やあこんにちは
これから楽しい日々を送っていこうじゃないか
ずっと、ずっと
君が消えてなくなるその日まで
MAID―メイド―
"Discovery"
テルヨシ=ウチムラは謎多き人物と呼ばれていた。
本人が望んだわけではなく、別に妙なことをしているというわけでもない。
ただ、彼が常に黒尽くめの上にサングラスまでかけているために何かあるのではないかと睨む人物が
あまりに多いだけなのだ。
何か考えているように虚空を見つめ、"施設"の"女性"たちが不思議そうに見つめているその時。
人々は、彼が何を思っているのだろうかと思想する。
しかし彼は何も考えてはいない。ただボーっとしているだけなのだが、それは彼の周りの
友人達のほか知るものはいないのである。
本当は映画鑑賞が趣味のそこらに歩いている青年達となんら変わらぬ男なのだ。
周りは過大評価しすぎる。
テルヨシは度々苦笑いし、騒ぎ立てたり「尊敬してます」だとか目をキラキラさせる者たちを
抑えてきていたのだが、
「……いきなり家捜し?ずいぶんなメイドだねぇ」
ふふ、と笑うテルヨシは、つくづく自分の過大評価のされ方にうんざりした。
背をつける彼の部屋の扉の先で明らかに掃除とは思えぬ作業をしている男が、がたんと音を立てる。
まったくうんざりだった。
明日は用事があるために、ちょっと早いがアリタをウエダの家へと送っていこうと考え帰宅してみれば
そのアリタがいつかの青年のように書斎をがさがさと荒らしていた、それだけの話。
しかも耳に黒いイヤホンを付けて、手元の携帯電話に何か語りかけていたがそれもまあそれだけの話。
テルヨシはいつかの事件を思い出しながら、いつものようにふふ、と笑った。
かつてリョウ=フカワがテルヨシの自宅に「家政夫」としてやってきた時、同じ事件が起きた。
「リョウちゃん、この人はテルヨシ=ウチムラさん。お母さん達のお友達の息子さんよ」
にこにこと満面の笑みを浮かべ、両親の友人である女性から紹介された少年はいかにも不満と言った表情を浮かべ
テルヨシがこれまた満面の笑みを浮かべ答えるように手を差し出すとフンと鼻で笑ったのだ。……おそらく。
もしかしたらそんなことはしていないかったのかもしれないが、テルヨシの記憶はすっかりそうなのだと
決め込んでいた。
それくらい、最初の彼は生意気だったのだと考えてもらえればいいだろう。
家政夫とは名だけで、彼は高校に通うためにより近いところに住むテルヨシの家に上がりこんだだけだった。
両親の知り合い、ということで文句、いや嫌味の一つも言えず無表情でレポートをパソコンを打ち込む彼に
「いやぁ、精がでるね」としか言いようがなく。
テルヨシが両親の元を離れ、小さな館に住み始めてから数年。正直招かざる客が来てしまったな、とは思っていたのだが。
それでもやはり、家事をする代わりにこの家に住むことを約束したからには少しぐらいは仕事をしてもらわなくてはと
迷惑な居候がやってきてから半年になったその時テルヨシは彼に言った。
「リョウ、くん。あのさぁ、風呂掃除」
「ウチムラさん。僕レポート書くのに忙しいんですよ」
まあ、結果は予想通りだったのだけれども。
(全く参った……家事はしない、生意気なことは言う、すぐ人のことを小ばかにする……)
ため息をついて、家に帰ることが億劫になったことさえあった。
二十歳も当に超えているテルヨシにとって10代青春真っ盛りの青年との同居とはなかなか難しいもので、
外では慣れない政府の仕事、内では知り合いの友人の子供の世話。
政府関連の人間関係も疲れ始めて来た頃だっただけに、今のテルヨシでは考えられないほど悩んでいた。
夜、古くからの友人であり大学の後輩であるオオタケやウエダ、ミムラの家に渡り歩き
最終的にはホテルに泊まり歩く生活を送ったこともあり
念願の一人住まいの館はすっかり青年リョウ=フカワの城と化してしまったのである。
しかし流石に二週間もたった頃、一人の青年にあの館を任せておくのもそろそろ限界だろうと思い
ため息を付きながら我が家に帰ったテルヨシは愕然とした。
「……な」
テルヨシも悪かったのだ。
そう、テルヨシの管理不足にも十分責任はあった。
だがこんなことになるとは流石にテルヨシも想像だにしなかったのである。
館の扉を開くとそこにはなんの変哲も無い我が家の廊下があった。
どうやらリョウ青年は友人宅かどこかは知らないがお出かけ中らしく、不在。
しんと静まり変える久しぶりの我が家に顔を綻ばせながら自らの書斎に向う。
後何時間、いや何十分と続くかわからないこの我が家での静寂を楽しもうと思い開いた扉の先には
思いもかけぬ出来事が待ち構えていた。
赤い絨毯の上に散らばる書類。
愛用のパソコンは起動されっぱなしの上に、趣味で集めた画像や動画のファイルがいくつか開かれている。
そしてそのパソコンに繋がれているUSBケーブルは例の青年のパソコンに同じく繋がっていた。
犯人はばればれ。
それに重ねられたファイルを一つ一つ消していけば、どのデータを犯人が欲しがっていたのかなどすぐにわかる。
どうやら今日この日に、まさかこの家の主人が帰ってくるだろうとは思わなかった青年に一杯食わされて
しまったらしい。
テルヨシ=ウチムラは笑顔と無表情のどちらかしかない男だ。
それ故にもしかしたら何かを企んでいるのではないかと思われがちで、昔から損ばかりをしている。
信用されなかったり、疑われたり、妙な人間が擦り寄ってきたり。
「全く、俺は何も知らないっていうのに」
暗闇の中で光り続けるパソコンの画面を眺めながらテルヨシは呟いた。
それは青年にだけに向けたものではかなかったのだが、そんな事を気にする者はここにはいない。
何にしろ一人もいるはずがないのだから。
「俺だって怒ることはあるっていうのに、ねえ」
誰に語りかけるということもない。
ふふ、と笑いながら机に無造作に置かれていたコーラの缶を握りつぶした。
その日のことはリョウ=フカワ本人でさえ語ろうとしない。
ただ彼が「俺が今のリョウになった日です……」と涙ながらに語るだけで、何も。
実際のところ、逆上したテルヨシが家に友人を引き連れて帰ってきたリョウにまずとび蹴りを食らわし
殴るわけにはいかないよねふふと笑いながらピコピコハンマーで殴りかかった。
本来なら殺傷能力がないはずのそれで殺さんばかりに何度も何度も何度も何度も何度も。
顔を強張らせてその様子を見守る友人の胸倉を引っつかみ、リョウの自宅に電話を掛けさせ
現在の息子の落ちぶれっぷりを報告。
「ざっけんじゃねぇぞオカマァァァ!!」
「ごごごごごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
夜の、小さな館。
ちょっとしたいたずら心で政府の情報を盗み出そうとした青年は、この時初めて「大人」になったのである。
あれから数年。
リョウ青年は大学生になり、もうテルヨシの館に住む必要もなかったはずだが
わざわざ館に近い大学を選び今でも家事をする代わりにと居候を続けている。
今思い出すとテルヨシは赤面しそうになるくらい恥ずかしい出来事だ。
あれ以来あそこまで怒ったことは滅多にない。……リョウの教育の際には多少なりと鬼となるときもあるが。
「もう怒ったりなんかしないよ。そんなことしても無駄だ」
リョウは悪戯だったからよかったものの、今考えればあそこであんな騒ぎを起こしてしまっては
敵の目的がわからなくなってしまう。
もしかしたらリョウは両親に頼まれたスパイだったかもしれないし、若いながら政府転覆を狙う輩だったかもしれない。
感情に押し流され、上下関係を作るよりも他にするべきことはあるのだ。
この数年で政府に勤めてきて学んできたことは少なくなく、そこで学ぶたびにリョウの事件を思い出しては
赤面する。
政府の人間がするべき事。
まず情報はかならず守る、絶対にバラすことはしない。これは鉄則。
そして政府の情報を狙うものがいるのだとしたら、潰すことも重要だがそれよりもしなければならないことがある。
それこそ「敵の目的を掴む」事である。
リョウを自宅に送り返すことをせず、そのまま家政夫として館に残したのには理由があった。
悪戯にしても彼が政府の情報を盗む出そうとネットを繋いでしまったので、止むを得ず上司に報告したところ
罰金を払えと言われた後衝撃的な一言を聞かされたのがその始まりである。
「君、政府の鉄壁をどれくらいで破ったんだい?」
「あ、あのー、えー、えーと。い、一週間くらいです……」
「なるほど、鍛えれば3日でいけるかもな」
泣きべそを書くリョウに対し、当時の"施設"東京支部の管理人―俗に言うオーナー―は立派に蓄えた髭を
さすりながら不適に笑う。
今のテルヨシを作った、現在は引退して優雅なご隠居生活を送っている彼はその時言ったのだ。
「ウチムラくん、彼を君の諜報員にしたまえ」
明かりのついている部屋に入らず、暗闇の廊下へと足音を立てないように戻る。
黒いコート。黒いスーツ。黒いネクタイ。黒のショートカット。
闇に溶け込んでいく彼はサングラスをかけているにも関わらず、迷いも無くまっすぐと廊下を歩いて行く。
部屋の中で楽しくおしゃべりタイムと決め込んでいるアリタと同じく携帯電話を取り出し、
玄関を出たところでお出かけ中の彼にコールを掛ける。
1、2、3、コール。
「あ、リョウ? うん。久しぶりに仕事だよ」
ふふ、と笑ったテルヨシ。
今の彼は激情などと愚かな行動など起こしたりはしない。
「ウエダの家ガサ入れして。アリタって奴のこと調べてもらいたいんだ。
場合によっちゃウエダを潰すから覚悟しておけよ?」
テルヨシ=ウチムラ。
彼は何も考えていないことが多いが、彼は政府のお役人であるがために
彼の考える一番とは今、国である。
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