お前らなんかに言ったってわからない

わかるはずもない


せいぜい泣きつけ

大バカ野郎共












MAID―メイド―

結末












シンヤ=ウエダは正直驚いていた。




ウチムラのところにリョウを送り、まあついでに先輩に挨拶でもしていこうかと

オオタケ家に足を踏み入れたところ繰り広げられていたのは何故かメイド同士の乱闘。



主人であるオオタケ氏はタカハシを置いて仕事のため不在。

自らの仕える館に帰れず、且つあまり出会いたくなかった大騒動に巻き込まれてしまい困惑しまくり。

哀れで仕方が無い彼を横目に、とりあえずシンヤはこの状況を把握しようと必死になってまくしたてあう彼らの会話を

聞き取ろうとした。




「なんでや!!裏切りやがってこの野郎!!」

「んだとてめぇふざけんな誰がいつ裏切ったっつうんやボケェェェ!!」





まあ、とりあえず関西弁なのはわかる。

びりびりに破けたメイド服から除くたくましい体とあばらの浮き上がった骨張った体から、もちろん

彼らが男と言うこともわかる。

そしてその身長差から大体言い争っている人物が誰なのかはわかる。


しかし、納得がいかないことがあるのだ。


「な……なんでお前らが言い争ってるんだ? "レッド"、ナグラ……」



よりによって言い争いの中心にいるのは、オオタケ家メイドの中でもきっての仲良しであるはずの

"レッド"とナグラだった。



関西弁でまくしたてる二人の会話の早さに付いて行けず目を回していたシンヤ、

何があったのかもさっぱりわからず呆然としているとスーツの内ポケットにしまっていた携帯電話のバイブレーターが

音を上げて震え出す。


着信は"松本"からだ。














事の発端は"ゴルゴ"にあった。


"ゴルゴ"がナグラにキスをした、と。

それで"レッド"が急に逆上しだした、と。

最初は流していたナグラだったが、あまりにも"レッド"がしつこく言い寄るものだからとうとう彼の堪忍袋の尾も切れてしまい

今にいたる…と。


"松本"こと"ゴルゴ"から届いたメールにはそう書いてあった。

当の本人である彼の姿はどこにも見えないのは、恐らく事態が悪化することを避けてのことだろうが

すっかり事態は悪化している。

むしろ彼がいないせいで静止できるものがいない。



それにしても二人のケンカが凄まじ過ぎるせいか、タカハシ以外ギャラリーさえいない。

幸いオオタケがいないからいいものを、すっかり"レッド"も本性を出してしまっているのは大問題だ。



(確か"ゴルゴ"はコイツの本性をしってるんだったな……ったくめんどくせぇ奴)



はあ、とため息をついてから。








「おいコラバカ共!! "館主"様のご友人なるぞ頭がたかぁい!!」
























「詳しい事情はその、あれだ。"ゴルゴ"から聞いた」



下着を常に身に着けていないオオタケ家の方針のお陰で、ほぼ丸裸の二人は今仁王立ちするシンヤの前で

正座をさせられている。

不機嫌を絵に描いたような顔でお互い顔を合わせない様に顔を背ける成人男性の姿を見ると、

どうにも居たたまれない気持ちになった。



「"レッド"。大体お前はそれでいいのか? もしこれで……つーかもうバレたかもしれないんだぞ」

「お前ん時みたいになったらどうするかって? そりゃ、困るけど」

「お前言うなっつーの! ったくなんなんだオメ―なめてんのか……ってだいぶ昔からわかっているが」



"レッド"が本当は白痴ではないことを、シンヤは知っていた。

それを知らなかったらしい"ゴルゴ"は目を引ん剥いて驚いていたが、今はそれにいちいち説明してやれるほど

心に余裕は無い。



「ナグラもさぁ、"レッド"のことダチとしてサポートしてやるんだとかっていってなかったか?」

「言って……ました……」




「じゃあケンカとか、マジでどうしようもねぇことはもうやめろ。

 いいな、わかったか」



不機嫌そうな顔でしぶしぶと頷く二人。

いつもの様子で呆れ顔をしているかと思えば、顔を真っ青にして俯いている"ゴルゴ"も頷いている辺り

どちらかというとシンヤがため息をつくような事態になっているようだった。













『……それで、同じジュンだったから

 自己満足にしかならないけど、代わりにキスしてもらったんだ。

 それ、偶然見かけたレッドが急にキレだして……』




















何通にも渡った長文メールを、言葉に出せない"ゴルゴ"は姿を隠し携帯電話にひたすらに打ち続けた……ようだ。

"レッド"とナグラに新しいメイド服を着させている間、そのメールを読み続けた。



恐らく彼らを自分と重ねてみたのだろう、とシンヤは予測を立て軽く鼻で笑い携帯電話を閉じる。

バカにしたのではなく、ただ年齢や顔とは見合わないほどずいぶん可愛らしく青臭いことしているじゃないかと

思ったのだ。



「"レッド"よぉ」

「あ?」

「あんまり心が狭すぎると、"ゴルゴ"だって逃げちまうぞ」

「……せやで。お前心狭すぎや」




シンヤと、それに付け足すように言ったナグラの言葉を噛み砕くように、"レッド"は何度も頷いたが正直なところ本当に

話を聞いていたかどうかはわからなかった。






"レッド"が"ゴルゴ"を縛り付けたくなる気持ちは痛くなるほどわかる。

例え男同士だろうがなんだろうが、恋愛をすればそういう感情が湧くのだという話は聞いたことがあった。

それはきっと大好きな玩具を他の子供に使ってもらいたくないと思ったいたあの頃の感情と同じモノで、

拗ねる両人を見ているとまるで例え通りの物語を見せられているようでむず痒い。



まるで子供だ。

恋愛とはこんなものなのかと苦笑し、ポケットからタバコを取り出してそれを口にくわえた。



大人であるナグラに掴みかかった子供同然の"レッド"。

掴みかかったのが短気なナグラだったお陰であんなことになってしまった。と。



「ったく嫌味なくらい……」



ぷかぁ、と浮かんだ煙の輪を目で追いかける。それにあわせるようにナグラも目線を上にあげていた。

"レッド"もまた、釣られるように視線を上に向けている。




「"ゴルゴ"……怖いな、あのおっさん」



ふ、と笑うシンヤを、二人は引きつった顔で見つめていた。何を思って引きつったのかはわからない。

わかろうとも思わない。





「"レッド"、お前この館から出ろ」

「でも……」

「もう今のお前には無理だって。機会を与えてやるから、早めにこの館を出たほうがいい」



静かにナグラが頷いた。その目は真剣そのもの。

視線を"レッド"に突き刺すと、今までの自信満々の表情があっという間に崩れ去る。

恐れ、怯えが入り混じったその顔はあんまりで笑いたくなったが、なんとか抑えた。



そして、本来ならばこの館の主に渡すはずだったそれを尻ポケットから取り出す。

現れたのは二枚の紙切れ。

そのたった二枚の紙切れがシンヤの言う「機会」だったのだが、何のことだかさっぱりわからないと言ったようにレッドが

眉間にシワを寄せる。




「挨拶ついでにこいつをオオタケさんに渡そうと思ってた。

 "ゴルゴ"つれてきてくれって言おうかなとかさ、考えてたんだぜ」

「……遊園地のチケット、を?」

「そ。ミムラさんがなんかどっか行こうぜとか言ってたなぁ、とか思い出して、優しい俺様は

 これを秘密で用意していたわけよ」



それはそれは、と不信さを隠さないまま"レッド"が紙切れを受け取った。




「他は"館主"様とメイド一人で遊びに来る。オオタケさんの都合に会わない日は大体わかってるから、

 それに合わせて俺が誘う。

 俺がじゃあ、ミムラさんのお気に入りの二人を連れて行けばどうかと誘う、どうだ」






しばしの沈黙。

長い間押し黙った"レッド"は、静かにこくん、と頷いた。




「お前は知ってるだろ、オオタケさんの怖さを。早く逃げろ。

 "ゴルゴ"を納得させて逃げるんだ」

「でも、逃げ切れると思うか?」

「そんなところまで知るか。責任は自分でとりやがれ。

 "ゴルゴ"を想っているんだったら、それぐらいできるだろ?ん?」




また"レッド"は静かに頷いた。重要なことだけに口数は恐ろしく少ない。


(我ながら恐ろしいことを薦めてしまった)


そう思いながらも、この雰囲気ではとても笑えそうになかった。と、言うわけで心で自嘲する。





















「あの……」




オオタケに連絡をとり、遊園地の件、そしてタカハシについて話し

今は彼を仕え先であるミムラ邸に向かって車を走らせている。

今日は仕事ではないので、久しぶりに愛車のオンボロ車のため、語りかけてきたタカハシの声はかなり震えていた。



「ん?なんだよ」

「いえ、その……みなさん、大変なんですね」

「あ?あー、大変だよなぁ」



申し訳なさそうに助手席で体を強張らせているタカハシ。

きっと"レッド"や"ゴルゴ"、その他色恋沙汰や事件に巻き込まれている者とは程遠い真面目なメイドにシンヤは苦笑しながら答えた。

もし、シンヤがアリタと出会わないで彼のようなメイドたちに囲まれた館に住んでいたらどんな未来が待っていたのだろう。

そう考えるとあまりにも空しい思いばかりが浮かんでしかたがなかったので、やめておいた。






「僕はその、よくわかりません」

「ん?何が?」

「こんな事を聞いてはいけないとはわかっているんです、僕だってメイドの端くれですから」

「前置きはいいってば。本題言え、俺は大丈夫だから」




シンヤの一言の意味をわかったのか、はたまたそうではないのかはわからなかったが

タカハシは一息ついてから再び口を開く。

その体から緊張は感じられず、今度は車の振動に影響されるだけで怯えなどは感じられない。


「か……っカズキ様は心の病気をお持ちで?」





キキ―ッ

車を急停止させる。故意ではない、手が勝手に急ブレーキをかけていたのだ。

がくん、と激しく揺れる車体。

まるで壊れたかと勘違いするほどの振動にタカハシは目をシロクロさせ、一方シンヤは一点を見つめちらりとも彼を見ようとはしない。



「タカ、ハシ。どうしてそんなことを聞く気になった」

「す、すみませんすみませんすみませんすみません!!」

「謝るのとかいらねぇから!! どうしてそれを思ったのか言ってみろ!」





焦れば焦るほどボロが出ることは知っているはずなのに、思わず早口でまくしたててしまい

これでは今日の二人の失態を攻められるような人間でもないじゃないかと内に潜む自分が自嘲する。

喋ろうともせず、動こうともせず、答えだけを待っているシンヤを見てタカハシは余計に体を震わせ

それでも早くここから抜け出したいと思ったのか、ゆっくりと口を動かせた。





「話が……聞こえてしまいまして……部屋から漏れる声が……」

「どこからどこまで」

「ほとんど全部、かと」

「そうか」



がん、と額をハンドルに打ち付ける。完全にシンヤの失態だった。

まさかオオタケ家のメイド以外の人物に聞かれるとは、と、頭を抱えたい衝動に駆られながら

己の油断さ加減を呪う。



「僕はメイドになった頃から、マサカズ坊ちゃまに仕え始めたその頃からカズキ様に可愛がって

 頂いています!

 もしそうだとしたら」

「お前には何も出来ない。忘れろ」

「シンヤ様!」

「人間にはできる事と出来ない事があるのぐらい、お前も知ってるだろ。

 もう、誰にもあの人を救うことなんて出来ない」





静かに、感情もださずに言ったにも関わらずタカハシはそれきり黙ってしまった。

がたがたと車体が揺れる音が耳にうるさい。

冷静を装いつつ、ハンドルを握る手にじわじわと気持ちの悪い汗がにじみ出てくる。

片手をズボンで拭き、再び両手でそれを握りなおした。それでも不快感が消えることは無い。




(全く俺は"館主見習い"としても失格だな……)



アリタに首輪を付けられたその時からそれはわかっていたことだが、あまりに軽い口にうんざりした。

"ゴルゴ"にしろ、過去"レッド"とひと悶着を起こした事にしろ、自分自身でも反省していることはもちろんある。

いつもこうして"館主"としてみれば「たかかメイド」に重要な相談をしたり受けたりをしてしまう。

自宅のメイドには隠すことが出来るのに、他所のメイドに対しての油断が酷い。




「……悪い。ウソウソ! オオタケさんは正常だよ」

「……シンヤ様」

「お前はマサカズ坊ちゃんの世話だけ見ていればいいよ。ごめんな」



彼らに現実を見せない。

それもまた"館主"の仕事だ。

彼らは現実とかけ離れた世界に最初は戸惑い、"ゴルゴ"のように虚無感を抱くこともあるのだと言う。

本来ならば手を貸さず、彼らが現実とはかけ離れたこちら側の世界にくることを待つというのが

"館主"なのだ。

何より、現実を見せたりごたごたに巻き込むことによってどんな事件にメイドを巻き込んでしまうかわからない。

現実とこの世界の狭間に置かれ、狂気に駆られたメイドが何かを起こすかもしれないし

"館主"同士の現実的な争いに巻き込まれるかもしれないのだから。




だからメイドは何も知らず、体と心を"館主"に捧げればいい。

それが彼らの幸せであり、彼らが不幸と思うそれはいずれかその幸せとなる。



(もう間違いは起こしちゃならない。もう、巻き込まないって)



決めただろ?










そう、巻き込んではいけない。

誰も巻き込んではいけない。


苦しいと思ったことは顔に出さず、自分で解決する。それが大人と言うものだ。


下手に巻き込んではいけない。

この何も知らない一介のメイドに話して何が起きる?

どうせ彼が苦しむことになるか、それとも何も起きないかのどちらかだ。

だから巻き込んではいけない。



もし自分と同じく苦しんでいる者がいたらそっとアドバイスをする。

逃げてしまえ、我慢はしないほうがいいと、自分と同じにならないように導いてやるのだ。

同じにならないように。



(本当に同じか……?)



車が揺れた。もう、限界かもしれない。















ミムラ邸が見え始めた。

タカハシは相変わらず黙ったまま、シンヤが時折ジョークを織り交ぜた話をしても愛想笑いをするだけで

何かを話し出そうとはしない。

早く仕え先に到着することを待っているのだろう、車体が揺れる度にずれていくメガネの位置を直しながらちらちらと

前ばかりを見ている。

これでもプライベートでは人付き合いのいい方なので、正直この対応はショックだった。




門を開いてもらい、車を中庭の先にあるそれなりの広さの駐車場に停める。

美しく黒光りするリムジンや高級国産車、並び外車の間にこれを停めるのは気が引けたが仕方が無い。

それでもタケヤマとヒロシが一週間に一回送迎用の車と一緒に掃除しているお陰か、シンヤのオンボロ車もそれなりに

輝いてはいた。自慢なんかとても出来る姿ではなかったが。











「それではあの……ありがとうございました!」


逃げるようにタカハシが走っていく。思わず苦笑。

これでいい、とは思いつつなんとなく寂しい。

離れに住む他のメイド達が不信そうにその姿を追っている中を合間を縫うように歩いた。





ミムラ邸の、離れの構造は良く知っている。

オオタケやウチムラにそれを言ったら驚かれるかもしれないが、 実は 知っていた。

彼らに秘密でここに来ることは幾度となくあり、最初は秘密にする気もなかったのだがなんとなく言わないでいるうちに

そうなってしまったのだ。


構造も、またメイド達も知っている。

バラ園に住むメイド、それと同じくとある部屋に閉じ込められているメイド。

タカハシが以前路上バンドのメンバーだったことやら、その他もろもろのどうでもいいような情報から

よそ者が知るべきことではないことまで それなりに 知っている。




ミムラのいる部屋に続く廊下は長い。オオタケ家とは大違いだ。

シンヤの知る限りのミムラを表すかのように、彼の部屋は奥へ奥へと言ったところに存在している。



以前、ミムラに相談されたことをふと思い出す。



それは大学に入学してからそれほど経たない内からミムラに自分の人生相談をしていた延長戦のようなもので、

じゃあ俺の悩みも聞いてくれよというごく自然な流れなことから始まった。

大学を卒業してからもそれは続き、シンヤがこの家の事情を知る理由はこれにある。


(ま、良き相談相手っていうよりは、単なる掃き溜めってかんじだけど)


ふ、と笑いながらそういった事情で何度も見てきた扉を開く。

きっとオオタケはこんなことを考えながらこれを開いたことなんかないだろう。

「何して遊ぶ?」と聞くぐらいで、まさかこの扉の先に彼があんな顔をして待っていることなんか考えもしないのだ。







「親父が……来年になったら仕事しろってさ」




扉の先にはミムラがいた。

だがそのミムラは明らかに普段と雰囲気が違い、頭を抱える彼はあまりにも弱弱しい。

目頭が微かに光っていて、体が震えている。怯えている、彼以外に何者もいないのに何かに追われているかのような怯えよう。


シンヤには驚きも意外性も感じられない姿。

タカハシを送りに行くと連絡した時に「相談がある」といわれてから大体予想はついていた。

てっきり"ゴルゴ"がいなくなって寂しくなっただとか、本気でどうしようもない悩みを相談されるのかと思っていたが

案外ディープな質問だったらしい。

ミムラは続けた。



「仕事したくねぇよ……」

「そんな事、いつまでも言ってられないでしょうに」

「嫌だよ!! だって親父の会社の連中は」


まただ。

シンヤはその背中を摩りながら深くため息をつく。




彼の悩みはシンヤとほとんど一緒だ。



いつでも笑顔、人が嫌がることはしようとしない、人に嫌われるのが嫌い。

例え立場の低い者でも、何を言われても許してしまう。


そんなミムラは父の職場で浮いていた。というよりも、ない物とされていた。

お前は最初からいないとばかりにハンコばかり押す生活。

それはまさしくシンヤが現在会社で置かれている立場と同じものだ。

バカ坊ちゃんと呼ばれ、戦力外と囁かれ、空気とされ、彼の拠り所と言ったら優しく接してくれるメイドくらいしかいない。


違う所は多々あるものの、大筋は驚くほど同じ。

もしシンヤとミムラに、オオタケのようにたった一人で会社を支えて成長させていく力があれば、

ウチムラのような燃えたぎる野望や誠実性があれば、かつて彼らの父が自らの会社を築き上げたように

多くの部下を引き連れてそれは立派な七光り人生を歩んでいたかもしれない。


自分でどうにかしなければならないのだが、なかなかうまくいかない。二人の悩みは大元で言えば同じ。

シンヤがミムラの相談を受ける理由はそこにあった。





「ミムラさん、無理なんかしなくていい」

「でも俺、そろそろ家追い出されちまうかもしれない」


それにしてもミムラの相談内容は段々とくだらなくなっている。

オオタケに後二年は大丈夫だと言ってしまっただとか、そんなものばかりなのだ。


結局テンプレートの答えしか返すことが出来ない。

渡すはずだった遊園地のチケットを握り締め、鼻で笑った。








泣きそうな顔でまた相談を始めるミムラを、次第に見下してきていることに気づく。

見下す、くだらない、全くどうしてそんな小さなことで悩んでいるのだろう。

冷めた目線に気づくことなく、ミムラの相談は続いた。まるでそこに誰もいないかと思っているかのような独り言の

ような言葉もちらほらある。



「ミムラさん」

「なあどうしようウエダ!! 俺はどうすればいい?」



坊ちゃん学校で見つけた唯一の拠り所に縋り、大学で見つけた掃き溜めに抱えた全てを吐き捨てる。




シンヤには理解できなかった。

オオタケ家のメイドの青臭い想いの交差も、ミムラのどうしようもない相談も、もう彼にはどうでもいいことだ。

どうしてそんなことで悩んでいるのかがわからない。どうしてそれが大きな悩みと思うのかがわからない。

人にはそれぞれの悩みがあるという考えなどシンヤの頭には残っていなかったからだ。

自らが"ゴルゴ"の相談を受けるような余裕が無くなって来ていることになど毛頭気づかない。

ただただ相手の質問がくだらなくて、滑稽なものとしか思えないのだ。



ミムラを見下す。

必死になって相談を続けるミムラを、ああ滑稽だと鼻で笑う。


(くだらない"館主"の一人。何が働きたくないだ甘えてるだけだろ)


皮肉。嫌味。

どす黒い何かがシンヤの体を包んでいく。



タカハシを巻き込んではいけない、と考えていたがどうだろう。

本当はこんなメイドごときに話したところで何もならないと思ったのではないのだろうか。



(俺がどんな苦しみに耐えているのかなんて誰も知らない。誰も知り得るはずがない)


こめかみを突き刺す苛つきが、目の下の筋肉をぴくりと動かす。ひくついたシンヤの顔などにミムラは気づきもしない。

精一杯、自分の悩みを話している。

"レッド"とナグラも、それぞれの悩みを持って精一杯になりすぎて回りが見えなかった。


どうしてそんな連中の尻拭いなどしなければならないのだろう、と今までになかった感情が訪れる。

どうして、自分のことばかり我慢して彼らには「我慢しなくていい」と助言するのだろう。




「我慢しなきゃだめかもしれませんね」

「だから俺は……え?」

「社会人なんだから、ある程度の我慢は必要かもしれない」



そう思っていると、自然と思いが口を通して言葉となって表れる。

ようやくシンヤの冷めた目線に気づいたミムラが体を奮わせた。同時に眼球が異常に震えているのがわかる。


病気だ。

彼はオオタケと同じく、軽症ではあるが病気を持っている。それを確信した。




「あんたは引きこもってるだけだ。自分だけの世界に閉じこもってるんだ。

 同い年で世界を持っている男と一緒にいることでそれを誤魔化してる。それだけなんだ。

 我慢しなきゃ、ミムラさん。我慢しなければ始まらない」

「ウエダ……でも俺たち、同じ悩み持ってる仲じゃん」


震える目が俺を見て、縋るように言う。


(ああもう)


体が震える。もう、限界みたいだ。






「あんたと俺は違う!! あんたも大人なら我慢しろよ!!」





チケットを彼に押し付け、気づくとミムラ邸の離れから逃げ出すように駆け出していた。

























「おかえり」



何日かぶりに見る顔が、まるでその空白は無かったかのようにいつも通りの挨拶をする。


夜も更けて使用人の者達は寝静まり、たった一つ月明かりにだけ照らされた部屋に彼はいた。

着崩した服、黒の髪。目つきの悪い目。

そしてその右には無表情のデクノボウが立っている。


何故か安心した。

戦場から帰った傷ついた兵士と同じく、力の抜けた体ががくりと床に崩れ落ちる。

床に両膝で立ち、聞こえる声全てを聞いた。



シンヤの帰りを待っていた複数の小さなテレビ達が動き出す。映像はいつも通りの自らの乱れる姿。

最初の嫌がる自分。もう何もかも受け入れんとする無気力な自分。

響くあえぎ声が耳を貫き、そのまま脳を串刺しにした。




「あはは」




ここが一番落ち着く。




「あはははは」



オオタケ家の脳みそバターなメイド達とおさらば



「あはははははは」


ミムラ邸の悩みともいえない悩みで苦しむボンボンともおさらば




「あははははははははははははははは!!!!」




ここが一番落ち着くのだ。

ここが帰る場所だ。

ここが希望だ。












フラッシュバックした脳。もうシンヤにも何も見えなく、白い世界がそこら中を包み込んでいた。


その先にはたった一人男がいて、シンヤは夢中になってそこに走り出す。


小さな、身長もさほどない男は汚らしい服を身に纏い同じく汚らしい大きなカバンを持ってきょろきょろと辺りを

見回している。

何も知らないと言わんばかりの顔。

シンヤは彼に向かって走った。走った。走った。

息が切れることは無い。疲れることも無い。







白い、世界。

そこにたった一人の男。

彼を求めて走り出した。












next.....