては正常な愛なのだ。





彼にはバレたくない。




シンヤは心の底から思った。

だって、


(同じ異常だからといってこれが正常なんだといわれた日には)



とうとう自分は精神異常者の仲間入りとなるわけだ。







(あーあ参った。妙な事に気付いてしまった。ミムラさんだけだと思っていたのに)


ふと「マサカズ坊ちゃま」の顔を思い出し、そしてその隣でオオタケが笑っている姿が頭のどこかに浮かびあがった。

そして彼らは離れなくなる。



ミムラのことは面倒くさいと思っていた。昔から。

いまいち大人になりきれないというか、大人になることやオオタケと離れることを異常に嫌っていた彼は未だにプータロー。

好きだ。確かに好きなのだ。

それでもその異常な行動や精神が認めがたくて、心の中で「やめてくれ」と叫び続ける自分を感じていた。


そしてそれは今、オオタケも。




今はオオタケも隠している。

それでもきっと、あの無表情の仮面の向こうではバラしたくて仕方が無く、うずうずとした顔があるのだろう。

ミムラは隠すつもりなどないように見えて、かなり隠している。

自分はただのお調子者なのだと笑い、このどうしようもうない男と遊ぶどうしようもない奴は誰だとまた笑う。

そしてシンヤも隠している。




(バレたくない)



アイツらだけには。







それは世界の崩壊を恐れる男達の願い。

(自らの)世界の崩壊が訪れないように彼らは必死に願っているのだ。



























「ツチダ、何か名前とか欲しい?オオタケさんとこのさぁ、"レッド"みたいな」


世界の崩壊が訪れないように。

新しい世界を創ろうとして、シンヤはやめた。






「じゃあ"ツチダ"で」





ぷ、と笑ってもツチダは笑わなかった。決して表情を崩さない。

彼もまた、世界の崩壊を訪れさせないように必死になっているのだろうか?









いや、たぶん違うな、と思い

シンヤは狭い湯船の中に笑いながら顔を沈めた。


あーあ。先は長い。








Next....





どうか世界の崩壊が訪れませんように

そして


いずれこの世界が崩壊しますように