怖い


君を 失いたくない










MAID―メイド―

"お迎えに上がります"












「メイド交換?!」



ナグラが叫んだ。

目を逸らすメイドたち、その逸らされたそれが口を開かずとも語っている。


あーあ。残念でした。









例のマサカズ=ミムラ様がやって来たのは数時間前のことだが、例の話は数日前からだされていたらしい。

例の話、というのはつまりメイド交換のことで。

俺がカズキ様の館に来てからはまだ一度も行われてなかったのだけれども、どうやら伝統とまでは行かないが恒例行事とはなっていたらしい。

と、いつも通りナグラが教えてくれた。


確かにメイド交換というものがあることは知っていたけど、それこそナグラがべらべらと説明してくれたことがあったから。

まさか自分に白羽の矢があたるとは思わなかった。

てっきり大人気のヨシダさんが行くとばかり思っていたから驚きだ。

まあ、マサカズ様が俺のことを喰いたがっていたから、わかるといえばわかるのだけれど。

恒例行事とはよくよく言ったもので、結局ノリノリなのはマサカズ様だけの新品お味見大会みたいなものなのだろう。





その事が知らされたのは、久しぶりにオオタケ家の館に勢ぞろいした"館主"連合の彼らがぎっしりとつまった部屋に呼び出された時のことだ。

実際には広い部屋に数名しかいないからがらがらなくらいだけれども、彼らをまとうオーラがどうにも部屋を狭苦しく感じさせる。




「やあ、久しぶり」


やわらかい笑みを浮かべテルヨシ様が言い、慌ててウエダ……シンヤ様も同じように「久しぶり」と言った。

表面上では俺らは他所の"館主"と他所のメイド。友人ということを抜いても、普段から連絡を取っているなんて事ばれたら大変だ。



「ごめんなぁ、急に呼び出して」

「よう"ゴルゴ"!!ようやくセーックス!」


なんの挨拶だ、というツッコミはきっとしない方がいいのだろう。この人が相手だと激しく疲れる。

「はあ」と多少引き気味に答えると、マサカズ様に言葉を遮られたテルヨシ様が苦笑いした。

最初はとんでもない目に合わされたが、この人は案外普通の人かも知れない。



部屋にいたのは自分のデスクに座って、話している合間も何か仕事の書類らしき紙にペンを走らせているカズキ様を始め

テルヨシ様、マサカズ様、シンヤ様。もちろんそれぞれその後ろには専属のメイドが付いている。

テルヨシ様に付いているメイド(なのだろうか)は相変わらず私服姿。

どうして彼が私服姿なのかとか、他のメイド達と違って"館主"の中に混じって会話をしているのかはよくわからなかったが、とにかく彼には少し興味がある。

時間があったらまたナグラに聞いてみよう。


マサカズ様には相変わらずタカハシ。リョウ、と呼ばれていたテルヨシ様のメイドとは対照的に挙動不審そのもので部屋を視線だけできょろきょろと見回している。

シンヤ様についているメイドは新顔だ。

短い黒髪に鋭い目、そしてその下には黒い隈。風貌はあまりよくないな。

だけど柔らかな表情でシンヤ様が話しているのを聞いている姿を見ると、まあ教育のされたメイドらしい。

名前は後で「ウエダ」に聞いてみようか。



部屋に来たのはいいが、結局"館主"たちの間で話が進んでしまっているようでマサカズ様の挨拶ともいえない挨拶を最後に

置いてけぼりの状態になってしまった。

話は進んでいる。



「で、どうするの?ていうかさぁ俺はあまりなぁ……リョウに変なことするなよ、コイツメイドじゃないんだから」

「じゃあ他のメイド貸してくれればいいじゃないすかー」

「だってウチコイツ以外いないし。メイドとかさぁ……うーん」


マサカズ様がぶうたれると、テルヨシ様が困った表情のままリョウを見た。リョウも困ったように笑っている。

メイドじゃない、となると彼は何なのだろう。


「つーか早く決めてくれません?あんまり長いようだったら俺帰りますけど」

「待った待った待った!特にお前、ウエダとオオタケは待った!!お前らがいなきゃ意味無いんだって!!」

「意味ないって……」


呆れたようにシンヤ様が額に手をついてため息をつく。

と、なると彼についているメイドも新人? そういえば彼が最近親離れして"館主見習い"になったことは聞いていたが、

その際に雇ったメイドなのだろうか。

相変わらずその新人らしきメイドは妙に優しい笑顔を浮かべている。ちょっと、薄気味悪い。




「じゃあいつものでいいんじゃねぇの」




わいわいわい。

とにかく話が決まらず騒いでいた会場に、その一言が聞こえると皆が黙る。

カズキ様だ。

騒ぎが大きくなるたびに興味も無い、といった様子で紙に向かっていた彼が一言言っただけで皆口を閉ざしてしまった。

空気を良い意味で壊したみたいだなぁ。さすがカズキ様。

別に自分が言ったわけじゃないのに、どこかむず痒い気恥ずかしさが襲う。




「じゃあいつもので?」

「いつもので」



途端に顔を見合わせる"館主"たち。

そして、全員がカズキ様のいるデスクに集まったかと思うと徐に身構えた。

なんとなくこの先の展開は読めていたが、できるだけ冷めた表情をしないように頑張ったはずだ。うん。頑張ったよ。




「……ジラフ」




カズキ様が、ぼそりと言った。









「フカワ!!」

「綿菓子!」

「七面鳥!」

「牛!」

「しずかにしましょう!」

「うだうだいってんじゃないのっ」

「のすたるじぃー」

「ぃすかんだーる」

「るーまにあっ」









これ、いつまで続くの?



「いつもの」が始まってから終わるまでに数時間かかったのだが、俺とシンヤ様のメイド以外は平然とした顔をしていた。

……本当にいつもなのかよ。


















「いっていったら淫乱って条件反射でいっちゃうミムラ最高だなぁ、
 きっていったらきりんしか思いつかないオオタケってあははかわいいよねぇ〜
 ウエダはさぁ、昔からしりとり弱すぎ」


先ほどの発言、訂正しよう。


とりあえず場内の状況を説明すると、なんというか。居た堪れない。

つい先刻まで柔らかな笑みを浮かべ一番まともな発言をしていたお方が、突然物凄い策士へと変貌し「あははあはは」と笑っていて

その他のメンバーが床に崩れこんでいる。それだけなのだけれども。



(テルヨシ様……あの笑顔のまま全員を潰したよ……)


どうやらいつものことらしいのだが、今度こそはとでも思い勝負を持ちかけたのだろう。

本気で悔しそうに歯軋りしているのがどうしてか笑いを誘う。いやいかんいかん、笑ってはいかんのだ。抑えろ俺。




「じゃあリョウはウエダのところね。で、俺はアリタを貰おうかなぁ」

「くっそー、新人枠消えたぁ!」


マサカズ様が頭を抱え叫ぶ。

新人を取られたのがよほど悔しいのかやたらと騒いではちらっちらと俺の方を見ている。何かいやな予感がするが気のせいだと思いたい。


「じゃ次俺か。うーん、タカハシ」

「迷わずかよ!オオタケお前いっつもタカハシじゃん!」

「じゃあ別のメイド連れてくりゃいいじゃないっすか。まあそれにてしてもオオタケさんあんたタカハシ取りすぎ。」

「べっ別のメイドはその、駄目だよ。うん。駄目だ」



シンヤ様の言葉に多少動揺を見せるマサカズ様の後ろで、そのメイドのタカハシが視線を泳がせているのが見えた。

何か事情でもあるのかもしれないが、俺の知ったことではないだろう。彼らの会話は聞けたとしても、ただのメイドの俺には

関係ないというよりは関係を持てないのだ。


とりあえず、これでウチムラ家のところのリョウはオオタケ家、ウエダ家のメイドはウチムラ家、

そしてオオタケ家にタカハシと決まったわけだ。

よしよしじゃあ次は俺だな。


(ん?)


待てよ、と。



(テルヨシ様は決まった……ウエダ、じゃなかったシンヤ様のところも決まった、

 カズキ様も決まった……えーと人数が四人だから後残りは)



ゲッ!



思わず口から出そうになった言葉を両手で抑えて、恐る恐るそれを見た。

マサカズ様。

そうだ、残りはマサカズ様しかいないじゃないか。

以前、この館に押し入り強盗の如く住みつき、勝手気ままに暮らしていってくれたマサカズ様。

そしてこの中で一番、というか唯一俺のことを狙っているであろう人。


ちろりと見ると、彼はにやりと笑っていた。口はしの八重歯の幼さと入り混じって、まさしく子供が新しい玩具を手に入れたような

純粋な笑顔。

それはまあ、表面だけで裏では大人の情事……いやいや事情の絡み合った思考が繰り広げられているに違いない。




「え、えーと……」

「よろしく、"ゴルゴ"!!」



にっこぉ、と満面の笑みで迎えてくれる彼を見て思わず顔が引きつった。どうしてこの言葉に対して「はいそうですねこちらこそ」と

言えるだろうか。言えない。言えるわけがない。

助けを求めるように見たカズキ様はまるで何も考えていない、当たり前と言わんばかりにいつもの無表情。

その半眼がいやに冷たく感じられてしまうのは現在胸の中で渦巻くいやと感じるほどの自意識過剰さのせいなのだろう。


まるで俺だけ不幸じゃん、と思ってみたり、まるで俺がはめられたみたいじゃん、と思ってみたり。



目を逸らす人々を見回せばそんなことしか考えられない。

というよりは、恐らく。


(はめられたんだなぁ……)



ため息をつくしかなかった。



















「カズキ様あいっかわらずしりとり弱いんやなぁ」



俺の一日分の荷物が詰められたぼろぼろに使い古されたボストンバックを渡しながら、ナグラが言った。

呆れというか、なんというか、恐らく俺に対する同情の念と、カズキ様に対する失笑の入り混じった微妙な表情。

表情と並行して発言も微妙だ。とりあえずまたため息をついた。



また"館主"様たちのおしゃべり会が始まって、その間に準備をしろといわれた俺は部屋に戻ったのだが。

その戻る途中にナグラと出会い、その他のメイド達にも何を言われたのだとか何をされたのだだとか聞かれて仕方なく本当のことを

話してみたら……冒頭に戻る、といったところだろうか。

全員が全員、というわけではないようだがメイド交換を体験した者は結構いるらしい。

レッドはもちろん、ナグラやケンや……とはいっても以前言ったように俺のような「初モノ」はいないから、ほとんどレッドの

出動になっていたようだけれども。


まあマサカズ様のご来訪と同じレベルでこの行事は恐れられているのだとか。それはそうだろう、恐らくマサカズ様が

企画しているのだから同じ気持ちを抱くのは当然のことだ。



その恐れられている行事に参加することになった俺……ああ、カワイソウ。




「弱いとかそういう問題ですか?」


ボストンバックを受け取り、息を吐くとナグラが鼻で軽く笑った。

前からなんや、と遠い目をして言う顔は嫌そうなのにどこか嬉しそうで。何かむかつく。



「大体俺らんとこのメイドがマサカズ様のとこに行くことになる。カズキ様はお気に入りのタカハシを入れたがるからな。

 他の"館主"様方はわかってるしなぁ……」


わかってる、つまりえーと、マサカズ様のこと。


カズキ様はあまり考えていないかもしれないが、他二名の"館主"様は恐らくマサカズ様のことを避けている。

友人として付き合う分には明るくてノリのいい人物だから申し分ないだろうが、ただメイド交換となると話が違う。

どうやらシンヤ様とテルヨシ様は自分のとこのメイドを気に入っているらしいから、できることなら傷つけたくないのだろう。



「ま、安心せぇや、レッド以外は手出されへんから。それも最近の話やけど」

「最近?」

「不意打ちを狙われた時以外はカズキ様が手出さへんようにってマサカズ様に釘打ってるからな」

「……あー……」



なるほど、気にしていない理由がわかった。そういうことか。


なんにしろマサカズ様と二人きりになる時間は増えるだろうし、覚悟はしておいた方がいいだろうな。

もしもの時は観念するしかない……そう考えると、受け取ったボストンバックが随分と重く感じられたが気にしないことにした。

何事も軽く、軽く。軽く考えていこう。


いちいち考えていたら気疲れするだけだ。




「それじゃあ、行って来いゴルゴ。気ぃつけてな」



恐らく"館主"様たちが帰るときもコイツはついてくるだろうから最後ではないのだろうが、これが「ナグラ」からの最後の言葉だ。

と、いうと何か今生の別れみたいな感じがするけど……まあ、そういうことだから。



「はい、それじゃあ…・・・」

「あ、せや。えーと、ちょ、えーと待って。俺はここで最後やけど……」

「? なんすか?」

「その……俺の部屋にな、行って来てから行ってこい、な」



なんで、と口答えしようとしたが止めた。そろそろメイド長様が持ち前の短気さで襲い掛かってきそうな勢いで睨んできている。

鋭い眼光に見守られながら、しぶしぶと俺は言われたとおりナグラの部屋へと向かった。

歩き出すと笑顔になるその様子に多少不服さを感じたが、まあ仕方が無い。メイド長様の言うことだ。


ボストンバックをゆらゆらと揺らしながら、俺がぴかぴかに磨き上げた大理石の床の上を歩く。

スカートの中身は相変わらずすかすかだった。




















「や」


部屋に入ると、そこにはレッドがいた。

以外ではない、奴はいつもここにいる。ここはナグラの部屋であり、レッドの部屋でもあるから。


いつもならその妙な笑顔に「オッス」なんて軽く返すのだろうけど、なんとなく今日はそれが出来なかった。

コイツも知っているのだろうか。俺がメイド交換に行くこと。



「……何してんだよ」

「何?なにってなにもしてへんよぉ。なにもしてへん」



まるでいい訳するかのように"レッド"口調で強調して言うと、そのまま目を伏せてしまった。

お互いに顔を合わせようとしない。



(何、戸惑ってるんだ。別に普通だろ。俺はただその、メイド交換に行くだけで)


「あんな?」

「ん?」



きょとん、とした表情のレッドが妙におかしい。

笑えるほうじゃなくて、違和感のほうのおかしいだ。何か遠いところから話されているようでどこかがむずむずとして気持ち悪い。

こういうのをわだかまりというのだろうか。

ともかく俺はそれを誤魔化そうとして余計顔を奴に向けられなくなってしまった。



「その……」

「うん」


今日、始まったことだろうかこれは。

この前から、こんなじゃなかったか?実際は。

改めて考えてみるとそうだったかもしれない。いや、そうじゃなかったかもしれない。



くだらない。

くだらない、考えなくてもいいようなことを考えては脳みそが激しく開店してオーバーヒートしたそれがちりちりと煙を上げる。







「お前がいないと寂しいから」







回転が、止まった。







次の瞬間には、再び激しく回転を始めた脳は必死に逃げようとして変なことを考え続ける。


(えーと俺の好きなものはあんこで、そのチューブとかさぁ。あったらさぁ。いいよねって)


(バカか?!急にヨシダさんになってんじゃねぇよ!)


(あーアンバターとかさぁあれもいいけどやっぱり純粋にあんがいいよね。あんこのね)


(変な目で見んな!こっち見んな!おかしいぞお前!バカ!バカだろお前ああそうだったコイツバカだった!)


(あんこくいてぇなぁ、あっとレッドに食わせてやりてぇな俺の手作りもち)


(あんこでも食ってろバーカ!)


(喜ぶだろうなーレッドコノバカヤロー)







「あんな、ゴルちゃん。俺考えて……」

「じゃ、じゃあ!!いってきます!!」





気付けば、弾丸のような速さで俺は部屋を飛び出していた。

わき目も振らず、まっすぐに、扉を突き破らんばかりの勢いで。
















聞いてはいけないのだ、きっと。

マサカズ様のいるカズキ様の書斎まで、一回も振り返らずに走った。

途中にナグラやケンの顔を見たような気がしたが、無視して速度を速める。心臓が鳴り響くそのスピードと同じくらいに必死に走った。



書斎手前まで到着すると、すでにマサカズ様や他の客人である"館主"様は準備が終わったらしく総出で迎えてくれる。

予期していなかったためにたじろいだが、一瞬でもたじろげば先ほどのことを思い出してしまいそうになり。

仕方が無くというか本来のプライドの高い性格のおかげというか、スピードを緩め胸を張って歩いた。


「走ってきたんだ、何をそんなに急いでいたの」


笑うテルヨシ様の横には、シンヤ様のところのメイド―アリタがいる。

クセのある短い髪に隈。その容姿はやはり、色が白くて見た目いい人層に見えるテルヨシ様の隣だとより一層悪人顔に見える。

実際問題どちらが悪人かどうかわかったものではないが。

(忘れてはいけないが、彼は政府の人間だ。さっきのことあり俺も少し疑っているところもある)



息切れもあってその質問に答えることはできなかったが、代わりにシンヤ様が「アリタのことまじでよろしくお願いします」と

ふかぶかとお辞儀しているのが見えた。

安心しているようだ。まあ、他の二人に預けるよかよっぽど安心だろう。

やはりその横にはリョウがいて、メイドではないらしい彼の顔は困惑していた。






「じゃ、行こうぜ"ゴルゴ"」



嬉しそうに言うマサカズ様。

彼の感情と俺の感情は、恐らく正反対といってもいいくらい反比例。


それでも、何か企んでいそうな彼を軽く睨みつけるカズキ様の顔を見るとどことなく安心できた。

どうやらナグラの言うことは本当らしく。






とりあえず俺達交換されたメイド、そして交換をした"館主"様はそれぞれの思いを抱きながらそれぞれの家に帰ったのである。
























(アイツ、何言おうとしたんだろうな)


マサカズ様の館までの道のり、ずっとそのことばかり考えていた。

考えていたという表現よりは恐らく考えてしまうの方があっていたかもしれないが、とにかく俺の気持ちはメイド交換とか

それどころじゃない。


確かにマサカズ様の館に行くのは嫌だ。

大体、以前レッドの着ていたような服を着せられるのかと思うとゾッとする。

それよりもゾッとする出来事に参っていたのだが、ここまで来たんだ。一旦は忘れるしかない。





「"ゴルゴ"、そろそろつくぜ?」



遠くまで言っていた思考を、マサカズ様の一言に一気に引き戻される。

驚きはしたが、さほど動揺することも無い。



それよりもさっきから聞くマサカズ様の声の調子に驚いていた。

随分と大人しい。


もっと「なあオオタケに秘密でセックスしよう」だとか「ちんこどのくらいのでかさ?」だとか言われるものとばかり思っていたから、

以外といえば以外。

いつもの空回りな元気さがない。普通。

助手席に座らされた俺の横で、車を運転するマサカズ様。横顔もいつもの幼い表情ではない。



(車、俺運転しなくていいのかな)




不安に思ったが、案外気にせずマサカズ様は普通に自分で運転している。

ただ、運転するとは言っても俺は免許を持っていない。何せ貧乏。

ずっと電車通いで、周りの友人達もほとんどのものが免許を持っていなかったのだ。

俺が通っていた高校というのは三流中の三流、下の下の学校で、だからこそメイド希望者が多かった。

もうちょっと上の学校に行けば免許くらいは持ててだけど車を持っていませんなんて奴はいたかもしれないけど。



そう考えると何か隣にいる人物がとてもうらやましくなってきた。

彼は当たり前のように運転している、それはもちろん自分の車でしかも高級車。

彼らにとってはコレが当たり前なのだと思うと、釈然としない気持ちが俺を襲う。

そう考えるとウエダも随分遠い人物なのだな、と久しぶりに思ってしまった。


(金持ち……か)


途端に冷めた気持ちになり、平然と運転するマサカズ様に嫌味を言われているような気になってくる。

そんなのはひどい被害者妄想なのだが、いつもの空元気さの無さに余計苛立ちが増した。

俺はきっとこの人が苦手なのだ。

どこかイライラとする、理由はわからない。


今までの「ああ、困った人だなぁ」と思っていた気持ちとは違う。

神経質な俺のそれを逆撫でする何かを持っていることはわかったが、それが何かはわからなかった。



ただ彼に対する苛つきが増せば増すほどさっきあったことを忘れられて、それだけは助かったのだけれども。






















到着した館は、思っていたよりも豪華ではなかった。


とはいっても、それは俺が勝手に「マサカズ様の館」像を想像していたからそう思うわけであって、もちろんカズキ様の館のぼろさと

比べればずいぶんと豪華な屋敷だ。


最初にこの"館主"街にやってくるまで歩いていた道にあった館とは随分と違う。

入り口付近にある館は俺が見ればずいぶんと豪華なもんだが、ちょっと奥にいったところには更に豪華な館街があるようで。

一つ一つが大きすぎて、ずいぶんと広い土地に見えたが実際は数件しかないのかもしれない。

随分と時間が掛かったし、隣の山にきたのだろうか?


すでに外は薄暗く、ちょっと見えづらかったがその城と間違えてしまいそうになる巨大な館ははっきりと確認できる。

そういえば「フレッシュ!」と言う酒屋業者、自分も知っていた。

カズキ様の雑誌「困った時はお互いSUMMER」と同じく、俺ら下流の者でも目にすることが多い商品の一つだ。

仕事帰り、一週間に一回だったがあまり好きではない酒をかっくらっていた時のことを思い出すと思わず「ほー」と思ってしまう。

そういえばあのビールを作ったメイカーは「フレッシュ!」だったな。



ならカズキ様だって大きな館を作れるんじゃないかと思ったが、思いなおした。

何せ彼は変わり者、ということもあったが、あのただでさえ広い館をこれ以上でかくされちゃたまらない。

掃除にどれだけ時間がかかると思う。

……阿呆な考えなのは自分でわかっている、ここは勘弁して欲しい。








豪華さは普通とはいってもやはりデカイ。

車を同じような高級車が大量に並ぶ車庫に入れると、マサカズ様は俺の手を引いて歩き出した。早歩き。



てっきりデカイ館の方に行くとばかり思っていたのだが、どうやら違うらしく。

隣にある小さい―ちょうど館街の入り口にある館ぐらいの大きさの―館に俺達は入った。



「こっちが俺用の離れ。俺の部屋って感じ?」

「はぁ……」


"俺の部屋"さえなかった時代を思い出すと、やはり"館主"様というのは憎い存在だ。くそう。


















「お帰りなさいませ、マサカズ坊ちゃま」

「うおーっす!!ただいまー!!」



いざ館に入ってみるといつものマサカズ様に戻っていた。

執事と思われる正装をした初老の男がマサカズ様に丁寧にお辞儀をし、続いて他のメイド達も深々とお辞儀をする。

まるで俺がお客様待遇されたような錯覚に襲われるが、勘違いは間違いないので首を振って意識を戻した。


メイドの服はタカハシがきているものと同じように、藍色のワンピースに白いフリルなしのエプロンを上から来ている、というもの。

襟はスタンドカラーで、リボンも付いていない。

白い襟と紐リボンの付いたオオタケ家のメイド服が派手かと思えるくらい地味なものだ。

地味なだけにメイド服を着ているものたちにもさほど違和感は感じられず、俺の感覚がズレてきているということもあるが

どちらかというとこちらのメイド服の方が好みかもしれない。ただ地味なのがいいってだけかもしれないけれども。



「オオタケにさーお前とヤっちゃだめって言われてるから特にすることないんだよなー。

 さっさとオオタケとヤれよな!」

「は、はあ……」

「ま、いっか!じゃ、俺親父にちょっと用事があるからさ。適当に館見てていいぜ」

「え、でも」



俺が言い終わる前にマサカズ様はあの笑顔のまま、今まさに入ってきた扉の方へと弾丸のごとく走り去ってしまった。




ぽつん、と残された俺。

残ったのは、俺自身と他の使用人たちの熱烈かつ冷たい視線だけだった。




「適当に見ていていいって、どこいけばいいんだよ……」


独り言をいうのさえ辛い。

じろじろと興味深げに眺めるメイドたち、それこそ下手な行動などできやしない。

ここがオオタケ家の館ならば掃除の一つでも始めるのだが、何せ自分がいくらメイドといってもここは他所様の館だ。

急に箒、雑巾取り出して掃除なんか始められるような空気ではない。

料理だって手伝えない。その他の仕事だって手伝えない。


そもそもこのメイド交換、本来ならお味見が目的なのだろうからそれがなければ何の意味もなさない行為なのでは、とふと気付いて

誤魔化すようにしてちょっとずつ歩き出した。

とにかくどこかへ行こう。


(べ、別にそんなに用事ねぇならここに来なくてもよかったんじゃないかとか……そういうこと考えていたんじゃない)


ふとあの事をまた思い出しそうになって、頭を振った。思い出したくも無い記憶のスペースにでも詰めておこう……



とにかく俺が歩き出すと、どうやらそれに気付いたらしく先ほどの初老の執事がこちらに向かって歩いてきた。

あからさまに俺のことを見ていたが気付かないフリをして歩くも、それに合わせて早足で歩いてくる。怖い。


「まちなさい、こら、待ちなさいといっているだろう」

「……う、は、はい!」


声自体は優しかったし、それに顔だって怒っているような様子でもなかったけど。

なんとなくナグラに注意された時のように返事を返してしまった。


ようやく初老の執事が俺のいる場所に追いついてきて、逃がさんぞと言わんばかりに方を掴む。そんなに心配しなくても、ここまできたら

逃げないって。



「別に仕事なんかはしてくれなくてもいいんだ。ただあまりうろつかれていると困るんでな、いざという時呼び出せないだろう」

「そ、そうですね」

「これから案内する所で休んでいるといい。マサカズ坊ちゃまが帰ってくるまでまだ時間はあるから」

「は、はい」



優しく微笑みかけられて、安心したような逆に不安になったような。

不思議な気持ちを持ちながら歩き出した執事の背中を追いかけて、俺も歩き始めた。
















「ここにはメイドが一人しかいない。静かに見ているだけなら仕事の支障にはならないから、できるだけ邪魔しないように

 待っていなさい」

「はい」


案内されたのは、見事なまでに咲き乱れる薔薇が育成されいる薔薇園だった。

上を見上げるとガラス張りの天井、横を見てもガラス張りの壁。ガラス、ガラス、ガラス。

マサカズ様の言う離れと繋がっているそこは、昔父が弟と一緒に連れて行ってくれた植物園と同じほどの広さがあり

何に使うのだろうと思うくらいの大量の薔薇が育てられているのだ。


(一人?明らかにそんなの……)



無理だ、と言おうとしたが、だがこの見事に咲いた薔薇を見ればそんな言葉は出てこなくなる。


用件が終わるとすぐに執事は踵を返し、離れに戻っていってしまったが不安は無かった。

あんな居心地のわるいところで過ごすよりかは、幾分か安心できるだろう。





「それにしてもキレイ、だな」



怖いくらいに。


毒々しいまでに彩られた赤。その他にもオレンジや白、量は少なかったが青色など様々な色があったが、やはりこの赤い薔薇が印象的だ。

はらり、と花びらが落ちる瞬間、まるで血液が滴るように見えて背筋がゾッとするくらい。それくらい美しい花々。

これを一人で育てたというなら、よほど几帳面でマジメなものなのだろう。

だとしたなら、俺ともしかしたら気が合うかもしれない。もしくはその几帳面さが反り合って反発しあってしまうかもしれないが。




「どんな奴だろ、探してみるか?」



振り返って探索をしようと、足を踏み出した時。






「こんな奴ですよ?」


「うわ!!」



ふ、と息を吹きかけるようにして誰かが耳元で囁くように答えた。もちろん俺の体は飛び跳ねる。

メイドが一人いるということは知っていたが、あまりに突然のことで体が強張りそのまま前のめりに倒れこんでしまった。

……何か俺、こんなことばっかりだ。



俺が地面とキッスをして腰を抑えていると、後ろからクスクスと笑い声が聞こえてくる。

不快、というよりはどこか胸の奥の変なところをくすぐる様な笑い声。それが耳をくすぐるたびに脳がくすぐられているような、

もどかしい感覚に襲われた。



「……だ、誰……」

「感じちゃいました?ごめんなさい、俺こう……イイ男だから」

「関係ないけど!!」



ぐるん、と振り返ると、そこには男が一人立っていた。

逆行であまり顔は見れなかったけど、クセッ毛の細身の男。もちろん服装はメイド服だった。

ふふふ、と笑う男は柔らかな空気を漂わせていて、それでいてどこか妙な色気のようなものを纏っていて。


俺は見たことのない雰囲気のその男を、呆然と眺めてしまっていた。






男が手を差し出す。



「お名前はなんていうんですか?」

「まさ……"ゴルゴ"」

「変な名前。13?あはは」

「あ、あんたは?」



差し出された手を握り締めて、相手が引っ張り上げたのと同時にぐん、と体重を前に掛けて立ち上がった。

ようやく見えた顔はあまり男前とはいいがたいものだったけれども、笑顔はやはりどこかくすぐったく感じる。


笑っていた男が口をゆっくりと開いた。

なんとなくそれがスローモーションに見えた。何故なのかはわからない。






「俺はオザワ。オザーラでいいですよ?」



擦れた声の自己紹介。

しばらく俺は放心状態になってしまっていた。







「ゴルゴさん。ゴルゴさんはどうしてここに来たの?」

「え、えっとメイド交換で」

「俺はね、ここで薔薇を育てています」


口を開き、あわあわとしながらも話そうとして、そこで俺は口を閉じた。

何も聞かなかったといわなかったとばかりに男―オザワは話を続ける。不快さは感じない。


「キレイでしょう?薔薇は一生懸命に育てれば育てるほど、きれいになっていくんです」


カズキ様とはまた違った独自の世界を持った彼は、単純に言ってしまえばマイペースなのだろう。

黙っているとオザワは勝手に、だけどゆっくりとした口調で語りだした。

これがレッドの勝手だとしたなら「おいこら人の話し聞け」だの言ったのかもしれないが、不思議と聞かなければならない、と

思ってしまうのである。

擦れた声の語りは続く。





「キレイに作り上げてもその命儚く。一生懸命やったから、愛情を込めたからといって長生きをすることはないです」

「えっと、あの」

「愛とは実に儚いです」



目を細めて俺の顔をじ、と見つめてくるオザワ。だがその目の奥は何処も見ていない。

視線が定められているのに、こちらを見ていないそのあやふやな行動が胸の奥にもやもやとしたものを作り出す。



数秒、もしくは数分。

黙って、笑った顔で見つめたままの彼が突如俺の顎をくい、と持ち上げた。

どきりともしない。不思議とそれがまるで自然な動作のように感じられるのだ。





「プッ……濃い顔」

「なっ」



気にしていることを言われ、今まで平静を保っていた脳が途端に熱を急上昇させていく。何を急に。

流石になんなんだこの野郎、と掴みかかろうとした時。再び彼は口を開く。







「そう感じてしまうのはきっと僕が恋してるからだね。一目見たときから恋してる」








ああ、すまんと声を掛けたと時には、俺の右ストレートにぶち当たったソイツが床に倒れこんでいるのが確認された。

























「いやぁ、ごめんなさい。久々にお客さんが来たものだからからかっちゃいました」



あはは、と笑うオザワ。

全くどうして、この業界の連中は初対面の印象を悪くするようなことばかりしでかしてくれるのだろう。

未だに右腕にぼつぼつと立っている鳥肌にうんざりしながら、彼が用意したローズヒップティーを一口飲み込んだ。




まだ未成年じゃないかと思われる彼は、本当にここで薔薇の世話をしているらしかった。

俺に殴られてしばらく気絶していた後、すぐに立ち上がったかと思うとそそくさと薔薇の世話をしにいったりして。

定期的にチェックしているのだろう、腕につけられたぼろぼろの時計を確認しながらどこかに置いてあったバインダーに挟まれた紙に

何かを書き込んでいる姿が見えた。


何が起こったのかさっぱりな上に興奮した(とは言っても真面目なので仕事をしている奴に話しかけられない)俺が、オザワが

バインダーを再びどこかに置いてきて戻ってきた所をとっ捕まえて謝らせた。という流れなのだけれども。

結局は彼のマイペースさに巻き込まれて紅茶まで用意されて、なんなんだなにをする気だった!と言うどころか

逆にまったりティータイムを楽しんでしまっているではないか。


睨みつけてもふふふ、と笑うくらいでどうにも。

イメージするならばうなぎのような奴だ、掴んでも掴んでもするりするりと逃げていくような。






「オザワ、はいくつだ? 見たところ未成年に見えるけど」

「ゴルゴさんがそうやってタメで話してるってことは、もうわかってるでしょう?
 
 たぶん年下です」

「いや、だから……あ、ちなみに俺26な」

「えっウソだぁ、30はいってるでしょう。ちなみに俺は19ですよ」



余計な一言を……

あからさまにそっぽを向いてチ、と舌打ちをし、再び彼の目を見てあははと笑った。





「そっかぁ、26かぁ。じゃあ俺より先輩なんですかね?」

「お前何年メイドやってんの?」

「中卒ですからね、4、5年ってところかなぁ」



いつものことだが驚かされる。

この世界じゃ当たり前のことなんだろうが、最近メイドになった俺には一向に慣れられない事実だ。

確か14か15、ちょうどオザワがメイドとなった歳あたりになるまでは性的行為は許されていないらしいが……実際はどうか

わかったもんじゃないしな。

それを踏まえての驚きなのである。



「俺半年もいってねぇかな」

「えっ! ずいぶんと遅いデビューで」

「ああ、だからオッサンの俺にはどうにも慣れないよ。この世界は」



嘘をつくのもご愛嬌。

下着もはかずのメイド服をしっくりと着こなすようになってきた俺の大した嘘を、恐らくわかっているっであろうオザワは笑って流した。

皮肉が良く出る世界だな、と思う。


(そうか、嘘というよりも)


そうだ、皮肉だ。


まるでナグラとレッドがタバコをすぱすぱさせながら言い合う愚痴のような皮肉に思わず鼻を鳴らしてしまった。

そりゃあこんな嘘すぐにバレるってもんである。





「メイド交換、でしたよね。確か」

「ああ」

「そっか、新品さんか」

「新人って言えよ」





またははは、と笑い合って。






オザワという男は、なかなか面白い人間だった。

雰囲気はここにある薔薇のような妙なものだが、話してみれば多少マイペースな所が気に掛かること意外は普通。

あのナグラでさえ話しているとうんざりすることがあるのだから、とても安心する。

まるで高校の時友人と話していたように気楽に話せるのはどれくらいぶりだろう。

ウエダとの友人関係とはまた違う。同じ階級、位置にいるからこそ話せる。


それにどこか彼は、自分と同じものを纏っているようにも思えたのだ。






「それにしてもね、この世界には愛ってもんがないから悲しいですよね」

「なんだ、振り出しに戻るのか?」

「いえ、ただね。男しかいない、恋愛関係については規制が敷かれている……ああ、愛がないなぁと」

「別にあるじゃないか、家族愛に人間愛……」



俺が言うとオザワは笑った。

鼻から空気が抜けるような笑い方、明らかにこちらをバカにしている。

しかし俺が怒ることはなかった。何せ笑われても仕方が無いことぐらい知っているのだから。


全世界の者が知っている。

そんなことはここで彼が唐突に言わなくてもわかっていることだ。








およそ100年前。

去年死んだじーさんが生まれて間もない頃、そこには溢れんばかりの愛がそこら中に落ちていた。

もちろん、都会の寂れた空気に酔って愛など知らぬとそっぽを向いて人とは斜め45度違う場所を見ていた者もいたが、それでも恐らく

人々は結局愛を求めていたのだろう。

愛を確かめ合うセックス。

セックスによって産み落とされる子供。愛の結晶と昔は呼んだらしい。

おたまじゃくしが自らの殻を見つけ潜り込み、傍から見れば醜い行為によって子供たちは出来上がっていくのだ。


子供を愛す。それが子供の成長を楽しむ親の唯一の義務。

例え国の決めた義務を守らなくても愛してさえいれば皆が涙を流し、その行いを許す。そんな世界だったと聞く。


書籍はただただそれを訴えていた。愛さえあればどうにかなった時代だと、伝え方、表現の仕方が違えど書籍はそれを訴えていた。

無意識のうちにそれを求めるがあまりに皆が声をそろえて言う。


「昔は愛があったらしい」

人々は言う。


同性愛は認められません。

子供はクローンでお願いします。

お金のある方だけ、本物の子供に出会えます。

みんな必死で働いてください。

死ぬまで働いてください。

お金のない人は穴を掘ってもらってください。お金のある人が買ってくれます。



「昔は愛があったらしい」

人々は言う。










そんなことは学ばなくとも誰もが知っている。「昔は愛があったらしい」

俺じゃなくても「愛がある」なんてバカなこといったら笑われることは確実。わかりきったことなのだ。





「愛はありますよ、確かに」

「なんだよ、そう思うなら笑うなよな」

「ただ認められていないだけで」


ふふ、とオザワが笑って、まっすぐに見つめてきた。今度は自嘲。

その言葉の裏に何が隠されているのだろうだとか、今から何を言うのだろうだとか、そういう興味は一切沸かなかった。

どちらかというとここまで楽しく話してきたのに突然何を言い出すのだろうと思う気持ちが強かったかもしれない。

オザワは続けた。





「突然ですが僕は何故ここにいるでしょう?」



途端に屈託の無い笑みを浮かべ、両手を広げて言った日には思わず俺も考え込んでしまう。

頭に浮かんだ答えは一つだったがあまりにも面白くないので消し去った。けどまた浮かび上がってきた。

たぶんそれが俺の出した答えなのだろう。

長い時間―オザワにとっては数秒だろうが―考え込んで、何度も浮かんだその答えを言った。



「仕事だから?」

「ブー、違いまぁす」



案の定の反応に思わずがっくり。あははと笑うオザワはやはりどこかつかめない。




「正解はですね、知りたいですか?」

「……知りたい」

「じゃ、正解をいいますよ! 正解は……オザーラは」




























少年は、元々そこそこ良い家柄の出で、学校もしっかり通っていた。

メイドを雇えるほどではなかったが、普通に暮らせる一般家庭。とりあえずメイドにならなくてもいい、ぐらい。


ただ彼の父親が借金を背負っていなければ、その生活は未だに続いていたのだろうが神はそれを許してはくれなかった。

どうしてか少年は若干16歳にして奈落の底に突き落とされてしまうことになったのだ。

それはまるで、今から数えて10年前に一躍スターとなったどこかの家のおぼっちゃんのような境遇だったが

悲しいかな彼には父が持つ会社も莫大な遺産も無く、父でさえとんずらをこいてしまったのである。

大体交通事故で父を亡くした悲劇さとは比べ物にならないくらいみじめなものだった。


何もなくなってしまった彼が行き着いた先は一つしかない。

いや詳しく言えば幾つか道はあったのかもしれないが、どれもまともなものじゃなく

その中でも彼が「人間らしく生きていける」であろう道を選んだ結果がメイド就職だったのである。





就職先はあまり良い職場とは言えなかった。

本館に所属するメイドとして雇われればよかったのかもしれないが、運悪く"ミムラ家"のバカ息子の住む別館専属の

メイドになってしまって早速ロストバージン。詳しい呼び名はわからなかいが、とりあえず。

まあ掘られて見ればクローンの最先端技術のお陰で苦痛を感じることもさほどなく、すぐに慣れていった。




あっという間に一年が過ぎようとした頃。

少年にもメイド仲間の友人が何人かいたが、この頃になってようやく「親友」が出来る。

ある日ふらふらとまるで遊びに来たかのように気軽に就職希望届けを出しに現れた男。それが少年の後の親友となる男だった。

飄々として、するりするりとまるでドジョウのように手の中をすり抜けていく彼を少年は面白いと思ったのがキッカケ。

他の者は「よくわからない」と苦笑いして彼を生暖かい目で見ていたが、少年はいつしか彼の背を追いかけるようになり

いつの間にかいつ何時も一緒にいるパートナーとなっていた。




聞いてみれば男は少年よりも一つ年下で、だがそれでも自分より前からメイドを勤めているのだと話したときには正直

少年も驚かされたのであった。

妙にクサイセリフと真っ赤な薔薇を好む男は、薔薇の香りを楽しみながらそれを飄々と言いのけ

これまでの恥ずかしい経験でさえ簡単に話してしまう。

少年は話を聞くたびにその薔薇を貰い、その花びらを一枚だけ抜き取って丁寧に丁寧にそれらを押し花として保存していった。

やがて薔薇の花びらは一輪では済まないほどの数になっていったのである。






初めて口付けを交わしたのは、少年が薔薇の花びらを集めていたことを他のメイドにばらされてしまった日だった。

少年もさすがにコレには驚きあまりのショックで涙してしまったが彼は平然と、当たり前のように謝った。

「ごめんね」

擦れた声が少年を慰め、正直その口付けを「きもちわるい」と思ってしまったことを彼に告げると

彼は心底悲しそうな顔をする。

だけど決して「何故」とは言わなかった。




何度も何度もそれを繰り返した。

顔を合わさない日もあっただろう。

それさえわからなくなるくらい、長い日を過ごしていく。




薔薇の花びらはそれでも溜まっていった。少年はそのことをを忘れたかのようにいつも通り彼の話を聞き、笑う。

そして花びらを集めていく。

そうして気付く。

話を聞くたびに湧き上がる暖かな感情、花びらが増えていく度に感じる幸福感、これが全てあるものに直結していることに

ずいぶんと長い時間をかけて気付いていくのだ。








「俺……おざぁさんのこと、好きって、思ってるのかな?」










男は何も言わなかった。

ただ、笑顔で彼に口付けたのである。























初めて想いが通じた日にそれがバレた。

二人でメイドを辞めようと話していた。

だがそれさえ許されず、少年は首輪を縛り付けられとある部屋に閉じ込められた。

男は、男が好きだった薔薇がたくさん植えられたそこに閉じ込められた。

何度も外に出ようとして、お互いがお互いを理由に脅迫され閉じ込められ続けたまま。

彼らはようやく気付くのだった。


自分たちは就職したのではない。


この身を売ったのだ、と。

この魂を、売ったのだ、と。

自分を、売ったのだ、と。




























「……なぁんてね」



はは、とまたオザワが笑った。暖かな笑いだ。



「そんな悲しい話あるわけないじゃない、ねぇ」




模範解答と言って口を開いたかと思えば、と。話を終えて彼の口は閉ざされたが、俺の口はもう開きっぱなしだった。

閉めることも出来ずにぱくぱくと、酸素の足りない金魚のように。



恐ろしい話だったから、だろうか。

あまりに悲しい話だったから、だろうか。

目の前で笑っている人物の体験だったであろう、からか。


それがまるで、己の物語の結末のように聞こえたからだろうか。







「嘘ですよ。ちょっとね。さすがに少年が囚われたのは嘘です。

 少年は今ね、幸せに暮らしているから僕は大丈夫なんですよ」

「しあわせ……?」

「うん。オオタケさんっていう、マサカズ様のご親友の住まわれてる館のメイドとして雇われるんですって。

 ゴルゴさん知らないですか?」

「え、いや、その。俺そこのメイド……」


「ホントですか?!」





物語に出てきた男と同じように、オザワは飄々と自らの過去を認めた。普通に喜ぶな、と思ったが生憎笑えるような心境じゃなく。

ただ彼の喜びようといえばなく、その気迫に押されついつい聞いてしまった。




「な、名前、は? そんなに数いねぇからわかると、思う、から……」

「ジュン!ジュンっていいます!」



しばし、考えて。

数秒置いてから俺は答えた。

気持ちが冷静になっていくのがわかる。カズキ様の顔を思い出していたらそうならなければと思ったのだ。



「ああ、ジュンね。うん、知ってる」

「ジュン=イトダ!! そっか、ジュン! ジュンを知ってるんだ!」

「イトダなぁ、アイツだアイツ。よし、よろしく伝えてやるよ。薔薇持って行くか?小粋に」

「そうですねぇ、いいですね!じゃあお願いします!」




差し出された薔薇。それはオザワが手元でぶらぶらと遊ばせていた、一際美しい薔薇だった。

そして席を立ち、他の場所からもう一輪。今度は青く白い薔薇。




「この赤い方はジュンに。そして青い薔薇はゴルゴさんにさしあげます」

「ああ、わかった」

「……よかった、本当によかった。僕はここから動けないから、本当はずっと不安だった」



少年と男の話。

そんな悲しい話があるわけない、と言った割には100%真実だったようで心底嬉しそうな顔をした彼は、歳相応に見えた。

独特の雰囲気は感じられない。こちらまで暖かな気持ちになる笑顔を、満面に浮かべたのだ。










やがて初老の執事が俺のことを呼びに来るまで、俺達はジュンについて話した。

ジュンがした失敗やその仕事ぶり、様々なことを話した。すごく、すごく楽しくてあっという間に終わってしまった。

やはりこの男は話が上手い。

感心しながら執事と共に部屋を去り、名残惜しそうに手を振るオザワの目元が光っているようにも見えた。

それと同じく、青の薔薇に滴っていた雫がきらりと光っているのがなんとも言えなく美しかった。
























夜の廊下。

メイド交換の夜を、俺は結局マサカズ様が帰ってこなかった為に館探索で費やしてしまった。


















(帰ってすぐにナグラに報告をした。隅から隅まで報告をすると、笑ったり顔をしかめたりで忙しそうで。

またカズキ様の帰らぬ館で暇を持て余していた彼は俺の話を熱心に聞いていた。

そして、俺にまたお節介のように話し始めたのだ。



「あの人はな、確かにカワイソウかもしれんな」




それは聞いたことがある。

眉をひそめると、ナグラは「つけたしや」と軽く言った。




「前に穴があるっていったやろ、あの人の心の中に。

 んでもってカズキ様にそれを無意識に埋めてもらうことを求めている。……厳密にいえば、この世に生きる人間全てに」









「あの人は自分が捨てられることを怖がってる。いつカズキ様に捨てられるか、怖くて怖くて仕方がないんやな。

 そして俺らメイドにも、父親にも、いつ見捨てられるかとびくびくしている。

 だから無理に空元気。明るい自分を常に見せていないと、性に開放的な自分で暗い自分を隠していないと

 捨てられるんじゃないかと」)









廊下は寒く、一つ一つ部屋を開けるとその度に眠ろうとしていたメイドが不機嫌そうな顔でこちらを睨みつけている。

あまりにも途方にくれる作業のために、仕方なくメイドの一人に聞くと案外簡単に教えてくれた。

「高校の時の後輩でさ」……この歳では随分と痛い嘘ではあったが、なんとか誤魔化して見せたのだ。


ただもう中にいないぜ、と教えてもらった部屋へと向かう。知っている。彼は中にはいない。











(「たかだかメイド如きに怯えるほど、捨てられることに対して怯えている。

  それはやがて執着に変わり……そのオザワっちゅー奴を閉じ込めたんやなぁ」


つなぎとめておきたいから?捨てられたくないから?


どっちにしろ俺には理解できなさそうな世界だった。たまらない。


「ま、なんにしてもお前もやるな」

「え?」






「ようそんな嘘、つけるまで成長したな」 )



































部屋。

扉。

開く。

光。

誰もいないなんて嘘。



笑顔。

遠い目。

開く口。



「おざぁさんは、ウチムラ様って優しい"館主"様に新しく雇われる事になってさ。もう、あえないけど

 でも俺幸せだよ。だっておざぁさんが幸せなんだからさぁ」




首輪でつながれ、幸せそうに微笑む彼の部屋は異臭が漂っていた。

簡易トイレのせい、だろうか。

定期的に体を拭いてもらっているのだろうか、清潔な彼だけがその部屋で浮いている。




「幸せだよ、おざぁさんの甘い言葉を思い出すたびに幸せになれる」







薔薇を置いていくと、俺が来たことがばれる。

だけど薔薇は欲しい。



彼はそれを、ためらいもなく食べた。

たとえ棘で口を裂かれようが、ためらいも無く赤いそれを食べた。

一つになるんだと笑顔で言う。まるで狂人のように見えたが、彼は狂ってなどいない。正常。


それが逆に恐ろしいのだ。




























(「嘘なんかじゃないです……ジュン、います」





ナグラを見て呟くと、黙って彼は俺を抱き寄せた。

骨と皮しかないような腕がきつく抱きしめる心地よさといったら無い。




暖かさが欲しかった。オザワの言う愛が今ないのだとしても、それと似たものを感じていたかったのだ。








怖い。

すごく、怖い。






今はあの男に出会いたくない。

できるなら、今日一日だけは。











「う……う…っうわぁぁぁぁぁあ!!」












カズキ様に襲われたあの時以来、俺は泣いた。大声で、子供のように泣いた。

聞きつけてやってきた男も追い返した。やっぱり会いたくない。

ただただ恐ろしくて、体を震わせて

オザワから貰った青い薔薇を握り締め、ぼたぼたと赤い雫の漏れる握り締めた手で強く、強く抱きついた。)

























館を去る前に一度だけ、もう一度だけオザワに会うことが出来た。

彼は俺の顔を見るなりにこにこと笑い、また会えたと喜んで話を始めようとしたが、もう出なくてはいけない時間だからと

それを静止する。

不服そうな顔をする彼は、いい事を思いついたと言わんばかりにまた性懲りも無く。


「ゴルゴさん」

「ん?……!!」



ぴと、と俺の唇に自分のそれを重ね合わせた。正直驚いて、また右ストレートが繰り出されるところだった……危ない危ない。



当のオザワはまだにこにこにこにこ。

そして一言言った。






「このキスをジュンに届けてください。間接で、しかもゴルゴさんとジュンがキスするってのが難点だけどなぁ

 でも許しますので、よろしくおねがいしまーす」



ふふふ、と笑うオザワの額を小突いた。

彼はきっと冗談で言ったのだろう。


彼のテリトリーである薔薇園。

ガラスに囲まれたその場所は光に溢れている。












その願いがもし叶うものならば、叶えてやろうと思いながら扉を開いた。







Next....