白く

どこまでも白い世界の中

今にも白に飲み込まれそうな君がそこにいた








MAID―メイド―
"White"










「テッペイ=アリタ……」



呟いたテルヨシの視線の先にはパソコン。

開かれたメモ帳にはその名前だけ書かれていて他には何も書かれていない。

何度も何かを書き込もうとしてキーボードを打ったが、どれも気に入らずバックスペースバックスペースバックスペース。

結局数時間悩んだ末、諦めてメモ帳を閉じ電源も落としてしまった。


テッペイ=アリタをウエダ家に帰し、リョウを連れて来た当日。

リョウから確かにアリタの情報を得ることが出来たが、どれもどうでもいいものばかりだった。

とりあえず他の使用人から聞いても特別におかしいところはないようで至って真面目なメイド。

ウエダを潰す、と言ったテルヨシでもさすがにいきなり彼を疑うことはできなかったのだ。

否、疑いたくなかったという気持ちが多少なりとあったのである。できればアリタの単独行動であればと思いたいのが

正直な気持ちだ。


今リョウがアリタの素性を調査しているところではあるが、もしこのまま彼のボロが出なかった場合その主である

ウエダを疑わざるを得ない。

しかし、それにも幾つか問題点がある。



(ウエダが国や、俺の情報を調べたところで何になる? しかも新人メイド……新しく雇った諜報員?

 ウエダの父上……いやおじさんだったら俺なんか調べるよりももっと上を調べられるはず)




そう、調べる理由が無い。

何か必要になったのか、突然政府転覆を狙い始めたのか。


国を守るものとしては何にしろ疑いをかけていかなくてはならないし、国に事がバレて潰されるよりはテルヨシ自身が

潰した方がよっぽどいいだろう。

知り合いのための情けだ。まだまだ甘いな、とテルヨシは笑うが全くその通りなのだから仕方が無い。




「それにしてもアリタだ。こいつによって変わるよねぇ」



ノートパソコンを完全に閉じ、息をつく。見上げた空は青い。

ホログラムで作られた割には美しい青い空、本当なら白いドームの天井が広がっているはずのそこを眺めて目を細めた。

風はない。

"外"のように風は吹かないから、テルヨシを覆い隠す木の陰も揺れないし丘全体の芝生も微動だにしないのだ。


ここ――女性保護"施設"であるドームで最も高い位置にあるこの丘は、オーナーであるテルヨシが一番気に入っている場所。

眺める先には世界にほとんど存在しなくなってしまった女性達がそれぞれの生活を送っている。




「さて、こっちの仕事はこれでおしまい、と。 あっちの仕事に行くかな」




ふふ、と笑いながらノートパソコンを脇に抱え立ち上がった。




















「茜ちゃん、こんにちわ」

「あ、ウチムラさん!」


広い野球グラウンド。

とは言っても"外"で言ったら子供達が適当に作ったような狭さのものだが、そこにはそれなりの人数の

男達が野球をしていた。

茜、という名の女性は楽しそうに彼らのために作ったスコアブックを握り締め、その光景を眺めている。


「どう? もうこっちには慣れた?」

「あはは、何言ってるんですか? もう何年経ったと思ってるんですか」


彼女が振り返ると、あっという間に野球グラウンドから男達が消えた。彼らもまた、ホログラムによって作られた

イメージゲームの登場人物なのだ。

笑いながら「あーあ、時間になっちゃった」と惜しむ彼女のために作られたゲーム。

現在18歳、高校三年生の彼女は勉学様の小さな学校に通っていて、野球部のマネージャー。と言う設定。

彼女の希望がそれだったので、学校のグラウンドに野球部をイメージしたホログラムのゲームが再生されているのである。

しかし空のホログラムも夕暮れ色になり、そのゲームも終わりを告げたようだ。



「"施設"の中だからってあまり遅くまでここにいちゃだめだよ」

「はい! あ、ウチムラさんも早く奥さん作らなきゃだめですよぉ」

「コラ、関係ないよ」



こつん、と頭に拳をぶつけると茜が笑う。

あどけなく笑うその顔はどこかで見たことがあったが忘れてしまった。さて、どこだっただろうか。

一瞬真顔になってしまったのを見て茜が不安そうに覗き込んできた。慌てていつもの笑顔を浮かべる。

サングラス越しの彼女がそれを確認すると笑って、やっぱりどこかでその笑い顔は見たことあると思ったが

忘れることにした。

恐らくなんでもないことだろう。





「赤岩 茜さん、――月――日変化なし、と」

「大変ですね、毎日私達の近況チェックなんて」

「そんなことないよ。ちょっとお話するくらいで大変なんて言ったら"外"の連中に怒られる」

「ふーん……あ、そういえば私そろそろ職業決めなきゃならないんですよね?」

「だね、そろそろ決めないと。進学にする?職業にする?」




この"施設"の中で生活する女性達にはそれぞれ職業がある。もちろん本人の気持ちが一番に尊重され、それぞれが

好きな仕事に勤めているのだ。

だからと言って好き勝手に仕事を変えることは許されない。それに自分の能力に合った仕事しか就くことは出来ない。

適齢期になったら慎重に仕事を選び、責任を持って働く。これが決まり。

"外"の男性達は知らない者が多いのだが、実は"施設"の女性達が関わっている仕事が一部あり、

主にそれは事務仕事で会計士を務めている女性もいる。


茜もそろそろそれらに就くか、それとも進学するかの選択の時が迫っていた。

テルヨシの問いかけに彼女は困ったふうに笑って「うーん」とお茶を濁らす。どうやらまだ決めかねているようだ。

いくら女性が少ないと言っても悩みは"外"と変わらない。



「大学行ってみたら? 職業の幅も広がるし、野球部のマネージャーまたできるし」

「やっぱそっちかなぁ。たぶん進学です。一応勉強はしてるんですけどね」

「じゃあ一ヶ月以内に決めておいてね。試験を受ける申請しておかないといけないから」

「はい、わかりました!」



今度は満面の笑みを浮かべて答える茜に笑いかけて、抱えていたバインダーに挟んだ調査票に「進学」と書き込む。

「赤岩 茜」はテルヨシが思う中でも「よいこ」のカテゴリーに入る女性で、その笑顔にいつも癒されてしまう。

笑い返すとまた笑う茜の笑顔はやはり可愛らしかった。




「でもね、本当は進路決まってるんですよ」

「え?」

「ウチムラさんのお嫁さんです!」

「……えっと、次はアズーのところ……」

「あーもう、また誤魔化すんだから」



あはは、と笑いながらウチムラの顔を覗き込む茜。白い肌が赤く染まっているのがおかしいのか、更に笑い出す。

茜の気持ちは本気だろうが、いつもテルヨシはこうして誤魔化している。

照れ隠しというよりは「11歳差」の犯罪的な壁の高さにいつもたじろいでしまうのが事実。

彼女のために作った野球イメージゲームホログラムにテルヨシそっくりの「秋吉」なる人物が作られていた時には

焦ったものだ。

何せ自分そっくりのおっさん選手が高校球児の中に混ざっていたのだから、驚かないはずもない。


それにしても笑う茜に笑い返すのが精一杯のテルヨシを見て、また彼女が笑った。夕暮れ色に染まった顔は当社比3倍。



「全くどうして俺なんか……若くて有望な"館主"なんてこれからいくらでもやって来るんだからさ」

「だって大好きな人に似てるから。顔が真っ赤になる癖とか、歳とか。私の好きな人にちょっとだけ」

「じゃあその好きな人は?」

「だって会えるかわからないし、それに……」



言いかけて、茜は走り出した。

藍色のセーラー服のスカートを揺らして、笑顔を浮かべながら夕焼けの街へと向かって走っていく。


くるりと振り返った彼女は、やっぱり可愛らしかった。





「私のお兄ちゃんだから! 結婚なんてできないんですよぉ!

 だからウチムラさんをお婿さんに貰ってあげるんです!」






「お婿さんに、貰ってあげる。ね」


ははは……と笑うと、どこかでカラスが「カア」と鳴く。

そろそろ三十路を超える男の背中はどこか物悲しかった。












"施設"はすっかり夜。

しばらくは女性達の家を回っていたが、ようやく今日の分のチェックが終わり事務所に戻る。

女性達の健康、心境などもろもろの近況チェックは定期的に行われるもので、東京支部では管理人のテルヨシが全て行っているのだ。

人数も少なくないのだから大勢で一気に行えばいいじゃないかと言う意見が近年では出ているが、今はそれは認められていない。

いくら彼女達を守るためとは言えそう毎日毎日入れ替わり立ち代りで検査員がきたらたまらないだろうし、

他にも諸々の諸事情があるため。

大体、その検査員の中に女性を狙うものがいたりしたら大変だ。



とは言え"施設"から出た事務所はそんなこと関係ないため、昼にはそれなりに人がいるが夜ともなると

人はほとんどいなくなる。

いるのは緊急事態時のための夜勤社員と掃除夫、それに警備員ぐらい。

しかも夜勤の社員は入り口等の監視モニターチェックを別室で、警備員は時折やってきても「お疲れ様です」ぐらいしか言わず無言。

昼は騒がしい事務所も今ではテルヨシ一人しかいない。



部屋の奥に用意された管理人専用の大きな事務机にノートパソコンを置き、椅子に腰をおろす。



「調査、始めるか」



今日はノルマよりも多くの女性の調査をしたため疲れが溜まっている。

本当は調査なんかせずにすぐに家に帰りベッドに潜り込みたい気分だが、我慢。何もかも国のためだ。






それにしても"施設"の女性は幸せそうだな、と思う。

"館主"である自分が庶民の者に羨まれるのと同じ事と表現したら……いやいや、とテルヨシは顔を振る。


女性達は男性達に力の限り守られ、快適な"施設"で恋人の出現を待つ。

もし肉体的に結ばれることがなくても最大限の愛が彼女らを待っているのだ。

大人になってもそれは変わらない。

彼女たちは夢を見て、明るい世界だけ見ていればいい。

その世界を与えることがテルヨシたちの使命。

結局は絶滅危惧種の動物扱いだということに彼女たちは気づいているのだろうか。

もし彼女達がそれを知ったら絶望するだろうか。逃げ出したいと思うだろうか。

裏切ろうと思うだろうか。いがみ合おうとするだろうか。


きっとそれはない。


彼女達はそれを知ってもここに居続けるだろう。

自分達が守られていて、この世界から飛び出した途端に獣達の餌になってしまうことを同時に知るだろうから。


(どっちにしろ不幸なのだろうか?)


テルヨシは考えたことがあった。

だが、たぶんそんなことはない。



いくら世界が広くても狭くても、人と人とが争うことが一番の不幸なのだとテルヨシは思っている。

そう、例えば信頼すべき友人を疑わなければならない時がやってくるとか、裏切り者と罵らなければならないとか。

精神的、そして絆の死さえ見なければきっと幸せだ。




ノートパソコンの画面に映し出される顔。

小さな頃から知っている男の顔だ。

シンヤ=ウエダ。


彼と出会ったのはずいぶん前で、自分が中学一年生で彼が小学一年生、だっただろうか。

キッと睨みつけてくる目が可愛くて、当時はさほど天然パーマのかかっていなかった髪の毛をその都度くしゃくしゃに

掻き乱して笑いかけたことをよく覚えている。


「お兄ちゃん」が「兄貴」になって「テルヨシさん」で「ウチムラさん」。

オオタケが小さな頃からテルヨシのことを「ウチムラさん」と呼んでいたのを真似したのだ、きっと。

またかわいいかわいいと撫でた頭は天然パーマになっていて、彼はもう大学生になっていた。





女性達は幸せだ。

裏切りだとか、そんな暗い部分のことを知らない。


恨むものがいる。

羨むものがいる。

そして、その羨みは憧れへと変わる。


テルヨシが茜に気持ちを癒されるのは彼女を見ていればまるで自分も明るい場所にいるような感覚に溺れる事が出来るからだ。

他の男達もきっとそうだ。

ひと時でも暗い自分を忘れることができる。

「気狂い」と言われるオオタケがここに入り浸っていることをメンバーの中でテルヨシだけが知っていたが、

彼を見ていればそれが確信できた。




一時でも暗い世界を忘れたい。

"施設"の中にいると、外の世界が嘘のように全てが輝いていた。

腕に何度となく打たれた「抑制剤」の注射跡の浅黒さを見ても幸せでいられる。

その代償は外に出た時の絶望感。

事務所に帰ってくるたびに項垂れるテルヨシを知っている者は数少ない。


外の空と、中の空を比べたくなくてかけたサングラスもすっかり体の一部になっている。



「ウエダカンパニー……別に経営不振もないし、怪しいことはやっていない」



例え外や自分の暗闇に絶望しても、大差ないさと笑えるように。





「ウエダを潰す。ウエダを潰そう、潰すしかない。俺の使命だ」


















ため息をついてファイルを閉じようとしたその時、事務所の扉の先から物音が聞こえた。

慌ててノートパソコンを閉じる。

ばたん、という音と同時に扉の開く男が聞こえた。




「あーチェンまたこんな暗いところで仕事して、電気ぐらいつけろよ」



突然電気がついて部屋が明るくなり、暗闇に慣れていたために視界が真っ白く染まる。

ぼやけたそこから現れたのは小柄な男。

青いツナギと帽子に、大きなモップを持ったその男をテルヨシは知っていた。


この事務所の掃除夫でありテルヨシの友人であるテツロウ=デガワ。

小学校の頃両親の方針で通っていた公立学校で6年間同じクラスだった、昔馴染み。

中学生から大学卒業の時までは会う機会が無くなっていたのだが、偶然にも数年前にテルヨシの管理するここ東京支部の"施設"に

デガワが掃除夫としてやって来たのだ。

なんでも自分で作った劇団の経費を稼ぐためだそうで、昼は団長、夜は掃除夫となかなか忙しない生活を送っている。




「明るいのってちょっと苦手なんだよね」

「年中サングラスなんか掛けてるからじゃないの? いい加減やめたらいいのに」

「掛けてないとさぁ、落ち着かないから仕方ないよ。

 あ、で何? ここの掃除はだいぶ前に終ってるんじゃないの?」


世間話ついでに問い掛けるとデガワが「あ」と思い出したように声を上げた。

どうやら何かを忘れていたようで、誤魔化すように笑いながら何かが書かれた紙を渡してくる。

ずいぶんと汚い字で走り書き。それに加えて鉛筆書きで、最初に見えたのは「緊急」の文字。



「ごめんごめん、チェンに話し掛けるとどうにも余計なこと話したくなっちゃって」

「え」

「ん? ああだからさ、余計なことを」

「いや、違う違う。これ……え、っと」



紙を何度も見返し、その度にデガワを見る。

のほほんといつもと変わらない表情をしているデガワ、それと紙に書かれている内容。関係は無いのにどうしてか比べてしまう。

あまりに差があるせいか挙動不審さが治らない。





「ウエダ」

「ウエダ? あのウエダカンパニーの坊ちゃんかぁ、友達でしょ。チェン、どうかしたの」

「危篤……?」























のほほん、としたデガワに怒鳴られた。

「早くいかなきゃダメでしょ!!」



黒塗りのベンツに乗り込み、サングラスを掛けるのも忘れて"施設"を飛び出した。

暗闇の街に溶け込む車。

多くの車がクラクションを鳴らし罵声が飛び交いそれでも気にせず進んでいく。今は気にしている場合じゃない。


やがて見えてきた白く大きな建物は見慣れたもののはずなのに、今はひどく不気味なものに見えた。

危篤と言われたのはこれに飲み込まれてしまったせいではないかだとか下らない事さえ考えてしまう。





心配だった、確かに。

だがそれ以上にテルヨシがウエダに「死ぬな」と願う理由は別の場所にあった。

彼がもし死んでしまったら今まで調べたことが全て意味を無くす。

電話を掛けてきたらしいウエダ家のメイドに問い掛け、危篤の詳しい理由を聞いた時「自殺を計られた」と答えたが

もしかしたら自殺に見せかけて殺されたのかもしれない。

国の情報を調べようとしていたのは、メイドを使ってまで調べようとしていたのは、何か大きな組織による陰謀に巻き込まれて


(そうなるとウエダに死なれちゃ困る、ウエダに聞き出さないと

 電話に出ていたのはシバタとかいうメイド……彼は何も知らないかもしれないから、もし奴が死んだらアリタに)


白い病院の廊下を歩いている途中ずっと考える。国の役人としてのテンプレートな考えがぐるぐる巡り、

混乱が混乱を呼び、考えれば考えるほどテルヨシの思考は非情なものへと変わっていった。

まるでしっぽを掴んだと言わんばかりに喜んで疑いを深めていっている。


段々とわからなくなっていく。

果たしてウエダが友人なのか、それとも容疑者なのか。

















「何やってるんだ俺は……」





どん、と殴りつけた壁は白く。テルヨシの黒いコートの袖さえ飲み込んでいくように白い。

やはりここは人間を飲み込む不気味な館なのかもしれない、と思った。





















手術が終わり、部屋に入っていくウエダの姿を見送ってから外に出た。

打ち所がよく命に別状はなかったそうだがまだ意識は戻っていないと医師が告げ、ウエダ家のメイドだというシバタと

どこか頼りない彼を支えるように付きそっていた使用人のタケヤマは、それを聞いた途端床にがっくりと崩れこんでしまった。

緊張の糸が切れる、の言葉が実証されるところを目撃したのは初めてだ。

彼らはそれでも面会に行くと必死に立ち上がって部屋に入っていったが、テルヨシはあいさつもせず病院から抜け出した。


白く明るい病院内と違って外は真っ暗闇。

夢中になってここまで来たためか全く気づいていなかったのだろう、掛けっぱなしのサングラスのせいで余計暗く見える。



深い深い暗闇、"施設"にはない底の無い闇は空とは違い何処か好きだった。

空の違いは彼女らとテルヨシら男達の格差や決定的な違いを表しているかのようで、それでいて自分達の醜さを曝け出されるようで

見たくもないし比べたくも無い。

だが夜の闇は違う、外の闇は男達の貪欲さや罪深さを全て覆い隠す。




逃げてきたのだ。

この全てを覆い隠す暗闇の中に逃げてきた。


「国のためだ、正しいじゃないか。何を動揺しているんだ」


荒い息、胸元を押さえてなんとか呼吸を整えようとするが叶わない。


「今がチャンスだ。調べるんだ。死んでなかったんだから、本人に聞けば」










まさか自殺するなんて思いもしなかった。

彼は元々明るい性格で、そんなことを考えるような男ではなかったはずだ。

少なくともテルヨシの知っているウエダはそのはずで、予想外の行動と片付けてしまうこともできるのだが

どうにも納得がいかない。

どうにかこじつけるとしたら、やはり何かに巻き込まれていて追い込まれたのか。


「巻き込まれた……?」


例えば自分が間違った方向に進みかけていただとか


「自殺……見られたファイル……」




考える。

もし頭のいいテロリストが国の情報を得る場合、どうやった策を練るだろうか?

確かに関係者のパソコンを探るのも一つの方法ではあるだろう。

だが今の時代重要な書類やデータを自宅に持って帰る者はいないし、それは法律でも禁止されている。

違法ではあるがちょっとしたデータを持ち帰っているが、あくまでちょっとしたもの。

かつてリョウが食いついたのはそのちょっとしたデータ。子供のいたずらとしてはずいぶんな代物だろう。

国を潰すだとかそんなことには全く関係ないようなデータな事は確かだ。


そんなことはテロリストもわかっているはずで、それだったら大きなリスクを背負うことになるとしても

マザーコンピューターのある"施設"を狙うに違いない。

それにウエダのように関係者と知り合い以上の関係を持っている者だとしたら、盗む出すよりももっと方法があるはず。

彼だって"館主"見習いなのだから"施設"の事務所を見たいだとかいって夜に押しかけるだとか。

まあそれはあまりに強引過ぎるが、なんにしろどこかおかしい。

それに、アリタが見ていたらしいファイルはそういえば国なんてそんな大したものではなかったのではないかと思う。





「俺の個人情報?」






ウチムラ邸を家捜し、テルヨシのパソコンを調べていたアリタ。

もしかして彼が求めていたのは国の情報などではなかったのではないか。


彼もさすがに家捜しをしていただけあって、リョウとは違い見たファイルがわかるような足跡は残していなかったが

あの時パソコンに入れていたのは自分の趣味で集めた画像やその他のデータばかり。

アリタが喜んで報告するようなものはなかった。

彼が望むものが国関連の情報だとしたら、の話。


ウエダがどうしてテルヨシの情報など調べるだろうか。ウエダが。

しかもわざわざ新人のメイドを使って、危険を冒してまで?




「情報を欲しがっていたのはウエダ、じゃないとしたら」












暗闇は全てを覆い隠す。

この世界で、この汚い世界で、自らを汚いと自負する者が逃げ込む場所。













さわ、と草の重なり合う音が聞こえた。風と、そして何か違う何かの音。



誰かがいる。

誰かが






「ふざけんなふざけんなふざけんな!! どうしてだよ!」



聞き覚えのある声だ。

罵声。

汚い言葉のシャワーを誰かに浴びせる声は、聞いたことがある。

闇に逃れてくるに相応しい者だ。



「アイツ死のうとしやがった!」

「あんたが追い込んだんでしょう」


もう一人の声も聞いたことがある。

冷酷で、氷のように冷たい言葉をぴしゃりと放ち、それを聞いた途端罵声を浴びせていた男が黙り込んだ。



「……死ぬなんて、そんなもんじゃ俺の復讐は終らない」

「そうですねぇ」

「そうですねぇじゃねぇよ!! なんかいい案出せよ!」

「まず冷静になったらどうです」


また声が止んだ。


罵声を浴びせていた男―アリタが口をもごもごさせ立ち尽くしているのと、もう一人の男―ツチダが言葉や態度と同じく

冷たい目をして直立不動しているのが、角の先に見えた。

丁度テルヨシが死角になっているのか彼らが気づく様子は無い。


しばらくすると再びアリタが癇癪をおこし始め、手当たり次第に暴れ出す。

壁を蹴ったり草むらに蹴りをいれたり。先ほど聞こえたのはこの音だろう。




(ああ、なんだ単純なことだった)




アリタ、か。

テルヨシは胸をなでおろした。

その名前がある場所をもう一度記憶の中から探り、古い古い場所に置かれていたそれを思い出したのだ。


彼がばたばたと暴れるたびに笑が込み上げて仕方が無い。







「なんなんだよなんなんだよなんなんだよ!」

「もう一回作戦を練り直しますか」

「作戦も何も無い! もう容赦なんかしないだけだ!」










「アイツを最大限に苦しめてやる!」
















そんなことはさせない、と口だけを動かす。

正直顔がにやついて仕方が無いのだ。

相手はウエダの予想外の行動のおかげでとんでもないポカミスを犯したようで、テルヨシはくつくつと笑いが込み上げてくるのを

抑えながら立ち去ることしか出来なかった。




「俺や国が目的じゃなかったか」





方法は簡単。

ウエダを守るのみ。










その夜はウエダの眠る部屋に泊まることにした。

起きてみると北海道に行っていたらしいオオタケが横にいてびっくりしたが、それよりも病室に使用人は二人だけだったはずなのに

いつのまにかウエダ家の使用人たちが勢ぞろいしたのには驚かされたのだった。

料理人のマスダ・オカダの作った「パァ弁当」はなかなかの出来で、我が家にも料理人を雇おうかと思ったほど。


もちろんその弁当を一緒に食べていたアリタは演技を続けていて、おかしくて仕方が無く。

ただツチダだけはテルヨシを一回見ると、妙な顔を一瞬してそのまま視線を戻すという不思議な行動をしていた。


穏やかな朝だったことを覚えている。








嵐の前の静けさというのは、本当のことだった。












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